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ここ惚れ ワンワン! my treasure その5 ” 浦上玉堂、恋する山水 ”の巻

ん~ようやく花粉症が過ぎ去ったと思ったら、どうにも体調が悪い今日この頃...
家に帰ると異常な疲労感でなんにもする気が起きずベッドの上でぐったりして居りまする。。
肝炎になった友達の症状と似てるわ...血液検査にでも行くべきか...

変な話で恐縮ですが、
花粉症の時は性欲の減退が著しいのに対し、今は特にそんなことはありません。
とりあえず糖尿病や鬱じゃなさそう...
という訳で、、
こんな時は玉堂先生の艶っぽい絵でも紹介してその太極の気にあやかろうと思った次第。

b0283699_4404570.jpgご存知の方には説明は不要でしょうが、浦上玉堂(1745-1820)と言えば江戸時代の南画家を代表する一人。
若い時には岡山藩(正確には支藩の鴨方藩)のそこそこのエリート武士として将来を嘱望されながら、脱俗の気抑えがたく、遂には出奔脱藩して琴、詩、画の文人ライフに耽溺するというウラヤマしい後半生を送った粋人です。

そんな玉堂先生の画と言えば、もちろん俗世間を離れた心洗われるような山水の世界を美しく…
ってあれ?こ、この屹立する山のカタチはどー見ても…ナニ…ですよね…(デカい…)(-_-;)
そう、玉堂センセイの画にはこの手のチ×ポコ山が頻出するんです(右の滝が女×器だと気付いたあなたはお眼が高い…)

飄々とした好々爺なのにとんだエロじじいやん…

いやいや、これって実はスゴイことだと思いませんか?古来中国にも万物は陰陽から生ずという思想があり、西洋でもマクロコスモスとミクロコスモスの照応なんて考え方がありますけど、山と水をそのまま男女の凹凸で描いちゃった画家なんて世界広しと言えどもわれらが玉堂先生ただ一人じゃないでしょうか?

    寒林間処図、153×77cm、個人蔵

コロンブスの卵と言えばそれまでですけど、ピカソやダリにも見せてやりたかったわー!!
南画では胸中山水なんてことを大事にしますが、、
 なにげに胸中に思っていることは玉堂先生も小生も大差なかったとは...(爆)
そんな先生に憧れて自らの号をチンチンヤマにしちゃったのが椿椿山。(←これは嘘)

右上に書き付けられた七言律詩の内容によって、友人の姫井桃源が出張から三ヶ月ぶりに帰郷するに際して贈られた絵であることが分ります。
詩中に曰く、「・・・家人三月不相見 太守待渠解所願 探嚢白雪陽春溢・・・」と。。
なんだか難しいですけど性的な含意があるのは明らかですよね。。
(佐藤康宏氏にここら辺について書いた「浦上玉堂のエロティシズム」という名論文があります)

最近こういう自由な爺さんってイイなーってつくづく思いますね~。
俗の中に脱俗する、これぞ本当の隠君子!自由万歳!エロ万歳だぜ!
 (やっぱり最近疲労やストレスが溜まってるのか...)
現代人でいうと浦上玉堂のとらわれない生き方と重なるのはダダカンこと糸井貫二さんかな。。
誰それ?って人は都築響一氏の紹介が秀逸なのでそちらを参照して下さい(閲覧注意)。
 (もう閲覧できないようです。残念!)

自分のブログって、、美術系のブログにしてはこの手のしょうもない話題が多い気がする...【反省】
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by brevgarydavis | 2013-04-11 08:20

推薦本ノンデマンド vols.1 ”エスケナージの 『 A DEALER'S HAND 』 ”

何日か前に、近所のガレージセールで3ドルで買った中国の白いお碗をサザビーズに出品したところ、
なんと223万ドル(2億1千万円)で落札されたというニュースが世界を駆け巡りました(イイですなぁ...)

この定窯の白磁碗を落札したのが、ロンドンの有名な美術商エスケナージ。。
中国の古美術に関しては世界一のディーラーです。
最近このエスケナージ(G.ESKENAZI)の半生を回顧した本が出版されました。
キレイな図版も沢山載っていて、中国美術好きの人には必読の本なので軽くご紹介など。。

b0283699_046525.jpgA Dealer's Hand: The Chinese Art World Through the Eyes of Giuseppe Eskenazi

エスケナージ家はイスタンブール出身のユダヤ人の家系。一家そろって前フランス大統領のサルコジさんみたいな顔してます(欧米人が見れば典型的なユダヤ顔なのでしょう)。
一家は銀行業のかたわら1923年ミラノで日本や中国の美術を扱う美術商を始めます。

この本の主人公、ジュゼッペ・エスケナージ(b.1939)は13歳の時にロンドンに留学し、1960年からはロンドンの父の店を手伝い始めます。ま、ここらへんから紹介しだすと何十ページ書いても足りないので結論だけ言うと、このジュゼッペの才覚によって1970年代くらいからエスケナージは一流の中国美術商として頭角を表し始めることになる訳です。

本の中ではエスケナージの顧客だった世界中の著名コレクターが紹介されていて、それぞれは比較的そっけない事実関係の記述が主とはいえ、やはりそこらへんがこの本の一番の読みどころ。。

日本人も60年代から80年代にかけては中国美術の主要な買い手の一角を占めていましたから、松岡清次郎氏や安宅英一氏を始め何人もの人たちが登場します。
中で一番面白いのはやはりMIHO MUSEUMのくだりかな~。

