あけまして阿蘭陀正月。。

皆さん、あけましておめでとうございます。。
平成になってもう25年...、、って早っ!|)゚0゚(|!
戦争が終わってから私が生まれるまで位の時間が経ったんですね~
自分って終戦直後の生まれのような気がしてきました...

実はここ十数年、新暦の1月1日だけじゃなく旧正月も祝おう!ってのをみんなに勧めてて、年賀状も
旧正月に出してるんですが、いまだ誰も同調してくれる人がいません...。

日本では新暦、ほかの東アジア諸国では旧暦で正月を祝いますが、
その両方祝って、年賀状も好きな方で出せばいいことにすればラクだし楽しいと思いませんか?
その間ずーっと正月気分で過ごせるし...レジャー産業的にもプラスってことで...

国民の半分が年賀状旧正月に出すようになれば、旧正月も休日になると信じて人を勧誘してるんですが成果ゼロ...まぁちゃんとした会社勤めてる人はそんなフザけたことできませんわな...。

しかーし江戸時代には私と同じような酔狂な人がちゃんといたんです!!
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      市川岳山筆 「芝蘭堂新元会図」、100×144cm、寛政6年閏11月11日(1795年元旦)、早稲田大学図書館蔵

有名な絵なのでご存知の方も多いかもしれません。。いわゆるオランダ正月の図。
オランダ正月というのは、もともと出島のオランダ人たちが太陽暦で新年を祝った催しのこと。。

宗教そっちのけで商売に励んだオランダ人でも
さすがにクリスマスの頃には里心なんぞが芽生えるもの。
でもここは切支丹禁制のヤーパン国、、おおっぴらにクリスマスを祝うわけには参りませぬ。
ほな、新年会にかこつけて酒でも呑んでクリスマス気分味わおか!
みたいなことで始まったらしいですが...
長崎では異国情緒溢れる行事として一部の日本人の間でもちょっとした流行になっておりました。

これに参加していたく感銘を受けたのが蘭学者の大槻玄沢。。
いつか江戸でも同じような会をやってみたいと思い続けること10年...
仙台藩医にも取り立てられ蘭学者としても名を高めた玄沢は、江戸に来たオランダ商館長と
対談するという栄誉を得ます。
それを奇貨として長年胸に温めていた太陽暦の新年を祝う行事を始めたのが、
1795年1月1日、旧暦では寛政6年閏11月11日のこと。。
その様子を描いたのがまさにこの絵。。
芝蘭堂(しらんどう)とは当時京橋にあった玄沢の蘭学塾の名前です。

画中の29人の登場人物についてはReinier H.Hesselink氏の論文が詳しいんですが、
(『Monumenta Nipponica』50-2,1995や『早稲田大学図書館紀要』47,2000を参照されたし)
なかで一人だけ挙げると、床の間に掛けられた「ウニコール」(イッカク)の絵の前でキリル文字を
書いて見せている人物がロシアから帰国した大黒屋光太夫だと言われています。

同時代の人々にとっては、オランダかぶれの先生たちがなんだか変な会始めたよ、ってなもんだった
でしょうが、あとから振り返ればこのささやかな会こそ我が国が東アジアの伝統と袂を分かって
中国や朝鮮とは大きく異なる近代を経験することになる遠い始まりを象徴する出来事だったのかも
知れません。。

それにしても西洋文明という麻疹に他の日本人に先駆けて罹ったこの人たちの楽しそうなこと!
まぁ、テレビで見る日本オタクの外国人とかもなんだか楽しそうですもんね...


この絵が描かれてから80年近く経った明治5年、政府は12月3日を明治6年の1月1日とし
グレゴリオ暦が正式に採用されました。。
以降、旧正月を祝おうなんて人は逆に変わりモン扱いですが、平成も早や25年、
そろそろ両方祝っても良い頃なんじゃないでしょーか??

「芝蘭堂新元会図」は早大が1953年に購入した大槻家資料中の一軸。
明治時代に木版や石版で復刻されたものが各地の博物館や図書館に所蔵されてるので
そちらを目にする機会もあるかも知れません。。
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by brevgarydavis | 2013-01-01 21:01