カテゴリ:未分類( 65 )

国立西洋美術館外からのお知らせ

ハードディスク毀れました(涙)。
もう3,4ヶ月前ですけど。
激しく脱力、、西美のデル・サルトやフェルメールの感想書く元気も湧かず...

普段外付けのHDに画像とか保存してて、
時々もう一台のHDにそれをバックアップしてたんですが、容量の関係で
一旦バックアップ用HDの前データ全部消去してから新しくバックアップしてたんです。
それがよりによってデータ消去したタイミングで元データHDも破損というありえない展開!
何日か前からカタカタ音がしてたんでバックアップを急いだのが裏目だった...。
日本美術や中国美術中心にスキャンしたり撮影したりした画像20万枚以上入ってたのに
全てパー。気持ちいいくらいにクルクルパー。。笑っちゃいますね。

データリカバリーできるかどうか診断できるフリーソフトで調べてみようとしたんですけど
診断終了まであと600時間かかりますって表示が...うそだろーって思い1日つけっぱなしに
してみても、ちょっとしか進まず。
へぇ~ホントに600時間かかるんだ~、、、ってやってられんわー!!
データ復元っていくらかかるんでしょうね。数万円ならいいけど数十万じゃなぁ...。
 
でも何かを失った時に感じるこの自由さは何だろう...?
犬が死んだときに心の中で思った、悲しさとウラハラの
「もう散歩連れてかなくていいのか...」みたいな...(ポチごめんな~)



ま、うちのデータ管理状況書いてもしょうがないので
数ヶ月前に書こうと思ってた国立西洋美術館のアンドレア・デル・サルトについて一言二言。

西美がデル・サルト買ったってのをネットで見て
頭に浮かんだのは2000年1月28日N.Y.サザビーズに出て話題になった下(左)の作品。
 (100~150万ドルの評価で出品、下限の100万ドルで落札)
近年デル・サルトの油彩の出物なんてそれ以外に記憶になかったですからね。
西美のサイトに画像が掲載されたのを見たら、やっぱその聖母子像だったあるよ。

なんでそんな昔のオークションを覚えてたかというと、
発見、出品の経緯が一般のニュースになる位話題になった絵だったからです。

この絵、もとは20世紀初めにクララ・ウィンスロップという人がマサチューセッツ州の小さな教会に寄贈したもの(ちなみにウィンスロップ家はマサチューセッツ湾植民地初代知事のジョン・ウィンスロップから続くニューイングランドの超名家で、ブッシュ前大統領やケリー国務長官も血縁の一人です)。
寄贈者も教会も200年位前のコピーだろうと思ってて近年は倉庫に放置されてたんだそうです。
オールドマスターズの絵には時々ある再発見ストーリーですね。

で、サザビーズとしてはなるべく劇的な発見という風に盛り上げて
高く売りたかったんでしょうけど、結果はいま一つでした。
率直に言って絵自体が精彩を欠くものでしたし、
後にサザビーズが作品の状態を正直にレポートしてなかったんじゃないか、工房作とするのが妥当なんじゃないかっていう疑惑も持ち上がりました。
さて、この絵、実は同じ図柄のヴァージョンがオタワの国立美術館にあるのが以前から知られていました(下の右の絵)。

b0283699_056339.jpgb0283699_0581791.jpg            向かって左が西美が買った作品。右がオタワ国立美術館蔵。   

二つの作品を較べてみると、、
オタワの作品の方には、ポントルモやロッソ・フィオレンティーノに受け継がれる白けた感じのカラフルな色彩やスフマート、あるいはサルト独特のやや陰りのある表情なんかがよく表れてて間違いなくサルトの真作だと思うんですけど、西美の作品は全体にいかにも硬い感じで、顔の表情にも深みがなくのっぺりした印象ですよね。。
状態も良くないし、西美の解説パネルが近年の補作(19c~20c初め位の意?)という背景の緑がかなり不快なのを除いても正直あまり優れた作品だとは思えん。

では以前のオークションの時に問題となったように基本工房作なのかというと、隣に展示してある弟子のプリーゴの作品よりも肉体表現なんかには確かにデル・サルトの特徴がよりはっきりと現れてる印象がありますから、やはりサルト本人の手はそれなりに入ってるのかも知れません。まぁ、未完成で工房に放置されてた作品に色々な手が加えられて今の形になっているというようなところですかね。

この絵、2011年にも250~350万ポンド(当時のレートで3.2~4.5億円位)のエスティメートでクリスティーズに出品されてましたが、不落札になったようですし、シンガポールなんかでも売りに出されてたらしい。
この絵に西美が払いましたる大枚は7億1025万5千円!!
結局2000年のオークションの時からブツブツ言ってたマティーセン・ギャラリーからの購入。

正直税金払ってる一国民として、この購入を決めた学芸員の判断には賛成しません。
確かにデル・サルトの絵を買えるチャンスなんて今後まずないでしょうから欲しくなる気持ちは分かるけど、我慢して欲しかった。。

テキサスにキンベル美術館っていうルイス・カーンの建築で有名な美術館があります。
ゲティ美術館やクリーヴランド美術館と並んで潤沢な購入予算を持ってる金満美術館です。
しかしコレクションの質では他の二館に大きく劣ると思います(もちろん中には大変優れた作品もあります)。蓋しこの美術館は画家の名前だけで絵を買う悪いクセがあるのが原因かと。キャプションの名前だけ見てたらもの凄い超一級コレクションなんだけど、実際に心躍らせ眼を楽しませるような作品は少ない。
西美にはそういう美術館にはなって欲しくないんですよね~(一枚で心配し過ぎか...)

とくに(たとえ真作でも)明らかに優れたヴァージョンが別にある絵は買うべきではないと思います。論文でも図録でも必ず「より質の低いレプリカが東京にある」、って言及されちゃいますし、西美ファンとしては、高級品でこそなくとも質実で作り手の心が伝わるような作品を一点一点集めてきたセレクトショップに、突然まがいもんのブランド品が並べられたような不快感、違和感があります。
西美も伝ルーベンスの「ロトとその家族」で懲りてると思ってたんだけどなぁ~。。
 (いや、「ロトとその家族」は高く買ったのが問題なだけで必ずしも悪い絵ではないです)

なんか急に購入予算が増えたら、買い方が雑になってきたような気がするなぁ~。
勿論オタワの作品も確認しに行ってると思うんだけど、何故買った?
やっぱりオークションで直接買えるようにしないと、選択肢も少ないし金も無駄でしょうがないですよ、国会議員の皆さん。。



、そんなこと言ってるうちに一年の経つのは早いもので、
又々西美の新規調達情報が!!
なんかこのブログ...最近は西美の広報係でもやってるような気がするな...

ま、それはそれでいいんだけど、、
今のところ今年度の新収品として西洋美術館は以下の①~⑤の5件の作品(6点)を
購入したようです。
何ヶ月かの内にはホームページに載ると思いますが、
一応作品名から分かることをいくらか調べてみましたよ(間違ってたらご勘弁)。
 (最近は官報の全文がネットで簡単に見られなくなっちゃたので価格は分かりません。
  どなたか会社の有料サービスで全文見れるとか、図書館で見てくる暇があるとかいう方は
  分かったらお教え下さい)


バルトロメオ・マンフレーディ(Bartolomeo Mandredi,1582-1622) 「キリスト捕縛」
 これは去年のサザビーズの展示即売会に出てた下の作品で間違いないと思います。
 マンフレーディはカラヴァッジョフォローワー(いわゆるカラヴァジェスキ、もっと広くテネブリズムなんて言い方もあり
  ますね)を代表する画家の一人で、実際にカラヴァッジョに弟子入りしていた時期もあったと考えられている画家です。

b0283699_310531.jpg
 その後ロンドンの某有名ギャラリー(割と詳しい解説あり)を経て、西美が買った模様。
  (さっそくギャラリーのホームページでSOLDになってるし...)
 