1990年11月、彼の妻のローラが次に開催する「中国古代の象嵌美術」という展覧会のカタログを作るためにギャラリーのライブラリーの大きなテーブルに作品を広げている所へ、いつの間にか一人の日本人が勝手に入ってきて「ここにある作品を全部買いたい」と切り出したんだとか。驚いたローラがジュゼッペにそれを伝えに行った時の彼の最初の反応は「その男をつまみだせ」だった由。┐(-。ー;)┌アタリマエカ...
この日本人こそMIHOのコレクションの形成に中心的な役割を果たした古美術商の堀内紀良氏。
 (以前紹介した金のバックルもこの時一括で購入したものの一つです)
この本を読んで初めて知りましたが、1996年メトロポリタン美術館でMIHOのコレクションによる展覧会が開かれたのも、I.M.ペイがMIHO MUSEUMを設計したのもジュゼッペの紹介によるらしい(ヘェー)。

日本人以外では、
アメリカでの主要な顧客としてはクリーヴランド美術館やロックフェラー、アーサー・M・サックラーなど。
特にクリーヴランドのシャーマン・リー館長との付き合いは深かったようですが、長くなるので省略。。

ヨーロッパではなんと言っても玫茵堂(Meiyintang)コレクションで知られるZuellig兄弟。
もともとフィリピン生まれのスイス人で、医薬品流通業(ズーリック(ズエリグ)ファーマという東南アジア中心に1兆円近い売り上げがある会社です)で財をなした一族ですが、ヨーロッパの中国陶磁コレクションとしては大英博物館に次ぐ質・量のものと言っていいでしょう。日本でいうと出光の中国陶磁・青銅器部門くらいの量が安宅コレクションのような上品なテイストで集められた感じかな。
この本でも一番多く取り上げられているのが彼らのコレクションですが、残念ながら2011年一部がオークションに掛けられました。ただそれは恐らく兄弟の一人が亡くなったことによる相続分の一部で、大半はスイスに残るんじゃないかと思います(現在リートベルク美術館に寄託中)。


(閑話休題)
こうしたコレクターのエピソードを紹介してたらほんとキリがないので...。
素晴らしい作品が山ほど掲載されてますが、眼についたものを何点かだけ紹介させて下さい。。

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左上から
①饕餮文方斝、h.34cm、B.C.12-11c ②彩画鏡、d.28cm、前漢 ③鍍金竜、L.46cm、前漢 ④玻璃貼釉耳杯、L.14cm、戦国末期 ⑤青銅人物台座燭台、h.23cm、漢 ⑥三彩馬頭官人坐像、h.22cm、8c ⑦青花鸚哥図大盤、d.76cm、永楽頃 (所蔵は全て個人蔵、日本語の作品名は私が仮に付けたものです)


①の方斝は類品が北京故宮やフリーアにありますがかなり少ない器形。

②のように背面に顔料で人馬などが描かれた戦国~前漢時代の銅鏡は三十数面が知られていて、国内にも九博所蔵の3面(1面は東博から移管、重要文化財、残り2面は九州ビルヂング寄贈)や根津美術館所蔵品(村上コレクション)、破片ですが糸島の甕棺から出土したものなどがあります。しかしその中でも②はダントツで状態の良い見事なもの。e国宝の九博の鏡と比較して見て下さい。

③は何に使ったのか私には全然分からず。

④は装飾として器に数種の色ガラスを貼り付けたもので同様のものは世界に6点のみとか。これまでは東博所蔵の小壺が有名でしたが、それと比較にならないほど保存状態が素晴らしいです。

⑤は力士?が燭台を掲げるという趣向でしょうか。仮に燭台としましたけど多分蝋燭じゃなくて油を燃やしたもの。この手の古代中国の金属製人物像はある程度デフォルメされたものが多いですが、これは兵馬俑と遜色ないくらい見事な写実性を誇る傑作。特徴的な帽子はどっかで見た気がするけど思い出せない...

⑥も大珍品ですね。獣頭人身の陶俑像は十二支セットのものが幾つか知られていますから(国内では早大会津コレクションなど)、これももと十二支全部あった内の一つかも。しかし他の十二支俑はみな加彩の簡素なもので、三彩像はこれのみだと思います。

⑦は全く同図様の日本伝世品がスペシャルな作品として以前から著名でした。確か信州伝来で直径72cm、元~明前期の伝世した完形青花磁器としては最大の盤として知られていたもの(ただし大破してますけど北京故宮には75cmの盤あり、景徳鎮出土品にも大きいのがあった気がします)。
しかし⑦はそれを上回る76cmの巨盤!!(官窯磁器には必ず類品ありってのを思い知らされますね)
これ位の大きさになると4cmは製造時の誤差の範囲内でしょうから日本伝世品と元々セットだったかとも思われますが、日本のには外縁に「大明宣徳年製」銘が入っていたはず。これは無款のようでこの本では永楽にアトリビュートされてます(確かに写真で見る限りでは青みが強く日本のより永楽っぽい)。
銘がないのを永楽年間の傍証と見るか、それともこれだけ特別な作品なのだから日本伝世品と同時期の焼造と見るか、判断の分かれるところですね。


他にも本文中を含めると600点近い作品の図版が載っているこの1冊。日本の展覧会カタログよりはちょっと高いけど、英語読まなくても図版見てるだけでも十分元取れますよー(^ー^)。
   
(個人的に残念だったのは不言堂の坂本五郎氏が昔オークションで落札して有名だった元青花釉裏紅貼花文壺が既にエスケナージに売却されていたのを知ったこと。致し方ないこととは言え不況が20年も続くとポロポロ名宝が流出しますね...箱根にできる岡田美術館あたりが買い戻してくんないかな~。)

