ここ惚れ ワンワン! my treasure その4 ” 拝啓 シンラの君へ”の巻

王羲之展に感化されて又々『西川寧著作集』をパラパラ読んでたら
 (いやー西川先生の本は勉強なるあるよ~)、
賢首大師の尺牘 が眼に飛び込んで参りました。。

あーそういえばこれがあったか ! !(・。・)b、、
不肖わたくし一度も実物を見たことはないんですが、
それでもこれは My Treasure として取り上げねばなるまいて... φ(..)カキカキ。。

「賢首大師尺牘」、またの名を「唐法蔵寄新羅義湘書」なんて言いますが
 (色んな呼び方があります)、
要するに唐の法蔵(賢首大師、香象大師とも)が新羅の義湘に送った手紙のことです。。
といっても法蔵?義湘?who?っていう方が多いでしょう。。
幸い我が日本国に両者を描いた絵があるでござる。

          From Me                   To You
b0283699_0232170.jpgb0283699_028885.jpg
  向かって左が法蔵(642-713)で右が義湘(625-702)。。

絵では法蔵の方が老けてますが、実際には義湘が兄弟子で17歳の年長。。
右の義湘の肖像は「華厳宗祖師絵伝」という高山寺にある有名な絵巻から取ったもので見覚えのある方もいらっしゃるでしょう。。一方法蔵の肖像は金で大定25(1185)年に描かれた絵を日本で鎌倉時代に模写したという珍品です(東大寺蔵)。

義湘は遥々新羅国から唐へ留学(661-671)して華厳宗第二祖智儼に学び、華厳宗を朝鮮に伝えた人。
法蔵は同じく智儼に学び、華厳宗の教学を大成して華厳宗第三祖となった人。
二人とも華厳業界では神レベル、ほとんど伝説上の人物のようなお坊さんたちです。。

この二人の間に交わされた直筆の手紙が残ってるって言うんだからビックリしますよね~。
しかもそれが本当に心洗われるような名筆中の名筆なんです!!!。・゚゚・(>_<;)・゚゚・。

(っ・ω・)つ
b0283699_22492233.jpgb0283699_22504530.jpg

(上は全体像、左は中央辺りの部分)

うーん、PCの画面で見るとなんか魅力が伝わらない気がするな~(って私も本物見てないから偉そうなことは言えませんが…)。
でも静かな夜にじっとこの書を見つめれば、誰だってこの千三百年前の書の持つ高く澄みきったひびきにと胸を衝かれるはず..まさに上善水の如し、しばしこれを見た後に改めて他の見慣れた書を見ると書家のケレン味が鼻につくようでびっくりします。。
禅僧の墨蹟なんかを見てもあまり書は人なりとは思いませんが、この尺牘からは法蔵の寛やかで清廉な人柄がしみじみ伝わって来ますよね。

坂本幸男氏の考察によるとこの手紙が書かれたのは西暦692~694年頃。
今は奈良県の天理図書館に所蔵されてるんですが、そこに到るまでの来歴も興味深いものです。。

最初にこの手紙が忽然と現れたのはなぜか元末の中国。。
別峯和尚という人がどこからか手に入れて鑑識眼のありそうな人たちに見せまくったらしく、1354~1364年の間の10人の元人の跋が附属しています。

あれれ??新羅に送ったはずじゃないの?と思ったあなた、そうですよね。。みんな同じギモンを持ったらしく跋を書いた元人から現代の学者まで新羅宛の手紙が中国で見つかった理由を色々考えてますが結局よく判らないようです。
ただこの手紙が確かに新羅まで届いたことは、その内容が「法蔵和尚伝」「円宗文類」「三国遺事」といった新羅末~高麗期の著作に引用されていることから間違いありません。

ん?それじゃそうした著作を見て作ったニセモノって可能性はないんでしょうか。。あるいは法蔵の真筆だとしてもこれは草稿とか控えで送った手紙は別だとか?