 実はその前には2002年ウィーンのドロテウムでマンフレーディ周辺作として
 5万ユーロで落札された作品。
 洗浄したら質の高い真作だったというなんだかカラヴァジェスキの絵にはよくある展開。
 西美はいくらで買ったんだろ...怖いなぁ~。200万ユーロくらいならしょうがないけど、
 もっと高く売りつけられてる気がする...。

 「キリスト捕縛」というとなんといってもカラヴァッジョ先生の下の絵が有名。。
  (1990年に200年ぶりにアイルランドで発見されて大いに話題になった作品。
   同構図のもう1枚は何年か前にウクライナの美術館から盗まれた後、悲惨な状態で回収されてこれも又話題になりました)

b0283699_3152173.jpg
 こうして並べてみると(まぁ大樹の陰のマンフレ君には気の毒な話ですが)、 
 やっぱカラヴァッジョは劇的な構図や表情にしても、光の当て方にしても格段に上手いな~。
 兵士の肩甲をド真ん中に置いてハイライトを当てるなんて子憎くたらし過ぎる!!
 無抵抗な救世主を左に追い詰める横暴な権力。
 悲劇に向かう運命を指を組んで諦念とともに受け止めるかのようなイエス。

 兵士を左右に配置し、イエスに驚いたように手を広げさせたマンフレーディの作品と比べると
 その天才ぶりは一層際立ちます。
 
 でもマンフレーディはこのちょっと抑制されたぼんやりとした表情やありきたりなポーズ
 なんかが彼独自の魅力であるのかも知れず、
 長いこと見ていると、いかにも演出されたドラマの一場面のようなお師匠さんの精到な作品
 よりも、むしろ訥々としたなにがしかの真実味が湧いてくるようにも思います。

 このタイミングで買ったってのはやはり来年やるカラヴァッジョ展の布石ですかね?
 西美には狭い意味でのカラヴァジェスキの作品というと
 あんまり質の良くないテルブリュッヘン(派)の作品があるくらいで
 展覧会に並べて出すにはちょっと恥ずかしかったんですが、
 このマンフレーディの作品なら堂々と出せますからね。

 あ、そういえばかつてはコレクターとして有名だったレオポルド・ヴィルヘルム大公の
 コレクションに入ってたみたいで、大公の美術品の管理や購入を任されてたお抱え画家の
 D.テニールス(子)の絵にも書き込まれてるみたい。
 多分下の絵の中央やや右上に描かれてる作品だと思うけど反転してますね?違うんかな?
b0283699_373583.jpg
 D.テニールス(子)「ブリュッセルのレオポルド大公のギャラリー」,96×128cm,1640,シュライスハイム宮殿(ミュンヘン)

エヴァリスト・バスケニス(Evaristo Baschenis,1617-77) 「楽器のある静物」
 バスケニスは楽器の絵がオハコで沢山ありますから購入作を特定するのは難しいですね。
 個性的・魅力的な静物画家なので質の高いものなら大歓迎。。
 自分としてはリュートや地球儀が描いてあればなお嬉し。
 西美は去年もファン・バン・デル・アメン買ったし、なにげに17cの静物画が
 充実してきましたな。

アンゲリカ・カウフマン(Angelica Kauffmann,1741-1807)「パリスを戦場へと誘うヘクトール」
 これは恐らく去年のオークションに出てたこの作品かと。
 まぁそこそこの絵かなーと思いますけど、女性画家の作品が入るのは良いですね。
 近年西美が買う18cの絵はカプリッチョとか風景画系ばっかりだったし。

 最初ややラフな筆致からシェイクスピアの『トロイラスとクレシダ』の挿絵版画のための
 油彩スケッチなんじゃないかと思ったんですが、サイズが大きすぎるしクリスティーズの
 解説にもそんなこと書いてないので、やっぱりホメロスのトロイア戦争の一場面を描いた
 神話画(歴史画?)と見るのが正しいようです。

 カウフマンは今回購入した中では一応一番のビッグネームかな。
 それには現代における英語の影響力も大きいと思う。
  (彼女はドイツ系スイス人ですけどロンドンで長いこと活躍しました)
 なんか大陸から英国に渡った画家って、大陸内での移動とは微妙に扱いが違いますよね。
 英語文献で読むからなのか、英国はやはりヨーロッパではないのか...

 ちなみに同じくスイス出身のフュースリとは同い年でロンドンに渡った時期もほとんど同じ。
 西美はフュースリの大作持ってるので、他のロココ絵画からの良い橋渡しになりそうです。
  (そうなると18-19cの英国絵画ももう少し欲しくなっちゃいますね)

レオン・ボナ(Leon Bonnat,1833-1922) 「パヌーズ子爵夫人の肖像」
 ボナっていうと国内では19cのフランス絵画の展覧会で時々1~2枚出品されてるのを見る位
 ですが、欧米の美術館にはかなり入ってるので当時は人気があったんでしょうね。
 カイユボットやロートレック、ブラック、デュフィなんかを教えたこともあり、
 エコール・デ・ボーザールの学長までやった人です。

 今wiki見たら、お父さんがマドリッドで書店やってた関係で10代の何年かをスペインで
 過ごしたらしい。ヴェラスケス風の肖像画もそれなら納得。
 当時のフランスではスペイン趣味がかなり流行ってたってのは(マネなど)有名ですけど
 彼のはそれに乗っかっただけじゃないんですね。

 西美にも近年買ったドレの「シエスタ」とかクールベの「ジプシー女」とかがあるので、
 ゴヤやピカソあたりまで絡めて「19世紀のフランスとスペイン、交差するまなざし」、ってな
 展覧会でもやって欲しい。

 ここ日本だとむしろボナの名は本人の絵よりも五姓田義松が師事した画家として知ってる人の
 方が多いかも。
 もしかして神奈川県博で19日から始まる五姓田義松展に合わせて買ったんかな??
 いや、それはないか。。でも一応タイムリーな買い物かも知れん。

ラファエル・コラン(Raphael Collin,1850-1916) 「楽」「詩」
 どんな絵か分かんないけど、まぁコランお得意の田園風景の中に女性を配した寓意画
 の類ですかね。
 昔やったコラン展に出品されてたような気もするけど図録買わなかったので確認できず。
 いずれにしても西美がわざわざコラン買うってのは国内のコレクションに入ってた作品
 なんだろうと思います(あるいは上のボナの作品も?)。


以上全体としては今年は一般の知名度はないけれど、オールドマスターズ好きのファンや研究者には、おっ!と思ってもらえる渋めのセレクトという感じがします。。
基本こうした美術史的なツボを押さえた収集をベースにするのは大賛成です。
時々はキャッチーな絵やメジャーな画家も買っとかないと
花がなくて一般の人には??ってな絵ばっかりになっちゃいますけどね。
それが名前ばっかで質のイマイチな作品に7億円じゃ困るんだけどさ...(俺もしつこいな)

以上特にオチもなく去年今年の西美新収品批評の回でした。。
 (あ、東近美のフジタの小企画展も良かったですよ。お暇な方は是非!)

→私は昔から見たかった未公開の戦争画が見られて図録も買えて良かったんですが、
  友人は陰気で気分が滅入る展示だったとの感想。。確かにそれはそうかもな...
[PR]

by brevgarydavis | 2015-09-15 00:46

フェルメール、キタ━━━(゚∀゚).━━━!!! グエルチーノそっちのけで西美寄託品2題(3/13若干加筆)。

国立西洋美術館のグエルチーノ展に行ってまいりました。
去年?急遽開催が決定してからとても楽しみにしていた展覧会。。
2012年の5月、グエルチーノの故郷、チェント市が2度に渡って大きな地震に襲われてしまい、
彼の優品を多く所蔵しているチェント市立絵画館なども今なお閉鎖を余儀なくされています。
それ故に今回の日本での異例の展示(2~3m以上ある大作も十数点来日!)が可能となりました。

地震をはじめとする天災の辛さは日本人にとっても他人事ではありませんが、
近年再評価が進んでいるグエルチーノを日本で紹介する良い機会ですし、収益の一部は復興のために寄付されるということですから、災い転じて福となすとなって欲しいものですね。。


で、グエルチーノ展はとても良かったんですが(心配していた通りガラガラではあったけど)、
今回はそっちの本題は置いといて、
西洋美術館の寄託品について残念なお知らせと嬉しいお知らせ2題

こういう時はやっぱり残念な話題からいきますか。
実は一昨年の西美の紀要に旧松方コレクションのルドヴィコ・カラッチ作「ダリウスの家族」が寄託、という高梨光正先生の論文が載ってまして、何~ぃっ!!と驚いて是非このブログでも紹介したかったんですが、体調不良で面倒となり止めてしまっていたのです。
b0283699_036783.jpg
ルドヴィコ・カラッチ作「ダリウスの家族」、135×119cm、c.1591-92、個人蔵(今東光・旧蔵、西美寄託)