    
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by brevgarydavis | 2013-03-31 00:49

Today is a perfect day to die...☆。.:*:・'゜ヽ( ´ー`)ノ ~♪

今日(3月27日)は満月ですね。東京では桜が早くも満開です。
とくれば西行のあの有名な歌を思わないわけにはいかないでしょう。

願はくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ

b0283699_21343617.jpg今日は旧暦では2月16日。
あれ?満月って旧暦だと15日じゃないの?って思った方もいらっしゃるかも。実際には旧暦で満月になる日は大抵16日か15日、時々は17日、ごく稀には14日になることもあります。これは旧暦では朔(=新月、月齢0の瞬間)を含む日が月が立つ日(一日=ついたち)と決められている訳ですが、一日の何時頃に朔の瞬間が来るかということと、朔から満月までの期間が月が円軌道ではなく楕円軌道を廻っているために13.9~15.6日の範囲で変化するということによります(地球が楕円軌道で廻っていることも少しは影響します)。
如月の望月は3月4日~4月6日位の範囲で毎年変動しますから、桜の咲く季節と重なるのは今の近畿地方でソメイヨシノとすると3~4年に一度ぐらいでしょうか。西行の愛した吉野の山桜ならめったにはなかったはずです。

実際に西行が南河内の弘川寺で亡くなったのは文治6(1190)年2月16日のこと。現在のグレゴリオ暦でいうと3月30日頃に当たります(ユリウス暦では3月23日)。
この年も2月は16日が満月。。都の知人たちは西行がかねて詠んだ歌の通りの日に生涯を終えたことに驚き、その見事な最後を讃歎して已みませんでした。
難しく解釈すれば、月は仏道の悟りの象徴、桜の花は和歌など日本文化あるいは俗な世界の象徴ということになるのでしょうが、それ以前に西行はとにかく月と桜がただただ大好きだったんですよね。。もちろん如月望月と言えばもう一人の偉大な人物の命日でもあります。
そう、お釈迦様でございますよ~。O(-人-)O アリガタヤ・・。

松村景文「月に桜花図」、116×46cm、京博蔵

昔は旧暦2月15日には日本全国いたる所で涅槃会が行われていました。その証拠が今に残る涅槃図。
宗派を超えて大抵のお寺に所蔵されているので仏画の中では一番数が多いと言われています。
現在では新暦の月遅れで3月15日に涅槃会を催すお寺が大半になってしまったため、残念ながらおぼろな満月の下で時には万朶の桜を眺めながらお釈迦様の死を悼むという風情は失われてしまいました。
でも西行は73年の生涯の内には何度かそうした忘れられない美しい涅槃会を経験したのでしょう、それが上の歌のような素直な希求となって表れたのだと思います。

西行と同時代の適当な涅槃図というのが中々無いので、もうちょっと後の1幅を挙げときましょう。

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               「仏涅槃図」、202×179cm、鎌倉前期、和歌山・浄教寺蔵

皓々と照る2月の満月の下(5月だったという説もあり)、沙羅双樹の木に囲まれて入寂した釈尊が
静かに横たわっておられます。周りにはそれを聞いてやって来た多くの衆生の嘆き悲しむ姿。

恥ずかしながらわたくし、最近まで涅槃図をそんなに感動的な絵とは思いませんでした。
 ただ古い絵が沢山あるので、時代ごとの腺の質や人物表現などを見るのには好都合だなーぐらい。
だってお釈迦様の死に方ってあんまりパッとしないんですよね。。
 イエスみたいに罪人として磔になって終わるってのも陰惨過ぎる気がしますが、
お釈迦様は八十まで長生きした挙句最後はお布施で貰ったキノコにあたってポックリ亡くなるという...
 (キノコを布施した張本人のチュンダって人が「あ~やってしまった、替りにこれを~」て山盛りのご飯
   を掲げてお釈迦様のすぐ下に描かれてますね。左隣は名前は忘れましたがお医者さんです)

でも一昨年東博で涅槃図を何気なく見ていたら、
 (上の絵じゃないんですよ。東博の12世紀に遡る涅槃図がとっても良い作品なんですけど
  状態が悪くて画面では図様がほとんど見えないので、替りに浄教寺の絵を載せました)
なんだかお釈迦様が、それまで思っていたような悟りきって澄まして死んでいったような人ではなくて、
本当に苦労して苦労してつらい生涯を生きてきた人が、
死んだ後にようやく求めていた安息を得て静かに横たわっているように見えて、
苦の果ての寝釈迦尊しという思いに涙が止まりませんでした。



(つづく)
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by brevgarydavis | 2013-03-26 22:55

ヽ( ´ー`)ノ ~♪ 「さようなら、クールベさん!」 (´゜,_ゝ゜) 「オーヴォワーゥ、アシウージ!」

村内美術館を代表する名作、クールベの「フラジェの樫の木」が4億5千万円余でフランスの
クールベ美術館に売却されることになったようです。

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                クールベ「フラジェの樫の木」、89×111cm、1964年

村内美術館、なんだかんだで7~8回は行ってるかな~。なかなか居心地の良い美術館ですよね。
もっとも村内美術館が目当てだったのは最初とリニューアルオープンの時くらいで、他は東京富士美術館に行ったついでに、というのが多かったですが...いや、でも二館あるから遥々八王子まで行く気になるんですよ~帰りはいつも村内の送迎バスにお世話になりましたし。☆(*^_^*) 謝々。

今回も学会美術館のアーモリーショー展いつまでだろ?って検索してたら、ついでに見た村内美術館のホームページに曰く、「フラジェの樫の木」は故郷に戻ることになりました、って!?
はぁ??よりによってあの「フラジェの樫の木」が??
 (より詳細な情報は”美術展命の男のブログ”さんのページが詳しいのでそちらを参照して下さい)


