美術史の小窓 その8 ”こっ、このお札でもやってもらえませんか?”―1枚で2度美味しい石山切の巻―

いや~ベーコン展良かったですよ!やっぱまとめて見ると違いますね。
あんな上手で器用な画家だとは思ってなかったわー。没後作品が高騰してるのも分ります。。
意外と破天荒さには欠けますが、欧米のお金持ちにはあれ位のsmartな酸味がちょうどいいのかも。
ただ作品数が少なすぎるぜよ!腹六分目くらいで終わっちゃう感じですな (/´θ`)/ ベーコンダケニハラヘッタ。

で、今日はベーコンの話じゃなくって、この前山種美術館で見た石山切の話。
って今ネットで確認したら前期で展示終わっちゃってるし...
まぁ色んなところに所蔵されてて時々見かける作品なのでお付き合い下さい。m(。・ω・。)m。

このネタは話の都合上、お隣中国の宋元版から説き起こさねばなりませぬ(長くなりそ...)。

宋元版というのは宋(960-1279)や元(1271-1368)の時代に出版された本のこと。
その画期的な点は 巻物→冊子本へ 写本→印刷本へ という
東洋の書物にとって革命ともいうべき二大変化が起きたことです。

いや、正確にいうとそれらの変化は唐の後期、8~9世紀には既に始まっていました。
冊子本というなら仁和寺に空海等の筆にかかる「三十帖冊子」(804-806年頃)という本があり、
敦煌からは年代不詳ながらそれより古いと推定される冊子本も発見されています。
 (ただしこれらは印刷ではなく手書きの写本)。
印刷本というなら日本の「百万塔陀羅尼」(770年)や敦煌出土の「金剛経」(868年)があります。
 (ただしこれらは巻物)。
冊子本でかつ印刷本という書物もそのころから存在していたと思われますが、
現存例の出現は北宋も終わり頃まで待たなければなりません。
中国では宋代以降書物の形態は一変し、本といえば印刷された冊子本が当たり前になりました。
 (日本では違います)。
唐後期~五代という過渡期の遺品が極めて少ないこともあって、ザックリ言うと「唐代までの手書き巻子本の時代」から「宋代以後の印刷冊子本の時代」、という捉え方ができるわけですね。。

で今日は宋元版に関して何が言いたかったかというと、宋元版は胡蝶装(粘葉装)で
あった、ということなんです。

b0283699_0335919.jpg昔の和本とか漢籍というと紙を二つに折って糸で袋綴じにした装丁を思い浮かべますよね。左の『通典』の例でいうと普通右側に四ヶ所穴を開けて糸で括って1冊の本にします。。でもこれは最近数百年の比較的新しい装丁方法なんです。
実は元時代までは糸ではなく糊でくっ付ける”胡蝶装”という装丁が行われていました。
袋綴じの場合は字の書いてある面を山折にするので袋の中の見えない側に白紙の面が来ますが、胡蝶装の場合は逆に字の面を谷折にして白紙側の折目の所に細く糊をつけて前後の紙と貼り付けていきます。チョウチョの胴体の側面に糊をつけて何頭もくっ付けていくイメージですね(そうすると字が書いてある見開きと白紙の見開きが交互にくることになります)。
ただこの胡蝶装には糊が剥がれてバラバラになり易いという欠点がありました。そのため後の時代にほとんどが糸でしっかり綴じる袋綴じに改装されてしまっています。
左の『通典』、実は胡蝶装の原装頁を多く残す極めて稀な例なんです。

『通典』(存36冊の内)、南宋刊・元修、天理図書館蔵

上の図版でも左端に細く付けた裏の糊が染みた跡が見えますよね(1丁の紙の右半分しか写ってないのでちょっと想像しにくいですが、左が版心側、右がパラパラめくる側です。袋綴じとは逆ですね)。
宋元版はお経を除いてもざっと5000点位は現存するでしょうが(大陸に7割弱、日本・台湾に各15%、欧米に若干という感じです)、この『通典』のように原装を残しているものは数十点もないと思います。
鎌倉後期から室町初期にかけて宋元版を真似して日本で出版された五山版も本来は胡蝶装でしたが、こちらも原装を残すものはごくわずかしかありません(東北大本『景徳伝燈録』など)。

で、実は五山版のような漢籍だけでなく平安~室町の頃の和書でも同じく糊付けによる冊子本の装丁が普通に行われていました。これを粘葉装(デッチョウソウ)といいます。
粘葉装と胡蝶装、区別せずに使われることも多いんですが、以下に述べるような違いがあるので和書の場合は粘葉装、宋元版や五山版の場合は胡蝶装と使い分けた方が良いと個人的には思います。