アンニバレ、アゴスティーノ、ルドヴィコのカラッチ一族と言えばいわゆるボローニャ派の祖であり、さらにはバロック絵画を確立した画家の一人(3人だけど...)として西洋美術史上極めて重要な位置を占める一族です(バロック絵画とは何かってのは又別の大問題ですが)。。
西美のように曲がりなりにも通史的展示を目指している美術館にとっては是が非にも一枚くらいは収蔵せねばならぬ画家。展示してあれば、おっ!分かってるね~って見直される位なモンです。。
それが日本に、それも旧松方コレクション中にルドヴィコのこんな優作があったとは!!
表面のニスが黄変してるっぽいですが、洗浄すればかつての美しい色彩を取り戻すと思います。
(今東光旧蔵ってのも面白いですね。若い人は知らないでしょうが私の子どもの頃の印象だと僧侶兼作家で男性版瀬戸内寂聴ってイメージの人です。いや逆か。寂聴さんの方が女性版今東光って言うべきか。でももともと画家志望で太平洋美術会や川端画学校にも通ってたなんて知らなかったな~。この絵に目を付けるとは流石です)

で、グエルチーノ展には当然この1枚も展示されるんじゃないかと期待していたのです(なにしろグエルチーノはルドヴィコに私淑してモロに影響を受けてるボローニャ派の画家。展覧会冒頭にもそれを示すためにチェント市から借りてきたルドヴィコの重要作が展示されています)。
そしたら最後まで展示はなし。。あー、実際に見られる良い機会だと期待してたのになー(´・д・`)ガックリ。
まぁなんとか手放さずに寄託から購入へと繋げていって欲しいものでござる。


でもそれ以上にビックリしたのが良いニュースの方。

なんとフェルメール作という説もある「聖プラクセディス」が西美に寄託されるとのことです!!!
b0283699_1275732.jpg
フェルメールに帰属「聖プラクセディス」、103×83cm、1655、個人蔵(バーバラ・ピアセッカ・ジョンソン旧蔵)

去年のオークションに出品され、10億円余りで落札されてニュースになったので覚えておられる方もいらっしゃるでしょう。日本人が落札していたということでしょうか!?
最近我が国ではフェルメールファンがやたら目に付くのでそこら辺じゃお祭り状態になってるのかと思ったら、検索しても仙台在住の花耀亭日記さんのブログしかヒットしないぞ?どうしたフェルメールファン?グエルチーノは見に行かんのか??(フェルメールファンに対して悪意は無いです、念のため)

まぁフェルメールか否かは喧しい議論のある作品(詳しくはWikiで)。
現在フェルメールの真作で良いものなら100億円超でも全然おかしくないのですが、まぁ、初期作で全くフェルメールの画風を示していない模写(フェリーチェ・フィチェレッリという同時代のイタリア人画家の作品の模写だと考えられています)となると、たとえ真作だとしても個人的には去年の10億円位というのは妥当な額だと思います。
(勿論フェルメールという名前と結び付けられなければ数百~数千万円位の作品です。一応言っておくと誰が描いたかはっきりしていないというだけでニセモノというわけではありません。実見したことないので適当なことは言えませんが、図版で見ただけでも17世紀のかなり質の高い作品であることはまず間違いないと思います)

さて今回の落札が吉と出るのか凶と出るのか、
こういう興味深い作品をじっくり近所で好きな時に観察できるなんて嬉しい限りですね。どなたか知りませんが早速寄託していただいたことに感謝したいでござる~♪ヽ(^-^ )。


グエルチーノ展は既に始まっていますが(5月31日迄、巡回なし)、常設展示室は現在閉室中で、
再開は3月17日からです。「聖プラクセディス」は寄託を受けました、とだけ書いてあって展示するとは書いてませんが、普通わざわざ寄託されたことを発表することはないので17日から展示されるのだと思います。心配な人は各自確認して下さいね。

⇒確かに17日から展示されるようです。ついでに昨年購入したファン・バン・デル・アメンの静物画と寄贈品のドメニコ・プリーゴの肖像画も展示開始とのこと!!(後者は一昨年のクリスティーズに洗浄前、額縁無しの状態で出品されてた作品のようですが、正直プリーゴさんは知らず...でも西美に欠けてたフィレンツェ・ルネサンスの良さげな肖像画なので楽しみです!)。。しかーも、アンドレア・デル・サルト!!の聖母子も購入して額が出来たら展示予定とのことw( ▼o▼ )w オオォォ!!
今年の西美はオールド・マスターズ好きにはやば過ぎる...
[PR]

by brevgarydavis | 2015-03-08 02:28

東京国立近代美術館、セザンヌの静物画(20億円)を新収蔵!

みなさん、ご無沙汰しております。
1年近くブログ、放置しちゃってました(まだ死んでませんよ~)...

この1年、友人が亡くなったり、自分自身も手術したりと色々ありまして、
年をとると誰にでも起こるようなことではありますが、
人生いつ終わるか分かんないのに、こんなブログなんか書いてなんの意味があるんだろ~ってな
ちょっと厭世的な気分になっておりまして...

それは今もあまり変わってないんですけど
久しぶりに覗いてみたら、今も若干は読んで下さる方々もいらっしゃるようですし、
東近美に新収蔵のセザンヌを見に行って元気も頂いたので
せめて短い報告的なものでもたまには投稿しようかな~と思った次第であります。。


さて、件のセザンヌ。こんな感じ。

b0283699_21143828.jpg
ポール・セザンヌ作 「大きな花束」(R720,V620)、81×100cm、c.1892-95、東京国立近代美術館蔵
(暗くて良い画像を撮るのが難しいので下にリンクしたクリスティーズのサイトでご覧下さい)


例の25億円の特別予算(民主党政権唯一の良い置き土産)による購入。
超財政難のキョービこの予算が続いてるのが不思議ですが、一昨年の西美のセザンヌ、去年の国際美のジャコメッティ(絵画)等々、少なくとも美術ファン的にはまずまず有効に使われてると思います。
(私も先週このセザンヌ見に行って生きる元気もらいましたし!)

今回のセザンヌは1780万ドルということですから単純に今のレートで計算すると20億円超ですか!
日本政府が買った美術品としては過去最高額のはずです。
もとは10年前にオークションに出てた作品で当時なら10億で買えたでしょうし、アベノミクス前の円高の時代なら15億で買えたでしょうが、「あの時買っとけば..」ってのは株や美術品の常でまぁしょうがないですね。
来歴を見ると日本にあった作品のようで知ってる人は知ってた作品なのでしょう。

実際に見てみると決して悪くない。いや、なかなか良い絵だ。。
安井曾太郎や森田恒友をはじめ、セザンヌの影響を受けた日本人画家は枚挙に遑がありませんし、20億円払っても東近美のコレクションに加える価値はあると思います。
40号と大きさもあるし、押し付けがましくなく心にすーっと入ってくる佳品。。セザンヌの作品の中でも比較的珍しいタイプの絵なので貸し出し依頼も結構来そうです。

でも、でも、、またまた「薄塗り、塗り残し」の作品だよ~

なんで日本人が買うのはこの手の作品が多いんでしょうか?
パッと思いつくだけでも、国際美、鹿児島市立美、大原の白樺美術館寄託、ひろしま美の松、愛媛県美、メナード美(清春白樺美旧蔵)などなど沢山ある。最近「夢見るフランス絵画」展で見た大きな松もそうでしたし、今はどうなってるか分からないユニマット美の静物もそうだったな。
「セザンヌの塗りのこし」(洲之内徹氏の名エッセイですね)ってテーマで展覧会ができるくらいあるぞ。

きちんと書き込まれた作品より単純に安いからかな?あるいは東洋画を見慣れてる日本人は西洋人に較べてこうした余白の多い未完成的な作品を嫌がらないってのもあるのかな?

いずれにせよ今回の「大きな花束」、
セザンヌはどうしてここで描き止したのか、これで完成なのか否か、水彩との関連、等々考えてみるのにはとっても良い1枚。。
特別展がない時期の東近美は空きまくってますし、絵の前にはご丁寧に椅子も用意されてるので、皆さんも秋の半日のんびりした気分でセザンヌ翁と向き合ってみては如何ですか。
私も絵を見ている間は洲之内徹ばりに胸中様々なアイデアやら名文章やらが浮かんでいたんですが、神田で天丼食べたら悉く雨散霧消しておりました。。これも絵を見る醍醐味ですね(笑)。
[PR]

by brevgarydavis | 2014-11-19 22:59

中世の木の国を照らした真っ赤な太陽、”NEGORO”