初めて村内美術館へ行ったときは、家具店の中という恵まれない環境(失礼!)にもかかわらず、ホントに19世紀のフランスの田舎を巡っているような不思議な感覚に陥ったのに驚いたものです。
美術館であんな気分になったのは後にも先にもその時ぐらい...その頃は展示品もバルビゾン派の佳作に限られていてコレクションに統一感があったからかも知れません。
 (人がほとんど入ってなかったてのもあるね...)。

その後次第に印象派などのコレクションが増えていくのにつれて(勿論美術館的には目出度いことなんでしょうが)、そうした時代を髣髴とさせる雰囲気のようなものは薄まっていった気がします。
ですから10年位前から、モネやピカソ、マネなんかをポロポロ手放し始めた時にも(途中でクールベのシヨン城を買ったりしたこともあって)それほど残念とか心配する気持ちにはなりませんでした。。

それが今回は「フラジェの樫の木」ですよ!!
個人的に好きな絵ということで言えば、同じくクールベの「ポドスカーフに乗る女」やコローの「ヴィル・ダヴレーのカバスュ邸」の方に心が傾きます...けれどもこの「フラジェの樫の木」はまさに村内美術館の魂とも言うべき作品じゃないですか!これがあることがどれだけ館の声価を高めコレクションに千金の重みを与えているか分りません。。

しかしまぁクリスティーズに出したマネの「芍薬」が10億円超で落札されてまだ3年も経っていないのに看板のクールベ売んなきゃならないなんて大丈夫なんでしょうか?!(どう考えてもヤバいさぁ~)
館の運営資金を調達するなんていう段階はとっくに超えちゃってますよね~10億あれば村内程度の館なら20年は余裕で運営できるはず...明らかに本業の損失を埋めるための売却としか思えません...
多摩地域の雄として君臨してきた村内ファニチャーアクセスも真向かいにできたニ×リのお値段以上攻撃には膝を屈せざるを得ないということですか?!(ニ×リさんもやり方がエグいわ!)

我が国ではあまりにも美術館の存亡が激しいので閉館した時にがっかりしないように、コレクターが亡くなってしばらくしても大丈夫なのを確認するまではホントの美術館じゃなくてお金持ちの私物を好意で見せてもらってるだけだ、と思うことにしてるんですけど、村内くらい親しんだ館が無くなるのはやはり残念ですね(いやいや、まだ無くなってませんし村内さんもご健在です...ヾ(^-^;) スマヌ)。。
村内道昌氏が優れた収集家であることは、手放した作品が皆入手時より大幅に高値で取引されていることでも分りますが(今回のクールベも1987年に5849万円(42万ドル)で入手したものです)、背に腹は替えられないということなのでしょう。。私が行った時も3回に1回位は美術館でうろちょろされてるのを見かけましたから本当に絵が好きで美術館にも愛着を持ってらしたのだと思いますが...

b0283699_22124364.jpgしかし樫の木も八王子の家具屋さんに収まっているよりも故郷近くの立派な美術館に里帰りした方が幸せなのかも知れん。
90年余りフィラデルフィアに、25年ほどハチオウジに移植されてましたからガリアの地に戻るのは久しぶりですね。
まだ村内美術館行ったことないって人は今のうちかもよ。

個人的なお勧めはブーグローの肖像画。
ブーグローと言えば少女や母子を肖像画っぽく描いた風俗画や官能的な神話画が良く知られていますが、実はマジメな肖像画が一番レベルが高い。
風俗画ではどうしても19世紀的な甘ったるい通俗性が鼻に付く画家ですが、肖像画では直接的にはアングル、遡れば今西美でやってるラファエロの最後の直系と言っていい見事な技法が素直に堪能できます。。
え?これは確かにあるんでしょうねって?そこら辺は自己責任で確認して下さいな..

W.A.ブーグロー「モントロン伯爵夫人の肖像」、111×76cm、1864年
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by brevgarydavis | 2013-03-19 09:13

美術史の小窓 その8 ”こっ、このお札でもやってもらえませんか?”―1枚で2度美味しい石山切の巻―

いや~ベーコン展良かったですよ!やっぱまとめて見ると違いますね。
あんな上手で器用な画家だとは思ってなかったわー。没後作品が高騰してるのも分ります。。
意外と破天荒さには欠けますが、欧米のお金持ちにはあれ位のsmartな酸味がちょうどいいのかも。
ただ作品数が少なすぎるぜよ!腹六分目くらいで終わっちゃう感じですな (/´θ`)/ ベーコンダケニハラヘッタ。

で、今日はベーコンの話じゃなくって、この前山種美術館で見た石山切の話。
って今ネットで確認したら前期で展示終わっちゃってるし...
まぁ色んなところに所蔵されてて時々見かける作品なのでお付き合い下さい。m(。・ω・。)m。

このネタは話の都合上、お隣中国の宋元版から説き起こさねばなりませぬ(長くなりそ...)。

宋元版というのは宋(960-1279)や元(1271-1368)の時代に出版された本のこと。
その画期的な点は 巻物→冊子本へ 写本→印刷本へ という
東洋の書物にとって革命ともいうべき二大変化が起きたことです。