普通ある人の書が真筆かどうか確かめるには、その人の他の書と筆跡が同じか否かで判断するわけですが、この手紙以外法蔵の書というのは知られていません (というより7世紀以前の書で有名人が書いた肉筆の書なんてのは片手で数えられるほどしか伝存していません)。。
ですから厳密には法蔵の真筆と確認する手段はないんです。

西川寧氏もそこらへんを縷々考察してますが、結局の所これだけきちんと書かれて本物のオーラが出てる書は草稿や控えとも思えないし、ましてや後世の写しや偽物ではありえない、ってことみたい。。
ただ李丙燾氏は先に挙げた「円宗文類」「三国遺事」などの引用文とこの尺牘の語句に若干の違いがあることから、法蔵が新羅に送ったのは修正した別の一通で、この一通はそのまま中国に残されたのではないかと推測しています。まぁ、違いはわずかなもので引用の際の単純ミスかも知れません。。

美術史の世界では主観的だろうって言われても結局本物に見えるってことこそ本物と判断する最大の根拠だったりして、畢竟理屈じゃないってところは確かにありますな...

元末以降、この書の行方は再び杳として知れず...
明清の皇帝のコレクションに入ることもなく著名な収蔵家の過眼にかかることもなく、恐らくは江南の寺院あたりで数百年間静かに眠りについていたのでしょう。
再度この書が世に出たのは、嘉慶21(1816)年のこと。北京の琉璃廠に売り物として現れ、成親王(乾隆帝11子)はじめ清末の収蔵家の間を転々とします。

日本に渡ってきたのは1954年頃のことらしく、林朗庵という人(所有者ではありません)が買い手を求めて台湾か香港から持ち込んだようです。共産党政権成立後の数年には多くの名品が混乱を逃れて中国から流出しましたが、これもその一つということなのでしょう。

その時の売値は2万ドル(720万円)、当時の大卒初任給が1万円ちょっとということですからそれで換算すると今の一億数千万円位ですか。。王羲之展の記事でも書きましたが、戦後暫くの日本では中国からせっかく名品が持ち込まれても購うことができずアメリカに転売されていった例が多くあります。
この書もご多分に漏れずなかなか買い手がつかなくて東大寺(華厳宗大本山だからね~)や韓国(欲しくても朝鮮戦争直後ではね...)にも購入が打診されたようですが、結局天理教が手中に収めてその膨大な貴重書コレクションの一角に加えることとなりました。

あ、肝心の手紙の内容に全然触れてませんでしたわ(゚□゚) ハッ!。。
恐らく法蔵にとって義湘はその人物・学識において最も信頼に足る兄弟子だったのでしょう、曰く 「別れてから20年、修業も完成せず心も定まらない私(法蔵)ですが師の衣鉢を継いで「華厳探玄記」(華厳宗では名著中の名著らしいです)ほか幾つかの著作を完成することができました。それらを勝詮法師(新羅僧)に託して送りますから何卒ご教誨頂けませんでしょうか」、というような意味のことが仏教的な修辞を凝らして述べられています。

それにしても生きてる内になんとか実物を拝見したいものですね。公開の情報を掴んだ方はよろしく御一報お願い致します。m( ̄ー ̄)m


  【興味のある方の参考として】
今西龍1933「唐崇福寺僧法蔵致新羅華厳法師書」(未定稿)(『新羅史研究』)
        (現在台東区の書道博物館に所蔵される模本に基づいた研究)
西川寧1955「賢首大師の尺牘」(『書品』62、『西川寧著作集』第二巻に再録)
坂本幸男1955「賢首大師の書簡について」(『書品』62)
神田喜一郎1971「唐賢首国師真蹟「寄新羅義湘法師書」考」(『南都仏教』26)
李丙燾1971「『唐法蔵致新羅義湘書』(墨簡)について」(『ビブリア』48)
金知見1972「寄海東書考―特に五教章和本・宋本の背景について―」
         (朝鮮奨学会『学術論文集』第1集)
また渡部泰明氏が「中世文学に見られる異国人に関する研究―明恵と元暁・義湘を中心として―」という当尺牘の研究を含んだ課題で2005~2007年の科研費を受けています。
[PR]

by brevgarydavis | 2013-02-15 01:39