ご存知の方も多いでしょうが、信楽のMIHO MUSEUMで根来の展覧会が開催中です(12月15日迄)。

根来(塗)、とは下地に黒漆、上塗りに朱漆を用いた中世の什器の称。
秀吉の紀州攻め(1585)で壊滅的被害を被った根来寺においてかつて生産使用されていたとの伝承からその名があります。

b0283699_23563334.jpg個人的に根来の素晴らしさに目覚めたのは、遅まきながらつい数年前の大倉集古館での展覧会。。
それまでは根来って主に骨董好きの人たちが強力にプッシュしてる印象で、蒔絵や螺鈿に較べると日本の漆工史の中では傍流というか民芸的なものなんかな~と勝手に思い込んでましたが、初めてまとまった数の作品を見てこれは大変なものを見逃していたと後悔した次第。
ですからMIHOで根来の展覧会やると知った時にはこりゃ万難を排しても見に行かねばならぬ!と心待ちにしておりました。ところが事前に図録も買って(市販有)予習も万端、来週辺り出かけようかと思っていた矢先、台風18号で休館のお知らせ(≧σ≦)...展示はすぐに再開されたものの路線バスいまだ不通..うーん、京都駅から臨時バスが出てるしタクシーやレンタカーって手もあるけど如何するべきか..こういうのって最初の勢いが挫かれちゃって、わざわざ滋賀まで行って漆器見たからって何になる?とか考え出すとどんどん面倒になってきますよね。今の時期京都も混んどるしなー。




b0283699_23571529.jpg
        二月堂練行衆盤(日の丸盆)、d.43cm、永仁6年(1298)、MIHO MUSEUM

(つづく)
[PR]

by brevgarydavis | 2013-11-10 14:21

春ガ恋シイ秋ノ夜長。。

海の向こう、大英博物館で日本の春画展が開催中ですね。
2,3年前に大英博から春画の図録出てたので、その時展覧会もやったのかと思ってたんですが、
今回が本番みたい。すぐに日本でも大差ない値段で図録買えるのはアマゾン様々です。

春画、すごく好きって人いますよね。。私はそれほどでもありませんが(いや、ホントですよ)。
昔は「欧米じゃ春画も芸術って認められてるのに日本では...」なんて憤慨してるマニアの方も多かったですが、そもそも日本で出てた本が怪し過ぎだった..「禁断の浮世絵秘画」とか「Y氏秘蔵○○」とかさ。
印刷もケバケバしい色彩全開で、局部には■や□がペタペタ。古くさいエロ本にしか見えんかった。

でも20年くらい前からですかね、質の良いマジメな複製本が出始めたのは。
私もなるほどこれは素晴らしいと思い直して、結構熱心に見た時期もありましたけど、一通り傑作を見た後はちょっと飽きてきました。人体の絡み合いなんて割とワンパターンですし、同じ浮世絵でも役者絵や名所絵に比べるとどうしても外の現実世界への広がりにも乏しい。
それに展覧会で実物を見る機会がほとんどないってこともあります(考えてみると私も本では沢山見てますが、実物の春画は数点しか見たことありません)。

しかーし、、そんな私でも秋の夜長、一時二時過ぎても頭が冴えちゃって眠れない夜なんかに、
手持ち無沙汰ついでに春画の図録をパラパラめくってみることが時々あるんです。
目的はエロじゃなくて(いや、ホントだっつーの)、
春本の文章。。
春本は口語調で平仮名ばっかりなので、昔の字読むのが苦手な私でも簡単に読めるんですよ。

たとえばウタマロ最後のマスターピース 『絵本笑上戸』。
b0283699_1372624.jpg
【喜多川歌麿 『絵本笑上戸』(色摺半紙本3冊)、享和3年(1803)頃、ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館蔵】


    (男) えゝもう喰ってしめへてへほど可愛いくってならねへ。
        客人がハラを立って帰りやぁこっちはマラを立ってこうしてゐる。
    (女) おめへほど可愛い男をもふ五六人ほしい。そうして夜昼続けてさせていたい。
    (男) なるほどさう好きでなけりやぁおめへのよふにはやるめへ。


どうですか..このおバカっぷり。。天下泰平というか、お江戸の夜は今宵も平常運転というか...
 (これでもこれは比較的オチがある方で大抵はもっとずっと下らないのです)

西洋や中国の昔のエッチな本というと、ちょっとこじゃれた文学を衒ったり往年のフランス文庫のような(読んだことないけど)エロ一直線の文章が多いような気がしますけど、江戸の春本はなんだか隣りのバカップルが交わしてるピロートークみたいで親近感ありすぎなのです。
縄文人も古代エジプト人もこんなアホなこと話しながら夜を過ごしてたんだろうな~みたいなね..。

ハレとケでいうと褻の寝物語。。
日常性を描いた文章の普遍性と言いますか、人間なんて何千年たっても所詮こんなもんだよな~っていう安心感や笑いがあって、秋の夜長に何となく物寂しくて寝付けなかったり無聊をかこったりしてた私の頭もトロ~ンと眠くなってくるのです。

春画には絵柄的に素晴らしいものも勿論沢山あるんですが、今日もなんだか瞼が重くなってきたので、
それはそれで又のご紹介ということで...。
では皆さんもおやすみ..な...さ...o(__*)ZZzz
[PR]

by brevgarydavis | 2013-10-21 01:39

斜陽の日本国に再び悲報。。アベノミクスはどないなっとんねん!の巻

川村記念美術館がニューマンの「アンナの光」を103億円で海外企業に売却...。
まぁ好きな人も知ってる人もそんなに多くはないかも知れない、、
オレンジ色のただバカでかい絵に見えるかも知れない、、
私でも描けそうって思うかも知れない(多分描ける)、、
でも、あれを売ったら二度と日本にニューマンの傑作なんか入ってくる可能性はない絵だから
大事にして欲しかった...。
ニューマン・ルームまで造って、2,3年前には回顧展まで開いたのになぁ~。
ちょっと前にニューマン・ルームしばらく閉室のお知らせが出てたのでイヤな予感はしてたけど。
本業のインキ屋が不振というわけでもなさそーなのになぁ...。

b0283699_2132275.jpg
       バーネット・ニューマン 「アンナの光」、276×611cm、1968、川村記念美術館旧蔵

ついでに言うと箱根の岡田美術館!入館料2800円は取り過ぎだろ!!

最近本業でも趣味でも癒されませぬことが多い毎日です...。
[PR]

by brevgarydavis | 2013-10-05 14:40

10年に一度のお楽しみ・・・<一誠堂古典籍善本展示即売会>・・・

まだいささか(かなり?)暑いですけど、稍く燈火親しむ候も近づいてまいりました。
この季節多く開かれる大小様々な古書即売会や古本まつり、ブックフェアなどを楽しみにしている愛書家の皆さんも多いことでしょう。

その手の催し物がたいてい年に一回なのに対して、十年に一度いいかげん忘れた頃にやってくるのが
一誠堂の創業○○周年記念「古典籍善本展示即売会」でございます。。
(十年一昔、、世の中は着実に変わってるのに全く進歩してない自分が怖い...)


b0283699_04532.jpg今回は創業110周年記念。
90年、100年の時にも見に行きましたから、
無事生き長らえて眼福に与れたのを喜ぶべきなのか、
はたまた展示品を購えるようになる見込みが絶無なのを悲しむべきなのか...(90周年の時にはいつかこういう本を買える様になるぞ!って思ったんですが、、、若気の至りであった(´ε`;)...)。
きっとブログ等で紹介されてるだろうと期待して検索したら誰も書いてないようなので、野次馬で見物に行くだけの私が頼まれてもないのにちょっとだけ御紹介。。

展示品の特徴を一言でいえば、
正に日本文化の王道的品揃え。。
物語・和歌といった王朝文学から古記録、仏典、漢籍、図像集、版本、浮世絵まで数は50件と少ないながらも例の如く涎が落ちそうな(じっさい落としたら非常にマズイことになる)本が集まっております。


 ①源氏物語【54帖、鎌倉後期写(補配補写あり)、伝・猪苗代家旧蔵】、3億2千万円b0283699_19103654.jpg

近世初期写の「花宴」「須磨」「明石」の3帖を除いてほとんどが14世紀に遡る古写本。
40帖以上が別本系ということですから本文の価値は精査しなければ正確には分からないんでしょうが、数ある源氏の古写本の中でもベスト20か30くらいには入る重要本であることは確か。
今でこそこうした新出本の本文を比較するのもさほど難しくはなさそうですけど、最初に数十の諸本を手探りで校合した池田亀鑑先生の偉業は改めて凄まじいですね(私なんか谷崎訳で1回読むだけでいっぱいいっぱいなのに...)。
猪苗代家伝来というのは単なる権威付けのための仮託かな?