いや、正確にいうとそれらの変化は唐の後期、8~9世紀には既に始まっていました。
冊子本というなら仁和寺に空海等の筆にかかる「三十帖冊子」(804-806年頃)という本があり、
敦煌からは年代不詳ながらそれより古いと推定される冊子本も発見されています。
 (ただしこれらは印刷ではなく手書きの写本)。
印刷本というなら日本の「百万塔陀羅尼」(770年)や敦煌出土の「金剛経」(868年)があります。
 (ただしこれらは巻物)。
冊子本でかつ印刷本という書物もそのころから存在していたと思われますが、
現存例の出現は北宋も終わり頃まで待たなければなりません。
中国では宋代以降書物の形態は一変し、本といえば印刷された冊子本が当たり前になりました。
 (日本では違います)。
唐後期~五代という過渡期の遺品が極めて少ないこともあって、ザックリ言うと「唐代までの手書き巻子本の時代」から「宋代以後の印刷冊子本の時代」、という捉え方ができるわけですね。。

で今日は宋元版に関して何が言いたかったかというと、宋元版は胡蝶装(粘葉装)で
あった、ということなんです。

b0283699_0335919.jpg昔の和本とか漢籍というと紙を二つに折って糸で袋綴じにした装丁を思い浮かべますよね。左の『通典』の例でいうと普通右側に四ヶ所穴を開けて糸で括って1冊の本にします。。でもこれは最近数百年の比較的新しい装丁方法なんです。
実は元時代までは糸ではなく糊でくっ付ける”胡蝶装”という装丁が行われていました。
袋綴じの場合は字の書いてある面を山折にするので袋の中の見えない側に白紙の面が来ますが、胡蝶装の場合は逆に字の面を谷折にして白紙側の折目の所に細く糊をつけて前後の紙と貼り付けていきます。チョウチョの胴体の側面に糊をつけて何頭もくっ付けていくイメージですね(そうすると字が書いてある見開きと白紙の見開きが交互にくることになります)。
ただこの胡蝶装には糊が剥がれてバラバラになり易いという欠点がありました。そのため後の時代にほとんどが糸でしっかり綴じる袋綴じに改装されてしまっています。
左の『通典』、実は胡蝶装の原装頁を多く残す極めて稀な例なんです。

『通典』(存36冊の内)、南宋刊・元修、天理図書館蔵

上の図版でも左端に細く付けた裏の糊が染みた跡が見えますよね(1丁の紙の右半分しか写ってないのでちょっと想像しにくいですが、左が版心側、右がパラパラめくる側です。袋綴じとは逆ですね)。
宋元版はお経を除いてもざっと5000点位は現存するでしょうが(大陸に7割弱、日本・台湾に各15%、欧米に若干という感じです)、この『通典』のように原装を残しているものは数十点もないと思います。
鎌倉後期から室町初期にかけて宋元版を真似して日本で出版された五山版も本来は胡蝶装でしたが、こちらも原装を残すものはごくわずかしかありません(東北大本『景徳伝燈録』など)。

で、実は五山版のような漢籍だけでなく平安~室町の頃の和書でも同じく糊付けによる冊子本の装丁が普通に行われていました。これを粘葉装(デッチョウソウ)といいます。
粘葉装と胡蝶装、区別せずに使われることも多いんですが、以下に述べるような違いがあるので和書の場合は粘葉装、宋元版や五山版の場合は胡蝶装と使い分けた方が良いと個人的には思います。

違いの一つは和書は手書きの写本なのに対して、宋元版などは印刷本であること。
さらに宋元版・五山版では必ず片面にしか印刷されませんが、和書では裏にも書写(両面書写と言います)されている場合が多いこと。。
これは宋元版は紙が非常に薄くて透けてしまうため両面印刷が不可能なのに対し(ただし改装の際に別紙を裏打ちされた結果一見薄く見えないもの多し)、和書は紙が厚いので可能なことです。
さらにこれと関連して和書では大抵糊付けの幅が広く(1cm位)、糊代の部分に折目が付いていることが多いのも重要な相違点。宋元版では糊付けされているページは白紙の見開きになるので開く必要がありませんが、両面書写の和書では読むために開く必要があるので、ある程度丈夫、かつ余計な力が接着面にかからないようにするためだと思われます。
結果耐久性があったのか宋元版・五山版に較べれば改装されずに原装を残すものが多いようです。
また改装するにしても、両面書写本の場合袋綴じにしてしまっては裏面の文字が見えなくなるため、紙の真ん中で糸綴じする綴葉装(テツヨウソウ)という装丁が用いられます(今のノートと同じ綴じ方ですね)。


それでようやく本題。。件の石山切も元々は粘葉装の両面書写本だったんですわ。

b0283699_15531514.jpg石山切に関してはWikipediaの「西本願寺本三十六人家集」のページが良くできているので詳細は省きますが、西本願寺が所蔵していた『三十六人家集』39冊(1112年の白河法皇の還暦祝いに贈られたものという説が有力)の中から宗教女子大学設立の資金を得るため昭和4年に「貫之集下」「伊勢集」の2冊を解体して古筆切とし石山切と名付けて好事家に売り出したものです。

金銀箔や砂子、雲母刷り、墨流し、彩色下絵、破り継ぎ、重ね継ぎなど善美を尽した料紙に当時を代表する能筆20人が和歌を認ためたまさに王朝の美意識を体現する珠玉の冊子本(片手に載るようなホントちっちゃい本ですけどね)。。たちまち多くのコレクターの求むるところとなり、掛軸となって床の間を飾ることとなりました。


     石山切(伊勢集)、20×16cm、梅沢記念館蔵

「貫之集下」は43枚、「伊勢集」は48枚、1枚当り見開き2頁×裏表で4ページありますからこの小さな2冊の本から最大でなんと364本もの掛軸ができることになります(実際には見開き2頁分のまま軸装されたものなども結構ありますからそこまではいきません)。

でも皆さん、あれっ?って思いませんでしたか?
石山切は先に述べた通り両面書写の本のはず...掛軸にしたら裏の字が見えなくなるのでは??
私も長い間疑問だったんですよー。まさか1枚の紙を2枚に剥いじゃうってことはないよねー。

と、思ったら...そのまさかなんですわ~!!∑( ̄ロ ̄|||)really!?