違いの一つは和書は手書きの写本なのに対して、宋元版などは印刷本であること。
さらに宋元版・五山版では必ず片面にしか印刷されませんが、和書では裏にも書写(両面書写と言います)されている場合が多いこと。。
これは宋元版は紙が非常に薄くて透けてしまうため両面印刷が不可能なのに対し(ただし改装の際に別紙を裏打ちされた結果一見薄く見えないもの多し)、和書は紙が厚いので可能なことです。
さらにこれと関連して和書では大抵糊付けの幅が広く(1cm位)、糊代の部分に折目が付いていることが多いのも重要な相違点。宋元版では糊付けされているページは白紙の見開きになるので開く必要がありませんが、両面書写の和書では読むために開く必要があるので、ある程度丈夫、かつ余計な力が接着面にかからないようにするためだと思われます。
結果耐久性があったのか宋元版・五山版に較べれば改装されずに原装を残すものが多いようです。
また改装するにしても、両面書写本の場合袋綴じにしてしまっては裏面の文字が見えなくなるため、紙の真ん中で糸綴じする綴葉装(テツヨウソウ)という装丁が用いられます(今のノートと同じ綴じ方ですね)。


それでようやく本題。。件の石山切も元々は粘葉装の両面書写本だったんですわ。

b0283699_15531514.jpg石山切に関してはWikipediaの「西本願寺本三十六人家集」のページが良くできているので詳細は省きますが、西本願寺が所蔵していた『三十六人家集』39冊(1112年の白河法皇の還暦祝いに贈られたものという説が有力)の中から宗教女子大学設立の資金を得るため昭和4年に「貫之集下」「伊勢集」の2冊を解体して古筆切とし石山切と名付けて好事家に売り出したものです。

金銀箔や砂子、雲母刷り、墨流し、彩色下絵、破り継ぎ、重ね継ぎなど善美を尽した料紙に当時を代表する能筆20人が和歌を認ためたまさに王朝の美意識を体現する珠玉の冊子本(片手に載るようなホントちっちゃい本ですけどね)。。たちまち多くのコレクターの求むるところとなり、掛軸となって床の間を飾ることとなりました。


     石山切(伊勢集)、20×16cm、梅沢記念館蔵

「貫之集下」は43枚、「伊勢集」は48枚、1枚当り見開き2頁×裏表で4ページありますからこの小さな2冊の本から最大でなんと364本もの掛軸ができることになります(実際には見開き2頁分のまま軸装されたものなども結構ありますからそこまではいきません)。

でも皆さん、あれっ?って思いませんでしたか?
石山切は先に述べた通り両面書写の本のはず...掛軸にしたら裏の字が見えなくなるのでは??
私も長い間疑問だったんですよー。まさか1枚の紙を2枚に剥いじゃうってことはないよねー。

と、思ったら...そのまさかなんですわ~!!∑( ̄ロ ̄|||)really!?

だって普通の紙ならまぁ分かりますよ、和紙ってのはよくテレビとかで見るように水の中で何度かチャッチャッって漉き重ねてますもんね。自然に層が出来てるはず。。悪い人が1枚の水墨画から合い剥ぎで2枚の絵を造っちゃうなんて話も聞きます。

でも上の石山切を見て下さい!何枚かの色違いの紙を継いで一枚の料紙にしてるんですよ!特に右上・右下の紙のつなぎ目がそれぞれグラデーションになってるのが分かりますか?これは細く破いた色変りの紙を何枚か丁寧に繋いでいく重ね継ぎという技法。。
これどうやって2枚に剥ぎますのん?一遍にやろうとしたら絶対ビリッって行きますやん?一回全部解体してからそれぞれ2枚に剥がして再びくっ付けんのかな?未だに謎だらけだわ~!!

美術館でいくら見てもこういうのは分かりませんね~。
以前詳しそうな人に聞いたら「出来てるんだからどうにかすりゃ出来るんだろうな~」とのこと...
分かっとるわ!そんなことは!!
他の人もこんな細かいことはあんまり興味なさそうでした...(悲)。

実は石山切には2枚に剥がさずに上手く窓の中に嵌め込むように表装して、表裏リバーシブルに鑑賞できるようにしたものもあります。
例えば湯木美術館のコレ。。
b0283699_083738.jpgb0283699_04827.jpg
(表面)                           (裏面)
あれっ?...(表面の向かって)右部分は裏表対応してるような気がするけど、左は明らかに違う...
対応してる方も単純に裏表同じ色じゃないですね。。重ね継ぎの部分がそれぞれずれてるからか...
じゃその部分は細く切ってるじゃなくて4枚も5枚も厚く紙重ねてるってこと?...
うーん、図版見てあれこれ空想してもしゃーないですね。。
頼むからだれか説明してくれ~ヘ(*′Д`)ノ゛ helр me! !。。

自分で買って実物確かめられればいいんですが、宋版も石山切もフェラーリくらいするんですよ~。。
自転車も持ってないのにムリだわ...

しかし考えて見ると...三十六人集全部解体したらフェラーリ数千台分になるな...
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by brevgarydavis | 2013-03-16 23:02