 ②白描源氏物語絵巻(54帖揃)【19巻(紙高10.5~12.5cm),室町写(7巻江戸写)】、2億2千万円
いわゆる小絵の白描源氏。普通中世の紙は30×50cm余のサイズですから横に2分,3分して用いれば縦10~15cmほどの小さな絵巻ができあがります。これが小絵。。現存する最古のものは14世紀前半に遡る聖徳太子の事績を描いたものですが、典型的な小絵というと女性が喜びそうな題材を扱った15~16世紀頃に制作されたものが中心。土佐光信(工房)が描いた幾つかの作品が有名で、彼の周辺が小絵流行のおおもとである可能性が高そうです。この手の白描源氏絵巻もしばしば伝承筆者を光信の娘(画を能くし狩野元信に嫁いだとも)とするものがあり、実際にそうした土佐派による原本的な作品があったのかも知れません。ただし現存する作例は多様で共通の祖本などなさそうですし、画風も素人っぽいものが多くて宮廷で絵の上手い女御などが手遊びに作ったものかとも推定されています(当時は絵の具の調合から始めなければならない彩色画はハードルの高い職人仕事と思われていたのに対して、普段使い慣れた墨と筆で描ける白描画は中国なら文人、日本なら貴族でも嗜める優雅な趣味と思われていました)
一瞬、2億2千万!?高っ!と思いましたが何と19巻もあるということで納得(宇治十帖7巻は江戸に入ってからの補写ということですが)。こんな浩瀚な白描源氏は聞いたことないわー!スペンサー・コレクションの6巻本がこれに次ぐ位ですかね。掲載された図版で見ると2種の画風があり、一方はかなり本格的な土佐派っぽいもの(下図。もう一方は明らかに素人画家)。これはじっくり実見する必要ありだな~。
b0283699_1911174.jpg

 ③明月記【1巻(29.6×1023.6cm)、寛喜元年5月・6月条】、3800万円
『明月記』 とは言うまでもなく藤原定家(1162-1241)が生涯に亘って書き連ねた膨大な日記。。当時の貴族社会では過去の先例に対する知識の有る無しが一家の沽券に大きく係りましたから、多くの貴族が自身や子孫の後鑑とすべく日々の細々とした記録を日次記という形で書き残しました(一方 『蜻蛉日記』 のような女性が書いた日記は今で言うとプライベートな回想録に当たります)。中でも明月記は定家という人物の重要さと余計なエピソードが比較的多いことから読んで面白い日記の一つ(難しいけどね)。今も大半が冷泉家に伝えられて国宝に指定されていますが、庫外に流出したものも少なくありません。
今回の売り物は1229年5~6月のまるまる二ヶ月分が残る自筆本。これまでは慶長写本でしか知られていなかった部分ですし(つまり1615年以降数十年の間に冷泉家から出た可能性が高いということになります)、『明月記』は掛軸になった断簡でも百万円単位の値段が付きますから10メートル以上の巻子本で3800万円というのは意外と安い気がしますね。
近年の冷泉家の文庫調査の大きな成果の一つとして、これまで定家の自筆と思われてきた写本の中に定家の筆跡を真似て他人が写したものが多く含まれていることが明らかになってきました。つまり筆耕者として動員された家族や使用人が何人もいたらしいんです(そうでなきゃあんだけ膨大な写本は残せませんわな)。『明月記』も例外ではなく、大別すると①定家が実際にその日付の頃に書いた原本、②定家自身による清書本、③他人による清書本、の3種があるようで、筆跡の変遷などを基に清書や加筆推敲の時期を探るといった研究も盛んに行なわれています。下の1巻は紙背文書がある一方、整然と余白行なく書かれていることや上下の界線の存在から②の定家自筆の清書本とするのが妥当でしょうか。
b0283699_1911275.jpg

 ④地蔵縁起絵巻【1巻(紙高30.8cn)詞5段・絵6段、鎌倉後期写(旧法然寺本)】、1億6千万円
地蔵菩薩をテーマとした絵巻は、矢田地蔵縁起絵のように特定の仏像の縁起を描いたものと様々な地蔵の霊験・利生譚を集めて絵巻にしたものの二種類に大別できます。さらに後者には中国の話を絵巻化したものと日本の話を絵巻化したものがあり、14世紀以前に遡る作品としては中国の霊験譚を集めたものとして妙義神社本と東博本、日本の霊験譚を集めたものとしてフリーア本と旧法然寺本(今回の絵巻です)の4件(各1巻、おそらく元は各々もっと浩瀚だったもの)が知られています。フリーア本と④とでは明らかにフリーア本の方が古くて優れた作例なんですが、1図だけ共通の図様があって画風からもフリーア本が④の直接の祖本かも知れません。。また④と東博本は画風は全く違うのに詞書の書風は同一筆者かと思われる位そっくり!(不思議だ~)。率直に云ってしまうと④はこれら4件の鎌倉時代の地蔵霊験絵巻の中ではちょっと作行が劣る感じで、詞書が東博本と共通でなければ室町時代の作かなと思うほどなんですが(東博本はまず間違いなく14世紀前半頃の作)、実は私は一度も実見したことはないのであまり適当なことは言えませぬ。。再び個人の所蔵に入るともう生きてる間には見られないかも知れないので気合を入れてしっかり見てこなければ...。
「子とろ子とろ」という昔の鬼ごっこを描いた有名な段があるのでそこを開いててくれると嬉しいな~。

 ⑤初代鳥居清倍「市川団蔵の金王丸」【大々判(約53×32cm),宝永頃】、1200万円
清倍いいですね❤。初めて見る図柄ですけど保存状態も抜群で今回出てる浮世絵で貰えるとしたら迷わずこれ!(買えよ、って話ですな)。たしか浅野秀剛先生も以前一番好きな浮世絵として清倍の「市川団十郎の竹抜き五郎」を挙げられてましたけど全く同感です。いま個人的に日本美術関係で最も開催して欲しい展覧会は「初期鳥居派展」だぜ!(もう若冲はいい...)。
千葉市美術館あたりで頑張ってくんないかな~。
b0283699_19115283.jpgb0283699_19122023.jpg













  ⑥田中親美・模写「西本願寺本三十六人集」【34帖、各頁20×15cm前後、20世紀】、6500万円
親美翁(1875-1975)については以前五島美術館の記事でも触れた記憶がありますが、数多の平安の古筆や装飾経、絵巻などを料紙から復元して完コピしまくるという空前絶後の偉業を残したエライ人。。以前翁制作の素の料紙が売られてたのは記憶にありますけど、こんな浩瀚な模本が売り物になってるのを見たのは初めて!(◎_◎;) ジェジェ!それでも近代のコピーに6500万は高いんじゃないの?と思う方もいらっしゃるかも知れませんが、これだけの多種多様な料紙を一から復元して千数百頁に亙る和歌を一流の書家に染筆してもらったらとても1千万やそこらじゃ収まらないはず。。翁制作の復元模写は既に単なるコピーを超えた評価を受けてますし、本物なら2,3枚でこの値段だしね~。
西本願寺本の模写としては1902~07年頃に35帖を制作(内11帖を東博が所蔵)したのを手始めに、大正9年の年記がある模本も知られていますが、目録に制作年が書いてない所を見るとこれはさらにその後に作られたものでしょうか。図版で見る限りでは東博本よりこなれていて完成度が高い印象。
b0283699_19135846.jpg
ちなみに親美模本を代表する「平家納経」の場合は結局5セットの模本が制作されたと言われています【厳島神社に納めたものと翁自身の控え分、後に作られた益田家(→東博)、大倉家(→大倉集古館)、安田家への3本】。
b0283699_21175975.jpg


田中家(福田家)というと「年中行事絵巻模本」の所蔵でも有名ですが、翁は模本制作を依頼された際には必ず2セット制作して一つを自らの手元に残すのを常としていたとか。今でもお宅には展覧会できる位色んな作品やら資料やらが残ってるんだろうな~。いつの日か拝見したいもんですわ。。

(参考;右は原本「能宣集」の当該頁。こうして見ると原本の保存状態の良さにもビックリですね!) 

