物見遊山でうろちょろChina その1 -寧波の古刹 (阿育王寺と天童寺)-

ニンポー(寧波)といっても現代の日本人にとっては、なんか聞いたことあるかな~位の都市ですが、
中国の都市の中で古来我が国に一番縁が深く直接の影響を与えたのは
北京でも長安でも洛陽でもなく、ましてや上海などではなく、、
実はこの寧波なんですよ!!

古くは阿倍仲麻呂や鑑真、空海や最澄もこの町を通りましたし、
咸平2年(999)以降は日本への窓口が寧波に一本化されたため、
ちゃんとした人は大概ここから中国に出入りして交易や勉学に励みました。。

しかしなんといっても日本に甚大な影響を与えたのは
 禅宗・天台宗を中心とした寧波近辺の仏教文化・・・(-∧-)・・・。
阿育王寺、天童寺、延慶寺といった名刹や天台山、普陀山といった聖地が点在し、
 昔の日本のお坊さんにとって寧波(明州)はまさに憧れの地でした。。

不肖出不精の私も今回ようやく、阿育王寺と天童寺にお参りを果たすことができましたよъ( ゚ー^)イェー♪。。

                         ( 阿育王寺・大雄宝殿 )
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                           ( 天童寺の甍 )
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印象に残ったのは阿育王寺の素菜(精進)料理と天童寺のお坊さんかな~。

中国とか台湾に行くと素菜料理の店をよく見かけますが、食べたのは初めて。。
恐っそろしく広くてうす暗い食堂に、
 妙にポップなお経のCDが流れる中 (ちょっとオウム××教を連想(;´ρ`) ...)、
客はうちらだけでホントにマトモな料理出てくんの?って感じでしたが、予想外の美味しさに大感動!!
 日本って他の国に比べてベジタリアン料理出す店が少ない気がしますけど、なんででしょうね?
日本人に向いてると思うけどな~お年寄りも多いし...江戸時代から食生活、豹変し過ぎ...。。

天童寺行くと入口からお堂まで歩いて15~20分位あるので
 カートみたいのが寄って来て、乗れ乗れって五月蝿いんですが、
ビール3本くらい飲んだ六平直政さんみたいな顔したお坊さんが
 (袈裟着てなきゃ絶対5m以内には近寄りたくないレベルのお顔...)
しっしっ、って追い払ってくれて近いから付いて来いって言ってくれました。。
「あそこに見える塔は古いものなんですか?」って聞いたら、
からからと笑って、市が観光のために造ったもんだ、ここらへんにも庭を造ってたが、たいして
 観光客も来ないのでやめてしまったみたいだな、とのこと。。
途中トイレがあったので、寄っていきますって言ったら上のがキレイだからそっちを使えと。
お堂の前につくと「そっちがトイレだ」と指差して、振り返りもせずにお堂の中に消えていきました。。
  ぎゃーかっちょいい~~!!これぞ漢やー!!
こういうコワモテでぶっきらぼう、かつ自然に親切な風情を持った人って今の日本人にはいませんね。。
鎌倉武士ぐらいまで遡れば別だろうけど...
日本人だとどうしても親切にベタベタと話しかけてくれたり愛想笑いなんかしてくれちゃいます
  (そこが日本人のやさしさではあるんだけど...)
高校生の頃、ボブディランは決して愛想笑いしないのがカッコいいって思ってたことを思い出しました。。


いやいや、こんな食いモンやおっさんの話じゃなくて、もーちょっと文化的な話をしなくては...

この2つのお寺はともに南宋五山の一角を占めた中国屈指の名刹ですが、
特に天童寺は日本の禅宗にとって正に総本山のような所。。
栄西や道元、円爾といった日本僧がここを訪れて禅を学び、
また蘭渓道隆や無学祖元といった中国僧がここから禅を伝えるために日本へ旅立ちました。。

ただし栄西・道元以前にも禅宗が日本に紹介されなかったわけではありません。。
飛鳥時代以来、道昭、行表、恵萼、義空、能忍といった人々が禅の教えを広めようとしましたが、
多分たいていの人にとってはあまり馴染みのない名前ですよね
  (私も覚えてないので本見て写しました...)
結局栄西が伝えた臨済宗と道元が伝えた曹洞宗が日本の禅の2大潮流をなしたと言ってよく、
 そのみなもとは共に天童寺なんですよ。。