だって普通の紙ならまぁ分かりますよ、和紙ってのはよくテレビとかで見るように水の中で何度かチャッチャッって漉き重ねてますもんね。自然に層が出来てるはず。。悪い人が1枚の水墨画から合い剥ぎで2枚の絵を造っちゃうなんて話も聞きます。

でも上の石山切を見て下さい!何枚かの色違いの紙を継いで一枚の料紙にしてるんですよ!特に右上・右下の紙のつなぎ目がそれぞれグラデーションになってるのが分かりますか?これは細く破いた色変りの紙を何枚か丁寧に繋いでいく重ね継ぎという技法。。
これどうやって2枚に剥ぎますのん?一遍にやろうとしたら絶対ビリッって行きますやん?一回全部解体してからそれぞれ2枚に剥がして再びくっ付けんのかな?未だに謎だらけだわ~!!

美術館でいくら見てもこういうのは分かりませんね~。
以前詳しそうな人に聞いたら「出来てるんだからどうにかすりゃ出来るんだろうな~」とのこと...
分かっとるわ!そんなことは!!
他の人もこんな細かいことはあんまり興味なさそうでした...(悲)。

実は石山切には2枚に剥がさずに上手く窓の中に嵌め込むように表装して、表裏リバーシブルに鑑賞できるようにしたものもあります。
例えば湯木美術館のコレ。。
b0283699_083738.jpgb0283699_04827.jpg
(表面)                           (裏面)
あれっ?...(表面の向かって)右部分は裏表対応してるような気がするけど、左は明らかに違う...
対応してる方も単純に裏表同じ色じゃないですね。。重ね継ぎの部分がそれぞれずれてるからか...
じゃその部分は細く切ってるじゃなくて4枚も5枚も厚く紙重ねてるってこと?...
うーん、図版見てあれこれ空想してもしゃーないですね。。
頼むからだれか説明してくれ~ヘ(*′Д`)ノ゛ helр me! !。。

自分で買って実物確かめられればいいんですが、宋版も石山切もフェラーリくらいするんですよ~。。
自転車も持ってないのにムリだわ...

しかし考えて見ると...三十六人集全部解体したらフェラーリ数千台分になるな...
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by brevgarydavis | 2013-03-16 23:02

奇態(extravagante)の系譜 ―エル・グレコ展―

はぁー花粉症でなんもする気がしまへん( ̄。 ̄)ボ~~~~ッ。
家帰ってもビール飲んでテレビ見ながらゴロゴロ...あっ、それはいつもと同じか(爆)。。

エル・グレコ展、会田誠展、白隠展、クラークコレクション展、ラファエロ展等々どれも充実した展覧会で楽しめましたが、特に花粉症を押してまで書きたいこともないしな~でもせっかく荷物の山の後から昔の図録引っ張り出したのでEl Grecoに関して心に浮かぶ由なし事など、未整理のまま二つ,三つ。

今回の展覧会、51点の油彩画が集結する「日本で開かれたエル・グレコ展で過去最大規模」っていうのが謳い文句ですが、そもそもグレコ展は日本じゃ1986年の1回しか開催されてませんしその時も油彩49点来てるからあんまり変わんないよね...(どちらも1点グレコ(工房)以外の作品あり)。
美術史的に興味深い作品はいくつか来てますけど、むしろ前回の方がグレコらしいドラマチックな一般受けする絵は多かったような気がします。大型作品も多かったしなぁ。。
でも昼下がりに山手線でこれだけのグレコ作品を見に行けるのは確かにありがたいこと。。
昨年度から始まった美術品補償制度のおかげかな、と思ったらこの展覧会は適用受けてないみたい。
なんで??
前回と重複してるのはざっと数えた限りでは11点。

パルマの作品は洗浄しましたな。。
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 「盲人を癒すキリスト」、50×61cm、c.1571-72、パルマ国立美術館蔵   (左)1986年→(右)2012年

エル・グレコの場合、美術史的に最大の問題点は次の二つ (モチロン私がそう思ってるだけですが…)

A. エストラバガンテと評される彼独自の画風は一体何に由来するのか。
B. 多くのレプリカやヴァージョンを整理してその工房活動の実態を明らかにすること。

Aに関しては(あ、”extravagante”ってのは「一線を越えて向こう側で彷徨っちゃってる」という意味で17世紀以来グレコの絵を語る時の常套句です)、
ビザンティン美術やイタリア・マニエリスムの影響を探るものから、当時の神秘主義的思想を持った
パトロンたちの意向、あるいは画家の狂気や乱視(!)にその特異な画風のルーツがあるとする
ものまで様々な説が出されました。

近年の研究の進展によって、今では眼やオツムがヘンだったなんて説は完全に否定されていて、
むしろグレコは極めて理性的かつ高い教養を持った画家だったというのが定説になっています。
(それを証拠立てたのが彼自身の大量の書き込みのある『建築十書』と『芸術家列伝』の発見。
前者は今回展、1986年展の両方に解説を寄せているマリーアス氏らがマドリードの図書館で、後者は
プラドの館長などを務めた故サラス氏がロンドンの古書店でたまたま(!)発見したものです。書き込み
のスペイン語はちょっと怪しいらしいですが、その内容は彼の画風が宗教的情熱の産物などではなく独自の美学に基づいて周到に計算されたものだったことを示している、らしいです。読んだ事ないけどさ)。