 ⑦唐人絶句【存21冊(1冊欠)、1190-95年刊(1221-23年修)、惟高妙安旧蔵】、4億6千万円
b0283699_0202439.jpgb0283699_027387.jpgんーむ、4億6千万ね...
21冊で割れば宋版としてはそれほど高くはないか...本邦に古くから伝わったものなれど大陸帰国決定かな~。

それにしても絵に描いたような欧陽詢風の見事な書体。。うっとりしますね~。浙江あたりの刊と見て良いんでしょうか。
小さな字なら明朝体をはじめとする現代の活字も悪くはないですが、これ位の大字になると宋人の版下による整版の美しさには敵いませんね。せめて国語ぐらいはあのマヌケな教科書体を止めて欲しい...。
第18冊を欠くのが惜しいですが、版面の品格はそれを補って余りあります。

 ⑧芥子園画伝・二集【全4冊(蘭竹菊梅)、康熙40年刊】、2800万円
b0283699_0323640.jpgb0283699_0363019.jpg何年か前に大東急記念文庫本の複製本が出ましたが(15万円!当然買えず)、今回の目録解説によるとそれよりも早印という貴重なもの。若干の虫損はあるもののこれだけ美しい康熙本は日本・中国に数本しか残っていないでしょう。俗な浮世絵版画の清雅なルーツの一つ。


<一誠堂書店創業110周年記念古典籍善本展示即売会>
ホテルグランドパレス2Fチェリールーム にて(地下鉄九段下駅徒歩2~3分)

   10月11日(金) 午前11時~午後5時
   10月12日(土) 午前10時~午後5時

の両日開催です。

誰でも無料で気楽に見学できますから(バッグ類は預けなきゃないので手ブラがお薦め)、
お閑な方は秋の一日 【古本見物】+【神保町でカレー】 など如何ですか?
もちろんお金があれば購入も可能ですよ!!(申し込み先着順也)。


≪ さっそく行って見ました ≫
金曜日のお昼頃に速攻で拝見。。50点中10点くらいに既に予約済のシールが貼ってありましたよ。
上に紹介した中では「明月記」と「芥子園画伝」がSold out (たしかにどっちも安めの値付けな気がしてました)。一方「唐人絶句」は何十年も前から一誠堂の在庫にあったみたいですし、前回100周年の時の目玉の一つだった「新撰和歌髄脳」(1億2千万円)も今年の8月に文化庁に売れたばっかりですから、資本のある骨董屋や古書肆というのは優雅な商売で羨ましいですな。。
「地蔵縁起絵巻」は図版で見るよりもずっと繊細で感じが良かったです(やはり実見しないで適当なことは言えませんね)。巻物は怖いので裸で置いてあった「源氏物語」だけ頁を捲ってペタペタ指紋付けてきましたよー(# ̄ー ̄#) 。
[PR]

by brevgarydavis | 2013-09-15 15:22

ハンコ が支えた 『キングダム』 の巻。

マンガ『キングダム』面白いですよね。
最近アニメでも放送されてたりして(NHK日曜深夜)、ここ何巻かしばらく買ってなかったんですが、、
また読み返して残りの巻、大人買いしちゃいました( ̄ー ̄)。
読んでない方に説明すると、
時は戦国末期、中原を統一すべく台頭する秦の国の片隅から、無謀にも大将軍に成り上がろうとの
望みを抱いて戦いに明け暮れる少年、信を中心とする物語。
なんといっても戦争・戦闘シーンの描写や緊張感が出色。血湧き肉躍るとはこのことですね。
ただ人がたくさん死ぬので読むと疲れる...
中高年の男性だったらワ×ピースなんかより絶対面白いと思うので是非御一読をお勧めします。
(アニメはそこまでじゃないかな...)。


で、今日はマンガの話じゃなくて、ちょろっとハンコの話なぞ。
b0283699_23233816.jpg美術関係のブログでハンコの話って言ったら、篆刻趣味とか書画鑑定の落款印章の話だと思うでしょうが、ワタクシそっち方面の知識はまるでありません。
かろうじて空也の最中が読める位...

でも古河の篆刻美術館には何度か行ったことありますし(親戚の家から徒歩5分だからだけど)、去年は念願の西冷印社も訪れることができました。
この両方行った者の中で私ほど篆刻に疎い人間はまずいないはず(`Д´)キリッ! (何の自慢じゃ...)         
              
 【西冷印社】

で、そんな私が前からちょっとだけ興味を持っているのが古銅印というヤツ。。

東アジア(ほとんど中国)の印章の歴史は次の三つの時代に分けて考えるのが分かり易いと思います。

① 封をするために粘土(封泥)に押した古銅印の時代(玉や金銀製も若干は有)【戦国~4,5世紀頃】
  (日本に古くから伝わる印でこれに該当するのは志賀島出土の金印だけです)。
② 文書の真正性を保証するために朱や墨で紙に印影を捺すようになった時代【4,5世紀頃~現代】
  (古書画の鑑蔵印を除くと印的には影の薄い時代です)。
③ 銅の鋳造印に替って石材を刻した印が主流になり、文人の間に篆刻趣味が広まった時代【明~現代】

①の古銅印、古代には様々な用途に使用されたんですが中でも重要なのは検&檄

中国で紙が書写材料として一般的になるのは大体2世紀以降(蔡倫紙登場以降)の話でして、、
それ以前には竹簡や木簡が用いられました。
基本的には、書物は竹簡を綴った冊に書かれ、短い通信文・指令文の類は木簡に書かれたみたい。

中でも役所間の通信など重要な文書の場合には、木簡に用件を書き、その上に内容が読まれない&
改竄されないよう別の木の板(これが。宛名等が書かれることもありました)を重ねて紐で縛り、その上に粘土(封泥)を付けて役所や責任者の印を押すことによって封をしました。
封泥を壊さなければ紐は解けない理屈ですね(西洋で手紙やボトルを封蝋+印璽で封じるのと同様)。
紙と違い木簡は文面を削って書き変えることが容易なため、こうした封緘の工夫は必須でした。
多量の木簡や品物の場合には袋や筥にそれらを入れて結束し、小さな検で封をしていることもあります。

一方の、実物のイメージが浮かぶっていう人はほとんどいないと思いますが、「檄を飛ばす」という言い回しは普通に使われる言葉として今でも残ってますよね。
あるいは『魏志倭人伝』の中に魏使の張政が卑弥呼や壹与に対して「檄を為して告諭す」、という記述があったのを思い出す古代史ファンの方もいらっしゃるかも知れません。

「檄」というのは軍事や説諭など強い調子の指令や報告を発する時に使われる形式だと言われます。
ですが不肖ワタクシも最近までその檄というものが具体的にどんな形をしてるのか知らなかったんです。

b0283699_16283361.jpgだから冨谷先生の本で檄の詳しい説明がなされているのを発見した時には大変感激したんですよ~。
(左の本に写ってる多面体の木の棒2本が檄!!)

上の方に見える窪みが封泥を嵌める部分。
つまり檄の場合は印が開封防止のためではなく、指令に権威や公信力を与えるためのマークとして使われていたのだろうということが分かります。
また封泥の背面に紐の痕が無いものがままあることも、こうした檄のくぼみに嵌めて使われたのだと考えれば納得できますね。

戦国時代や秦漢時代の「檄を飛ばす」ってのは当に
この手の木の棒きれを急ぎの便で送り付けること。。
それが転じて大声で人々を鼓舞することもそう表現するようになったと思われます。








具体的にどんなことが檄には書かれてたのか冨谷先生の著作から一例を孫引きさせていただくと、
 (上の表紙の激ではありません)

「建武四年九月戊子従史閎が申し上げます。出張でこの月十月に橐他候官に行きました。その折、橐他守尉馮承が次のようなことを言っていました。今年二日、胡虜が酒泉・肩水塞に侵入し、焦鳳の牛十余頭、羌の女子一人を略奪し、率いて西に向かって河を渡り、虜の四騎は都倉西に止まって放馬し、六十余騎は金関の西に駐留しました。九月九日日蚤食時に先行隊は金関西に到着し、門下掾の誼等はみな金関にいて連絡できませんでした。閎等は候官におります。即日餔時、土煙がたち烟火が石南亭に送られ昏時に火遂、恐らくは胡虜に囲まれ籠城していると思われます。閎は即日夜に居延からの部隊と合流し、王常に伴われて帰還、広地候官胡池亭に到達して止まっております。虜はつけ上がって河の水草伝いに北行し、虜・・・(不明)・・・居延鄣候にお願いいたします。書き写した文書を受け取ったら・・・(不明)」
【『額済納(エチナ)漢簡』2000ES9SF3;4E、内モンゴル自治区文物考古研究所所蔵】


といった具合。。

どうですか!この二千年前とは思えない文書行政の徹底ぶり!!漢帝国恐るべしですね!

