その思いはプライスレス...若冲や芦雪ならマスターカードで。。

早くしないと又せっかくの展覧会が終わっちゃうので、、ハンセン病資料館の企画展示の前に
今盛岡で開催されてるプライスコレクション展を軽くご紹介。
 (といってもあんまり展覧会自体には触れませんが...)

美術に興味のある方は既にご存じの通り、米国の江戸絵画コレクター、ジョー&エツコ・プライス夫妻が幾許かでも東日本大震災の被災者はじめ東北の人たちの慰めになれば、とコレクションを貸与することを申し出てくれて実現した展覧会 (かたじけないことですね...(´;ω;`))。

私が行ったのは仙台での最終日、かつゴールデンウィークの最終日というゲロ混みの仙台市博物館。
おかげでほとんど図録買いに行ったようなもんでしたわ~(そしたらAmazonでも売ってるし)(爆)。
ちょっと前にテレビでこの展覧会で来てる芦雪の絵を紹介してるの見たら(テレ東で毎週土曜夜10時に放送してるあれ、なんていう番組でしたっけ?)、岩手県立美術館での展示が比較的新しい館だけあって一番快適に見られそうな感じかな(7月15日まで)。
あるいは東京方面からの交通費を安あがりに済ませたい方は、夏休みに福島県立美術館で見るというのもおススメです(7月27日~9月23日)。


しかしまぁー最近の若冲人気は凄いですな。。
この展覧会のタイトルも
「若冲が来てくれました」ってのがデカデカと。完全若冲単押し。
100点以上の出品作のうち若冲は17点だけで他の人たちも沢山来てくれてるんですけどね。

2006年に東博で開催されたプライスコレクション展がその年の1日当りの入場者数世界最多の展覧会になった時も驚きましたが、去年ワシントンD.C.のナショナルギャラリーでやった「動植綵絵」の展示がやはりアメリカでの2012年1日当り入場者数最多の展覧会になったのには更にビックリしました。

だって”Jakuchu”なんて言ったってアメリカではほぼ無名。。
それが過去のナショナルギャラリーでのモナリザ展やツタンカーメン展、ゴーギャン展、フェルメール展といった歴史的なブロックバスター展に匹敵する入場者数だったというんですから日本人としては誇らしいのを通り越して「なんで?」という気持ち(実は私、そこまで若冲好きでもないんですわ...)。

ワシントンに桜が贈られて100年記念だったとかNYタイムズはじめ展評が絶賛してたというのもありますが、行った人の感想をネットで読むと本当に「動植綵絵」に多大な感銘を受けた人が多くて口コミで人気が広がったみたい。。
やっぱりあれだけ濃密絢爛な大連作というのはどこの文化圏の人の目でも無条件に引きつけると思いますし、Zen の絵だってのを強調してる記事や感想も多かった。。キリスト教の宗教画の連作なんかと頭の中で較べてみて、彼我の違いにショックを受けたというか、草木国土悉皆成仏みたいな東洋的仏教的世界観を感じたアメリカ人も多かったんじゃないでしょうか(田舎からサクラ見に出て来たアメリカ人観光客を買いかぶり過ぎかなー?)。


若冲の人気がこれほどまでに至ったのには、大きなきっかけが二つありました。
まずは1968年、辻惟雄氏が「奇想の系譜」(『美術手帖』誌上に連載)で若冲を取り上げたこと。
 (これを受けて1971年には初めての本格的な若冲展が東博で開催されました)
ただこの時には知名度は美術好きの人止まりで、一般の人々の間にまで若冲という名前が浸透することはなかったと思います。

次のきっかけは2000年に京都の国立博物館で大規模な回顧展が開かれたこと。
ここからの十数年間の若冲人気はまさに右肩上がり、ブームと云っても良い位。。あれよあれよという間に若冲は北斎や雪舟にも並ぶほどの日本人なら誰でも知ってる画家の一人になりました。
Cinii で若冲関連の論文を検索してみても、
  1968年迄は6件、1968~2000年が56件、2000~2013年が123件という激増ぶりです。

でも若冲は辻先生が取り上げる以前にも決してマイナーな絵師という訳ではなかったんですよね。
存命中は京都の絵描きの中でも応挙らと並んで屈指の評価を受けていましたし、近代に入っても岡倉天心の『日本美術史』(c.1890~92) や『稿本日本帝国美術略史』(1901) などの中でもちゃんとそれなりの重みを持って取り上げられています。今手元にないけど(カビアレルギーなので小汚い古本はみんな売っちゃったんですよ~≧0≦)それ以降の一般向けの日本美術の通史でも名前くらいは出てたような記憶があります。
東大の美術史の学生でも若冲なんてほとんど知らなかった、って辻先生は語ってますが、昔の学生は一般向けの通史とかは読まなかったのかな~?確かに当時の日本美術史ではその辺の画家はほとんどマトモに論じられていなかったのは全くの事実なんですが...(なぜそういう扱いになったのかは長くなるので又の機会にでも...)。

近年の若冲再評価において辻惟雄氏が最大の功労者であることは云うまでもありません。
しかし美術史家が注目したものだけが美術という訳でもないですし、コレクターや骨董商、明治生まれの絵描きさんなど「若冲?当然知ってるよ」という人も実際にはゴマンといたはず。。
美術史と言っても受容史を考える際にはもうちょっと重層的な語りが必要という感じはしますね。
 (最近「当時は無名だった若冲が…」というような論評が多くて何となく気になってたので...)

おまけとして、
b0283699_03039100.jpg大正15年の秋に東京帝室博物館(表慶館)で開催された初めての近代的若冲展の絵ハガキ。
「動植綵絵」が相国寺以外で全幅展示されたのもこれが最初なんだそうです(秋山光夫氏解説)。
翌年には恩賜京都博物館、1961年には山形の本間美術館でも若冲展がありました。
b0283699_145138.jpg
 
  (小さくて字読めないですよね。。クリックで拡大とかの方法が分んなかったので...すいません)
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by brevgarydavis | 2013-07-20 13:52