もう一つ、近年の大きな成果はギリシャ時代の作品がかなり発見されたことですね。
いまだ帰属に賛否のある作品が多いですが十数点にも達していて、イタリアに渡る以前にも地元ではそれなりに人気のある画家だったのでしょう。


で、実は私がオールドマスターズの個展行くときいつも一番楽しみにしてるのがBの工房問題。。
なんとか鑑定団みたいに本物かニセモノかとか考えるのは楽しいですよね~(まぁ展覧会には真っ赤な偽物はまず出ませんが...)。。以前は展覧会行く前にワザワザ画集とかで確認したいところ予習して行ってたもんです(昔はマジメだったな~)。

例えば、下は左が有名なトレド大聖堂の「聖衣剥奪」(①285×173cm、1579年)、真ん中が今回来ているサント・トメ教区聖堂のもの(②75×43cm)、右が86年展で来ていた個人蔵の作品(③56×32cm)。

もちろん発注の記録も残っている①がオリジナルですが、他の同図様のものは、グレコ自身によるレプリカ、工房によるレプリカ、あるいは①のための習作、はたまたグレコ工房とは関係ない人物によるコピーや贋作など様々な可能性があります(「聖衣剥奪」も上半分だけの図まで含めると20点近いレプリカが知られています)。

③は上方の空間が広く取られていることを除けばオリジナルにごく忠実な質の高い縮小作品(これと極めて良く似た作品が英国のアプトンハウスにあります)。
こうした小さくて質の高い作品については、F.パチェーコが1611年にグレコの工房を訪ねた時に見せられたという「小さめの画布に油絵の、彼の生涯に描いてきたものすべてについてのオリジナル」という記述との関連が問題になりますが、現在残っている作品から判断する限りでは”オリジナル”といっても習作的なものではなく、工房制作に備えたグレコ自身による縮小レプリカであったと考えるのが妥当でしょう。③はそうした”オリジナル”の一つである可能性もあります。
真ん中の②はこれだけで見るとドラマティックで魅力的な作品ですが、一部のドレープの筆致のぎこちなさや強めの白のハイライトの付け方などが①との隔たりを感じさせます。制作年が下るからというよりはやはりグレコとは別の手による工房作と判断した方が良さそうです。。
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日本人として興味があるのは、やはり大原美術館の「受胎告知」が真筆かどうかということ。

下は左から④トレド美術館旧蔵(2007年のオークションで売却,418万4千$)、⑤ブダペスト美術館所蔵、⑥大原美術館所蔵の「受胎告知」3点(サンパウロ美術館にも似た作品があります)。
 (前回は⑤,⑥が展示されましたが、今回はこれらの展示はありません)
ウェセイは1962年のカタログレゾネで④をグレコ自筆、⑤,⑥を工房作と位置付けて日本のグレコファンに衝撃を与えました(ただしこれらは写真を見ただけでの判断とのことで1967年西語版では3作とも保留気味ながら真筆扱い)。
さて、皆さんはどう思われますか?
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個人的にはウェセイの最初の見解が比較的真実に近いかな~と。。
④はスケッチっぽく書き流した感じでマリアの顔などいかにも弱く見えますが、マリアの手や青のローブには素早い刷毛目のような筆致がそのままテクスチャアや立体感の表現となっているグレコの特徴が良く出ていて本人がサッと作った書き込み不足の作品のように見えます(サザビーズのestimateも確か60-80万ドルと中途半端な評価額でした...)。
⑤は一番しっかり書き込まれていて鮮明な色使いもあり見栄えがしますが、所々硬いのが難点。マリアとガブリエルとの距離は適切で一番緊張感があります(トレドは狭すぎ、大原は広すぎ)。
⑥は暗さ、重さが目立ち、これまでも言われてきたようにグレコの息子のホルヘ・マヌエルによって仕上げられたってのはイイところついてるかも。。
⑤,⑥はグレコ以外の手が入っているのは間違いないと思いますけど、だからといってダメな作品では全然ありません(⑤,⑥の方が④より高い評価額が付く可能性は十分にあります)。
グレコのような画家の場合は代表作でさえ多くは工房の協力のもとに作られてる訳であって、仕上げた人物と絵画的な質の高さとは個別の作品ごとに分析・評価される必要があります(グレコ工房で息子のホルヘ以外に名前が分ってるのはF.プレボステとL.トリスタン位ですが...)
まぁ、専門家がちゃんとした研究出す前こそ、素人があーでもないこーでもないと勝手なこと言えて楽しいのでございますわ~。。
皆さんも例えば白いハイライトの筆致に注目してグレコ展見るなんてのもお薦めですよ。
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前近代の画家の真筆性の判断というのは昔テキトーだった反動もあって、西洋でも日本でも20世紀の中頃からしばらくキビシクなり過ぎた印象があります。ひとつには芸術作品は個人の産物だという近代以降の意識が投影された面もあるのでしょう。
最近は工房の実態をできるだけ正確に把握して、プロデューサーとしての役割も含めた画家の画業の全体像を捉えようという研究が主流になってきたのは大変良いことですね。魅力的な工房作もたくさんあることだしさ。。まだ行ってないけどBunkamuraのルーベンス展もそういう展覧会だと期待してます。

はぁ~しかしwbc見ながら1時間位で書こうと思ってたらなんだか堅い話になってしもた...言いたかったのはOld Mastersの個展(狩野派なんかもですね)は画家の個性が表れる細かいとこ見比べながらウロチョロすると楽しいよ、ってだけなんですが...
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by brevgarydavis | 2013-03-07 14:00

美術史の小窓 その7 ”トーガエ・ロマエ”の巻

五島美術館のリニューアル記念展第4部、「時代の美―中国・朝鮮編―」に行ってきましたよ。。
ちょっと寒いけどうららかな昼下がりにのんびり骨董見学。こりゃ極楽ですね~。

で、陶磁器や紙モノは時々展示される作品で、気になってた点を確認するって感じでしたが、
見たことない中国金銅仏が展示されてたのにはビックリ!!