全国数千(数万?)の郷や亭からのこのような報告が大量に中央に上がり、それによって中央は状況を把握した上で各地に指令を逓送する、それによってあの広大な帝国が数百年間維持されていた訳です(例に挙げたのは檄だから緊急事態ぽい文章だけど、実際にはもっとのんびりした文書も多し)。
秦の始皇帝はこうした木簡を一日最低一石(30kg位)読んで決済するのを自らのノルマとしていたとか。

行政・司法・官僚制といった東アジアの様々な制度はその淵源を遡ると秦の諸制度に行き着きます。
日本人に影響を与えた思想としてふつう挙げられるのは、仏教、儒教、あるいは神道、道教あたりまでで、韓非や李斯といった法家の連中が設計した制度が今も私たちに甚大な影響を与えていることはあまり意識されません。。これはちょっと残念な事態。
秦や漢って古代的で酷薄なイメージもある一方、理想的な制度を余計なことを顧みず敷衍したような初々しさや明朗さ、剄直さもあって個人的には好きな時代なんだよな~。
まぁ後の爛熟してもったいぶった、なよなよの中国人もまったりして悪くはないんですがね。。


いやいや、閑話休題。。ハンコの話をしてたんだった。。

なんでも聞くところによるとこうした戦国~漢時代の古銅印っていうのは
辺地の草原などにポツリポツリと落ちてるのを拾って来るんだとか。。

つまり...
戦いに斃れた将兵たちが身に付けていたものらしいんです..(((゚Д゚)))ガクブル。
確かに封泥だったら封泥を付けた文書のやり取りをしてた役所の趾などからまとまって出土することもあるでしょうけど、個人の私印じゃ埋ってるのは墓地か古戦場ぐらいしかなさそうですもんね...。

『キングダム』 でも主要人物のまわりの人たちはバタバタ死んでいき、戦いの後の戦場は死屍累々、
鬼哭啾々たる有様に描かれます。
死を賭して戦った彼らの夢の跡として残ったものは僅かに草の間の小さな銅印のみ...そんなことを思ってガラスケースの向こうのハンコをじっと見つめると篆書の筆画がどうとかいう以前に皆さんも胸に迫るものがあるんじゃないでしょうか。。
ですから著名な篆刻家であり古印の収集家でもあった園田湖城翁も、古銅印を捺して印譜を作る際には香を焚くのが常だった、と(-∧-)合掌・・・。。


我が国の古印の蒐集として知られるものに

藤井有鄰館、岩手県立博物館(太田夢庵旧蔵品)、和泉市久保惣記念美術館(園田湖城旧蔵品)、大谷大学(羅振玉旧蔵品の一部)、東博(陳介祺旧蔵の封泥など)、書道博物館、寧楽美術館、さらに故・菅原石廬氏の収集品などがあります。総数では一万方を超える古印が各地に所蔵されているとのこと。。

始皇帝の兵馬俑なみの大軍勢が関西中心に揃ってるわけですね。

夜も更けた丑三つ時、今出川通りあたりで馬の駆ける音が聞こえたら、意外と日本人じゃなくて有鄰館と大谷大学あたりの軍勢が夜な夜な戦ってる音なのかも知れません...。仏教が中国に伝わる以前の連中だから南無阿弥陀仏の類じゃ退散しねーだろーな...。
[PR]

by brevgarydavis | 2013-09-09 14:52

美術史の小窓 その10 ” 「えことば」 とは呼ばないで! ”

時々、絵巻のことを絵詞(えことば)って書いてる本がありますよね。
例えば「伴大納言絵詞」,「平治物語絵詞」,「蒙古襲来絵詞」等々。
最近では美術関係の本よりも日本史など他分野の本に多いみたい。

でもこれ、しばしば指摘される通り本来の意味からすると明らかな誤用なんです。
中世では絵巻のことは単に「~絵」と呼んでいました。「源氏絵」とか「伴大納言絵」とかね。
では「絵詞」とは何かというと、絵巻の詞書の部分のこと。
つまり「絵詞」=「絵+詞」ではなく、「絵詞」=「~絵の詞」の意。

例えば中世の記録で「~絵詞を進上」とあれば絵巻を献上したってことじゃなくて、エライ人から依頼されていた絵巻の詞書部分を清書し終わったので提出した、ということですし、
字だけで地味なのであまり目にする機会はありませんけど「~絵詞」と称する(主に)冊子本は寺院や図書館などに結構な数が所蔵されています。

物語絵巻の場合はたいてい既存の物語(又はそのダイジェスト版)に絵を付けて絵巻を作りますから、絵詞にしちゃうと元の物語に戻っちゃうわけでわざわざ絵詞を写すということはめったにないんですが、
祖師の伝記や社寺の由来を語る宗教絵巻の場合は文章から新たに起草されることが多く、詞書だけでも写したいという需要も当然少なくなかったでしょう。有名な宗教絵巻を所蔵しているお寺などでもその絵巻から写された絵詞も幾つか所蔵しているということはよくあります(蔵書目録とか聖教目録の類に掲載されているのであまり気付かれませんが)。岩波文庫の「法然上人絵伝」や「一遍聖絵」なども文庫化の目的・使い方ともに正に絵詞的なものと言えますよね(絵の写真も一部載ってるけどね)。

b0283699_16392756.jpgではこうした絵詞の誤用がどうして広まったかと言うと、昭和30年代頃に国宝・重文の指定名称として絵巻の意味で絵詞が使われたということが大きいと思われます(誰のせいかは武士の情けで追及しませんが…)。
美術史以外の研究者や自治体などが絵詞という言葉を好んで使うのは、文化庁の指定名称に従うのが正式だろうという意識があるからなのかな~。

この誤用、少なくとも江戸時代からあったみたいで寛政6年(1794)刊行の『好古小録』でも既に絵詞が乱発されています(いつから始まったのかはさらにそれ以前の文献を調べる必要がありますね)。





『好古小録』(巻上・部分)、寛政6年、早稲田大学図書館蔵

それじゃあ次に今一番普通に使われてる「~絵巻」っていう言葉が「~絵」の替りに使われるようになったのはいつ頃からでしょうか?
日本にはOEDのような頼りになる歴史的辞書は残念ながら無いので、一応 『日本国語大辞典』を調べてみると、絵巻の用例として挙げられてるのがやはり『好古小録』!
「本邦古来仏教盛ニ行ハレ因果応報ヲ以テ勧善懲悪ヲナスノミ。故ニ画巻ノ如キモ皆仏教ニモトヅキ…」と、「餓鬼画」(東博本か京博本の餓鬼草紙のことか)の解説から用例が引かれています。
なるほど、画巻(ガカン)を「エマキ」と読ませての引用ね。。近世以前だと「画」はほとんどの場合 “エ(ヱ)”と読むので正しい引用だと思いますが、だとするともしや「エマキ」という言葉は中国語の「画巻」を訓読みすることから始まったということか...。

一般的に現在の美術用語では「絵巻(エマキ)」と「画巻(ガカン)」は区別して使われています。
絵と詞でストーリーを伝える巻き物が「絵巻」、人物・花鳥などを列挙した絵や横長の山水画のような詞のない絵だけの巻き物が「画巻」です。
中国でも前者のような絵巻形式の絵も特に古い時代にはちゃんとありましたし、我が国の絵巻も隋唐から伝わったそうした形式を基にして成立・発展したものと思われます。が、彼の国では詞と絵が一体となった作品というと訓戒や経典を題材としたようなお堅いモノが多く、日本で発展したような純粋に見て楽しいマンガ的な絵巻とはかなり異質。。さらに時代が下るとストーリーを伝える絵画形式は挿絵本に収斂していくため絵巻的な表現はますます振るわなくなってしまいます。
結果、中国においてヨコ長の絵で支配的になってゆくのは画巻タイプの山水画や花卉画の類。それが鎌倉~室町時代の日本に伝わって雪舟の山水長巻のような名作も生み出される訳ですが、画巻はいつしか「エマキ」と訓読みされて絵巻という字を当てられ、画巻と絵巻の区別も生じていくという...日本の中国文化の受容の仕方ってーのもなんとも複雑怪奇なことで...(まぁきちんと結論を出すには江戸時代以前の「画巻」「絵巻」という用例をもっと探し出して検討する必要がありますが...)

なお、画巻を訓読みして「エマキ」だと云いましたが、正確には「エ(歴仮名ではヱ)」というのは音読みで和語による訓ではありません。「ヱ」は本来 “絵” の呉音で中国語由来の音。
ピンとこない方もいるかも知れませんが法会(ホウヱ)のように “会” の呉音が「ヱ」であることを考えれば納得できるでしょう。それを “画” の読みにも当てたというわけですね。

つまり 、、、
当時の倭人には絵や画の訓に当てる固有の大和言葉は思いつかなかった
(=当時の日本列島には絵や画に相当するものがなかった) らしいんです!!
勿論それ以前の我が国にも “絵のようなもの” が無かったわけではありません。
銅鐸や土器の線刻画とか装飾古墳、或は織物や刺青の文様なんかがすぐに頭に浮かびますよね
(おそらく日本語ではそれらは “あや(文・彩)” とでも呼ばれていたのでしょう)。
でも我らがご先祖様にとって大陸から渡来した写実的な絵画はそれらとは全くの別物に見えたらしく、
絵や画に「アヤ」という訓が当てられることはありませんでした。


ちなみにそうした意味での現存する日本最古の”絵画”は何だかご存じですか?