日本にある関連の文化財は枚挙に暇がありませんが、渋いところで拓本を挙げておきましょう。。

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孝宗書「太白名山四大字碑銘」(拓本)、188×84cm、
(書)1178年・(採拓)1241年以前、東福寺蔵


孝宗は南宋第2代の皇帝ですが、寧波に派遣していた
息子が天童寺に了朴っていう立派なお坊さんがいるよ、
って伝えて来たので皇帝自ら了朴に贈ったのが
この「太白名山」の書。

寺ではそれを碑にして建てており、日本から行った
東福寺開山の円爾が拓を採って他の多くの漢籍など
とともに日本に持ち帰りました。

しかるに萬暦15年(1587)7月21日、天童寺一帯は
集中豪雨に襲われて裏山(この太白山!)が崩れ、
礎石も残らないほどの壊滅状態に陥ります。。

よって天童寺の建物や文化財は全てそれ以降の
モノのみなんですが、僅かに日本に運ばれた拓本が、
かつてあった碑の存在を今に伝えているという訳ですね。
(恐らくは周辺の何キロかを掘ればこの原碑がどこかで
  多くの僧と共に埋まっているはずです...)



ついでに阿育王寺関係のものとして、同じく円爾が将来した師の無準師範の像も挙げておきましょう。。
無準師範は杭州の径山寺にいた時期が長いのですが、紹定元年(1228)からの3年間は阿育王寺の
住持を務めました。

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「無準師範像」、125×55cm、1238年自賛、東福寺蔵


南宋肖像画の名品中の名品ですねー。

師の高い精神性を伝えなければならないという意識から、
一方ではこうした極めて写実性の高い絵画が生まれ
一方では師の書や禅画の中にその精神を見るという
態度が生まれました。

頂相や墨蹟、一昨年京博で展覧会が開かれた袈裟
などは、我が国では伝法・相伝の証として極めて
大切にされ、その時代の精神を今に伝えています...
とか偉そうに言っても、難しくてチンプンカンプンな物が
多いんだけどね~(*´ο`*)。

ついでに言うと日本で大変有名な水墨画家の牧谿も
この無準師範さんの門下といわれています。。
彼の作品が日本で大事にされたのは
ここらへんの繋がりも大きいのでしょう。。





あっ!そういえば雪舟の話もしとかなきゃ!
雪舟は応仁元年(1467)の遣明船に加わって明に渡り、天童寺に滞在して首座の称号を得ました。
雪舟はそれを終生誇りとして、帰朝してからも幾つかの作品に「四明天童第一座雪舟」などと
署名しています (四明は寧波の別名)。。

首座ってのは天童寺でホントに一番偉い人...
たとえ名目でもなんで一介の絵描きに過ぎない雪舟がそんな称号を貰えたのか、不思議なんです。。
多分ほかに日本人でそんな称号をもらった人はいないはず...あ、何年か前に日本画家の方で
何百年ぶりかに首座に推されたって人がいましたが...まぁそれは別の話でしょう。。

雪舟や道元もはるばる日本からやって来て、この辺りを私と同じくうろちょろしてたんだな~(違うか)
と思えば日本人としては感慨深いものがありますよね。。


ちょっと残念なのは、あまり古い建物や仏像がないこと。。

天童寺の伽藍は明末の再建 (20世紀に補修)ということでマシなんですが、
阿育王寺は多分太平天国後の建物だろうとのこと (もっと古い建物があるのかどうか私は知りません)。
その後、文化大革命で阿育王寺は兵舎や工場に転用され、両寺の仏像も全て破却されたとの由。。
今ある金ピカの仏像は近年造られたものだそうです(・_・、)。。
中国では政治と空腹が全てに優先するといえばそれまでですが、、
阿育王寺の真新しい山門に麗々しく掲げられた江沢民筆の扁額が
なんだか虚しく輝いて見えました...

とはいえ、この両寺関連の国宝・重文だけで特別展が構成できるくらい
 我が国の文化とは関わりの深いところ。。
鎌倉~室町時代の禅林文化に興味を持っている方には絶対のお薦めですよ。。

上海から行くと、新幹線で1000円+タクシーで300円+バスで50円くらいで着きます(←ウロ覚え)。
時間は何時間か掛かるので日帰りはギリギリかな~
正直言うと、寧波は杭州なんかと較べてかなりガラの悪い地方都市という印象を受けましたが、、
ホテルのお姉さんがとっても可愛ゆかったので良しとしましょう!!(今度は天台山行きてぇーo(^o^)o)
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by brevgarydavis | 2012-12-27 12:59