Today is a perfect day to die...☆。.:*:・'゜ヽ( ´ー`)ノ ~♪

今日(3月27日)は満月ですね。東京では桜が早くも満開です。
とくれば西行のあの有名な歌を思わないわけにはいかないでしょう。

願はくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ

b0283699_21343617.jpg今日は旧暦では2月16日。
あれ?満月って旧暦だと15日じゃないの?って思った方もいらっしゃるかも。実際には旧暦で満月になる日は大抵16日か15日、時々は17日、ごく稀には14日になることもあります。これは旧暦では朔(=新月、月齢0の瞬間)を含む日が月が立つ日(一日=ついたち)と決められている訳ですが、一日の何時頃に朔の瞬間が来るかということと、朔から満月までの期間が月が円軌道ではなく楕円軌道を廻っているために13.9~15.6日の範囲で変化するということによります(地球が楕円軌道で廻っていることも少しは影響します)。
如月の望月は3月4日~4月6日位の範囲で毎年変動しますから、桜の咲く季節と重なるのは今の近畿地方でソメイヨシノとすると3~4年に一度ぐらいでしょうか。西行の愛した吉野の山桜ならめったにはなかったはずです。

実際に西行が南河内の弘川寺で亡くなったのは文治6(1190)年2月16日のこと。現在のグレゴリオ暦でいうと3月30日頃に当たります(ユリウス暦では3月23日)。
この年も2月は16日が満月。。都の知人たちは西行がかねて詠んだ歌の通りの日に生涯を終えたことに驚き、その見事な最後を讃歎して已みませんでした。
難しく解釈すれば、月は仏道の悟りの象徴、桜の花は和歌など日本文化あるいは俗な世界の象徴ということになるのでしょうが、それ以前に西行はとにかく月と桜がただただ大好きだったんですよね。。もちろん如月望月と言えばもう一人の偉大な人物の命日でもあります。
そう、お釈迦様でございますよ~。O(-人-)O アリガタヤ・・。

松村景文「月に桜花図」、116×46cm、京博蔵

昔は旧暦2月15日には日本全国いたる所で涅槃会が行われていました。その証拠が今に残る涅槃図。
宗派を超えて大抵のお寺に所蔵されているので仏画の中では一番数が多いと言われています。
現在では新暦の月遅れで3月15日に涅槃会を催すお寺が大半になってしまったため、残念ながらおぼろな満月の下で時には万朶の桜を眺めながらお釈迦様の死を悼むという風情は失われてしまいました。
でも西行は73年の生涯の内には何度かそうした忘れられない美しい涅槃会を経験したのでしょう、それが上の歌のような素直な希求となって表れたのだと思います。

西行と同時代の適当な涅槃図というのが中々無いので、もうちょっと後の1幅を挙げときましょう。

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               「仏涅槃図」、202×179cm、鎌倉前期、和歌山・浄教寺蔵

皓々と照る2月の満月の下(5月だったという説もあり)、沙羅双樹の木に囲まれて入寂した釈尊が
静かに横たわっておられます。周りにはそれを聞いてやって来た多くの衆生の嘆き悲しむ姿。

恥ずかしながらわたくし、最近まで涅槃図をそんなに感動的な絵とは思いませんでした。
 ただ古い絵が沢山あるので、時代ごとの腺の質や人物表現などを見るのには好都合だなーぐらい。
だってお釈迦様の死に方ってあんまりパッとしないんですよね。。
 イエスみたいに罪人として磔になって終わるってのも陰惨過ぎる気がしますが、
お釈迦様は八十まで長生きした挙句最後はお布施で貰ったキノコにあたってポックリ亡くなるという...
 (キノコを布施した張本人のチュンダって人が「あ~やってしまった、替りにこれを~」て山盛りのご飯
   を掲げてお釈迦様のすぐ下に描かれてますね。左隣は名前は忘れましたがお医者さんです)

でも一昨年東博で涅槃図を何気なく見ていたら、
 (上の絵じゃないんですよ。東博の12世紀に遡る涅槃図がとっても良い作品なんですけど
  状態が悪くて画面では図様がほとんど見えないので、替りに浄教寺の絵を載せました)
なんだかお釈迦様が、それまで思っていたような悟りきって澄まして死んでいったような人ではなくて、
本当に苦労して苦労してつらい生涯を生きてきた人が、
死んだ後にようやく求めていた安息を得て静かに横たわっているように見えて、
苦の果ての寝釈迦尊しという思いに涙が止まりませんでした。



(つづく)
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by brevgarydavis | 2013-03-26 22:55