おそらく623年頃に描かれた法隆寺金堂の釈迦三尊像台座の板絵か、
622~623年頃に制作された中宮寺の天寿国繍帳のどちらかだと思います。

年代が近いのは偶々ではなくどちらも厩戸皇子(聖徳太子)が亡くなったのを悼んで作られたものだから。
ただ天寿国繍帳の方は下絵を描いた四人の絵師の名前まで分かってるんですが、
染織品という点で “最古の絵” と称するのは少しく憚られますし、
一方、釈迦三尊像台座の方は絵が剥落してしまってほとんど見えないという難があります。
文句の出ない “絵” となるとその1,2世代後、7c中頃の「玉虫厨子」の板絵ということになりますか。

b0283699_194213.jpgb0283699_194444.jpgb0283699_19558.jpg天寿国繍帳               釈迦三尊像台座                玉虫厨子(捨身飼虎図)

しかしまぁ、法隆寺金堂という一角は、建物は世界最古の木造建築だし、焼けちゃったけど壁画は初唐様式の大傑作だし、釈迦三尊像や四天王像は日本最古級の仏像だし、、
まさに文化財界の銀座鳩居堂前のような所...。
これではいくら日本最古の絵が描いてあるといっても地味な台座に注目する人なんてほとんどいないですよね(注目しても見えないし...)。
え?眼を近づけたら山とか描いてあるのがよく見えた?
...お客さん、それ鎌倉時代に造られた阿弥陀三尊像のほうの台座だから...


結論。。
絵巻は巻とか物語とかは取っ払ってシンプルに「~絵」って呼ぶのがプロっぽし。
ゆめゆめ「~絵詞」とは呼ばぬよう。。修学旅行以来法隆寺行ってない人は行くべし。。
[PR]

by brevgarydavis | 2013-08-20 16:40

【承前】 日の本の癩者に生れて...その2(企画展示の巻)

今回は前々々回の続きで国立ハンセン病資料館で開かれている企画展、
「一遍聖絵・極楽寺絵図にみるハンセン病患者~中世前期の患者への眼差しと処遇~」
を御紹介。

小さな展示室なので展覧に供されているものは多くはありません。
1.「極楽寺境内絵図」と若干の出土品(極楽寺蔵)。
   (14世紀第2四半期頃の極楽寺最盛期の様子を描いた江戸時代の境内図)
2.「一遍聖絵」(清浄光寺ほか蔵)の複製と拡大パネル。
   (正安元年(1299)に制作された有名な12巻本の絵巻)
3.「一遍上人縁起絵(遊行上人縁起絵とも)(清浄光寺蔵)の複製(6/22~7/5のみ江戸時代の写本を展示)
   (14世紀初めに制作された一遍と他阿真教の伝を描いた10巻本絵巻の模本の模本)

と、これだけ。しかも1以外は複製ですから特別興味があるっていう人じゃなきゃ行く価値ないかも。。
しかし私はなにげに特別興味のある人なのであった...。


実際行ってみると、複製は良く出来てましたし拡大パネルも想像以上に効果的。ひじり絵全巻を是非拡大パネルで見たいぞ!と思った位。展示品が少ないなりに一定の満足感は得られました。
一方残念だったのは、単に中世の絵の中で癩者や施療施設が描かれている作品を並べました、っていう以上の意図をほとんど感じられなかったことですね。ハンセン病資料館ということで、仏教が近代以前の癩病差別にどう加担し一部の宗教者がそれにどう抗ったのか、それが民衆の癩病観にいかなる影響を与えたのかなど、もっと突っ込んだ解説を期待したんですがそういう気合いの入った展示ではありませんでした。
多分学芸員の方々の専門が近代以降のハンセン病史中心で、中世史や絵画史に詳しい人がいないのではと想像しました。。

それじゃ不肖わたくしが...というような学識は残念ながら無いので以下素朴な感想を二つ三つ。。
 (大体「一遍聖絵」についての話ですけどね)

この「一遍聖絵」、数ある日本絵画の中でも様々なアプローチを許す本当にたぐい稀な作品。
逆に言うと「一遍聖絵」を通して他の絵では窺えない鎌倉時代の多様な一面が垣間見えるということ。
70年代くらいまでは単純な仏教史&美術史方面からの研究が主でしたが、近年はそれに加えて次の二つの研究手法が目立つようになってきました。

一つ目は、ひじり絵に描かれた多様なモチーフを、文字資料に残らない歴史を解明する手がかりとして用いる絵画史料論的アプローチ。。
昔からある図像学的研究の延長とも言えるけど、民衆の生活文化に光を当てようとする日本の民俗学やフランスのアナール学派などの影響を受けて試みられるようになった手法という面が強いのかな~。我が国の中世の絵巻物は世界的に見てもこの手の材料の宝庫なんですが、中でも「一遍聖絵」は今回の癩病患者の様子などのように普段他の絵巻に登場しないモチーフを豊富に含む異例の絵巻。
黒田日出男さんの「絵巻物と中世身分制」(『境界の中世、象徴の中世』,東京大学出版,1986所収) あたりを嚆矢として既に多くの研究があります。

もう一つのアプローチは、最近やたら目にする「まなざし」論。多分フーコーの"le regarde" をヒントに美術史では80年代以降ノーマン・ブライソン(江戸時代に関する本を沢山出してるタイモン・スクリーチさんの先生ですね)なんかが、絵の中の"gaze (なまざし)" を読み解くっていう手法を提案し始めたんじゃないかと思うんですが...(ここらへんのムツカシイ話は疎いので信用しないで下さい)。まぁ要するに芸術作品の中に潜む隠された前提としての”上から目線”とか”男目線”とかを見付けようという話(多分)。西洋絵画によくある、意味もなくオッパイぽろんなんていう絵が male gaze(男目線)の絵だ、なんてのは私にも分かりますが、共感できない強引な説も多いような気がするかな...。

ここ20年位はとりあえず「まなざし」とか「視線」って付ければ今時の研究っぽいだろう感じで乱用されてる感もあったりして...(この展覧会でもせっかく副題に「~中世前期の患者への眼差しと処遇~」ってあるのになんのつっこんだ分析もなし!一遍聖絵ほど豊富な突っ込み所がある絵は他にないのにね~)。

「一遍聖絵」に癩者など被差別民の描写が多いというのも、結局のところ他の絵巻制作者とはそれらの人々に対する人間観や眼差しの違いが根底にあるからに他なりません。多くの絵巻を横断的に見ていくと「年中行事絵巻」などに代表される他の中世の絵巻においては、民衆は貴族階級に対置される軽躁かつ周縁的な存在として”上から目線”で描かれるのに較べて、一般民衆から賎民に至るまでを分け隔てなく誠実な生活者として描く「一遍聖絵」の視線は極めて特異なものであることが実感できます。

そうした違いは実は2の「一遍聖絵」と3の「一遍上人縁起絵」との間にもあるんですよね。

「一遍聖絵」の方は異母弟とも言われる聖戒を中心に恐らくは純粋な一遍追慕の念で制作されたもの。
宋元の山水画に触発されたかと思われる広漠とした山河表現を背景に、賦算一筋に決然と歩み続ける一遍の姿が英雄的に写し留められています。

それに対して「一遍上人縁起絵」の方は、他阿真教が一遍の正統な後継者であることを示そうとする宣教的意図が明白な作品(全10巻のうち後半6巻は真教伝)。鎌倉後期に多く制作された他宗派の祖師絵伝類と同じく説明的描写が多くて「一遍聖絵」に較べると単調かつ類型的な感は否めません。

癩者の描写も、今回の展示でも提示されていた巻三の甚目寺で施しを受ける場面を除くと、登場する回数も少なく実感の伴わない絵画的イディオムに堕してしまっている感があります。あまつさえ巻六の詞書には「(もし教団の戒を破ったら)今生にては白癩黒癩となりて、後生には阿弥陀仏の四十八願にもれ三悪道に堕て永く浮かぶべからず」と誓う場面さえ出て来ます。「約束を破ったら癩病になっても文句は言いません」というのは中世の起請文の決まり文句ですが、教団を頼りにしていた癩者達に対してはいかにも配慮のない言葉ですよね...。当時は病者の側も神罰だ業病だというのを当然のこととして受け入れていたのかも知れませんが、信仰とは当人が阿弥陀仏と結縁すること以外の何物でもないと考え、教団を作ることにも否定的だったと言われる一遍が生きていれば、何を余計なことをと一蹴したに違いありません。


b0283699_16404836.jpg



(つづく)
[PR]

by brevgarydavis | 2013-07-31 16:51