【承前】 日の本の癩者に生れて...その2(企画展示の巻)

今回は前々々回の続きで国立ハンセン病資料館で開かれている企画展、
「一遍聖絵・極楽寺絵図にみるハンセン病患者~中世前期の患者への眼差しと処遇~」
を御紹介。

小さな展示室なので展覧に供されているものは多くはありません。
1.「極楽寺境内絵図」と若干の出土品(極楽寺蔵)。
   (14世紀第2四半期頃の極楽寺最盛期の様子を描いた江戸時代の境内図)
2.「一遍聖絵」(清浄光寺ほか蔵)の複製と拡大パネル。
   (正安元年(1299)に制作された有名な12巻本の絵巻)
3.「一遍上人縁起絵(遊行上人縁起絵とも)(清浄光寺蔵)の複製(6/22~7/5のみ江戸時代の写本を展示)
   (14世紀初めに制作された一遍と他阿真教の伝を描いた10巻本絵巻の模本の模本)

と、これだけ。しかも1以外は複製ですから特別興味があるっていう人じゃなきゃ行く価値ないかも。。
しかし私はなにげに特別興味のある人なのであった...。


実際行ってみると、複製は良く出来てましたし拡大パネルも想像以上に効果的。ひじり絵全巻を是非拡大パネルで見たいぞ!と思った位。展示品が少ないなりに一定の満足感は得られました。
一方残念だったのは、単に中世の絵の中で癩者や施療施設が描かれている作品を並べました、っていう以上の意図をほとんど感じられなかったことですね。ハンセン病資料館ということで、仏教が近代以前の癩病差別にどう加担し一部の宗教者がそれにどう抗ったのか、それが民衆の癩病観にいかなる影響を与えたのかなど、もっと突っ込んだ解説を期待したんですがそういう気合いの入った展示ではありませんでした。
多分学芸員の方々の専門が近代以降のハンセン病史中心で、中世史や絵画史に詳しい人がいないのではと想像しました。。

それじゃ不肖わたくしが...というような学識は残念ながら無いので以下素朴な感想を二つ三つ。。
 (大体「一遍聖絵」についての話ですけどね)

この「一遍聖絵」、数ある日本絵画の中でも様々なアプローチを許す本当にたぐい稀な作品。
逆に言うと「一遍聖絵」を通して他の絵では窺えない鎌倉時代の多様な一面が垣間見えるということ。
70年代くらいまでは単純な仏教史&美術史方面からの研究が主でしたが、近年はそれに加えて次の二つの研究手法が目立つようになってきました。

一つ目は、ひじり絵に描かれた多様なモチーフを、文字資料に残らない歴史を解明する手がかりとして用いる絵画史料論的アプローチ。。
昔からある図像学的研究の延長とも言えるけど、民衆の生活文化に光を当てようとする日本の民俗学やフランスのアナール学派などの影響を受けて試みられるようになった手法という面が強いのかな~。我が国の中世の絵巻物は世界的に見てもこの手の材料の宝庫なんですが、中でも「一遍聖絵」は今回の癩病患者の様子などのように普段他の絵巻に登場しないモチーフを豊富に含む異例の絵巻。
黒田日出男さんの「絵巻物と中世身分制」(『境界の中世、象徴の中世』,東京大学出版,1986所収) あたりを嚆矢として既に多くの研究があります。

もう一つのアプローチは、最近やたら目にする「まなざし」論。多分フーコーの"le regarde" をヒントに美術史では80年代以降ノーマン・ブライソン(江戸時代に関する本を沢山出してるタイモン・スクリーチさんの先生ですね)なんかが、絵の中の"gaze (なまざし)" を読み解くっていう手法を提案し始めたんじゃないかと思うんですが...(ここらへんのムツカシイ話は疎いので信用しないで下さい)。まぁ要するに芸術作品の中に潜む隠された前提としての”上から目線”とか”男目線”とかを見付けようという話(多分)。西洋絵画によくある、意味もなくオッパイぽろんなんていう絵が male gaze(男目線)の絵だ、なんてのは私にも分かりますが、共感できない強引な説も多いような気がするかな...。

ここ20年位はとりあえず「まなざし」とか「視線」って付ければ今時の研究っぽいだろう感じで乱用されてる感もあったりして...(この展覧会でもせっかく副題に「~中世前期の患者への眼差しと処遇~」ってあるのになんのつっこんだ分析もなし!一遍聖絵ほど豊富な突っ込み所がある絵は他にないのにね~)。

「一遍聖絵」に癩者など被差別民の描写が多いというのも、結局のところ他の絵巻制作者とはそれらの人々に対する人間観や眼差しの違いが根底にあるからに他なりません。多くの絵巻を横断的に見ていくと「年中行事絵巻」などに代表される他の中世の絵巻においては、民衆は貴族階級に対置される軽躁かつ周縁的な存在として”上から目線”で描かれるのに較べて、一般民衆から賎民に至るまでを分け隔てなく誠実な生活者として描く「一遍聖絵」の視線は極めて特異なものであることが実感できます。

そうした違いは実は2の「一遍聖絵」と3の「一遍上人縁起絵」との間にもあるんですよね。

「一遍聖絵」の方は異母弟とも言われる聖戒を中心に恐らくは純粋な一遍追慕の念で制作されたもの。
宋元の山水画に触発されたかと思われる広漠とした山河表現を背景に、賦算一筋に決然と歩み続ける一遍の姿が英雄的に写し留められています。

それに対して「一遍上人縁起絵」の方は、他阿真教が一遍の正統な後継者であることを示そうとする宣教的意図が明白な作品(全10巻のうち後半6巻は真教伝)。鎌倉後期に多く制作された他宗派の祖師絵伝類と同じく説明的描写が多くて「一遍聖絵」に較べると単調かつ類型的な感は否めません。

癩者の描写も、今回の展示でも提示されていた巻三の甚目寺で施しを受ける場面を除くと、登場する回数も少なく実感の伴わない絵画的イディオムに堕してしまっている感があります。あまつさえ巻六の詞書には「(もし教団の戒を破ったら)今生にては白癩黒癩となりて、後生には阿弥陀仏の四十八願にもれ三悪道に堕て永く浮かぶべからず」と誓う場面さえ出て来ます。「約束を破ったら癩病になっても文句は言いません」というのは中世の起請文の決まり文句ですが、教団を頼りにしていた癩者達に対してはいかにも配慮のない言葉ですよね...。当時は病者の側も神罰だ業病だというのを当然のこととして受け入れていたのかも知れませんが、信仰とは当人が阿弥陀仏と結縁すること以外の何物でもないと考え、教団を作ることにも否定的だったと言われる一遍が生きていれば、何を余計なことをと一蹴したに違いありません。


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(つづく)
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by brevgarydavis | 2013-07-31 16:51