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         ① 金銅仏坐像、h.29cm(光背除く)、北魏・和平5(464)年、五島美術館蔵

むむむ、五島にこんな優れた北魏仏があったとは<("0")>...青天の霹靂とはこのことです。。
驚いた理由の一つは、これととっても良く似たホトケさん達に以前から興味があったから...

(ノ・⊿・)つ
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左から
  ②金銅如来坐像、h.40cm(光背含む)、北魏・太和元(477)年、台北故宮蔵(新田コレクション)
  ③金銅如来坐像、h.41cm(光背含む)、5c、台北駐日経済文化代表処蔵(新田コレクション)
  ④金銅如来坐像、h.28cm、北魏・延興3(473)年、チベット・ポタラ宮蔵

②、③の新田コレクションというのは台湾出身の新田棟一(1912-2006)という人が集めた金銅仏を中心とした大コレクションのこと。多くは台北の故宮博物院に寄贈されましたが、③は既に重文指定を受けていたため日本国外に搬出できず、白金の駐日代表処への寄贈となりました。
だれか一代記でも書いてくんないかな~って位の怪人物ですが、表向きの略伝は次のサイトを参照して下さい (「彭楷棟先生遺贈文物特展」)
また④の仏像の頭の青、顔の金泥はチベットの通例で後に塗られたものです。

この4体、像容から台座までそっくりな部分が多くサイズもほぼ同じで、時代・制作地がごく近いのは
一目瞭然ですよね (もっと大きい図を載せれば細部の共通点も分るんだけど...)。
特に注目して欲しいのはどれも左手で衣の端を握っているところ。。
昔②か③どっちかを見た時からずっと気になってたんです。。
こんな印相、仏像の解説にも出てこないし(阿閦如来には衣の端を持つポーズがありますがこれらが全部阿閦如来として作られたとはとても思えません)、そもそも衣を持たなきゃいけない理由が分からない(薬壺や水瓶だったら分かりますが...)。
でも別に北魏の坐像だけじゃなくてガンダーラや中国、日本の立像にもあるんです。

(ノ・⊿・)つ
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左から
  ⑤仏陀立像(ガンダーラ出土)、h.109cm、2-3c、平山郁夫シルクロード美術館蔵
  ⑥如来立像(陝西省西安市出土)、h.170cm、6c後半(北周)、西安市文物保護研究所蔵 
  ⑦薬師如来立像、h.42cm、8-9c?、聖衆来迎寺蔵

左手右手、順手逆手と持ち方は様々ですが、なんか意味ありげに服つかんでますよね。。

で、最近モノの本をパラパラめくっていたら、
ガンダーラ仏の衣を持つポーズはローマの皇帝像に由来する、って書いてあるのを見つけました。 はぁ~!!そっか!!日本の仏像の本にはあんまり書いてないと思うけど多分そっち系(ヘレニズム美術とか)の人には常識なんでしょうね!
ガンダーラ彫刻がヘレニズム文化の強い影響の下に成立したのは周知の事実でしょうが、仏像の施無畏与願印などもオリエントの女神像やローマの皇帝像のポーズを基にしたもので仏教的な意味は後付けなんだそうです (ノ゚⊿゚)ノ ヘェー!!

それじゃあと思ってローマの皇帝像を探してみると、、

b0283699_14163558.jpgあれ~?衣握ってる像なんてほとんどないよ~?
そもそもちゃんとした全身像自体あんまりない...頭部だけだったり手が欠けてたり...やっと見付けたのが左のルーヴルのやつ。。

⑧アウグストゥス像、h.1,96m、B.C.2-1c

でもトーガ(ローマの男性の正装ね)握ってるのは右手だし握り方も①~⑥とは随分違う(⑦には近いけど)。ホントにローマ皇帝の格好に由来するってことでいいのかな~でも専門家の云う事だからとりあえず信じることにしますか。。

昔の聖衆来迎寺のお坊さんの中にも「なんでうちのホトケさんころも握ってはるんやろ」て思ってた人もいたかも知れませんが、まさかモロ平たい顔したお薬師さんの決めポーズがこんな濃ゆい阿部寛顔のローマ人の真似だったとは想像もしなかったことでしょう!(最澄請来という銘文を持つ横蔵寺の仏像をはじめ、若王子、地蔵院、融念寺なんかにも似たポーズの像があります。でも①~⑥とは随分違うので又別起源の像容なのかも。難しいね~)。。

以上、風呂屋以外にも古代ローマと日本とは昔から地味ぃ~に繋がってたんですよ~って話でした。
オソマツm(_ _)m

(ちなみにトーガって日本人にはただ布きれ引っ掛けてるようにしか見えませんが、かっこイイ襞の付け方とかが難しくって専門の着付け奴隷が必要なほどだったとか。普通の人が着るには面倒すぎるため人気がなかったそうです)

テルマエ・ロマエ的?な仏様が見られる五島美術館「時代の美―中国・朝鮮編―」
3月31日迄開催中!!
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by brevgarydavis | 2013-02-25 22:33

どうなる堀内コレクション...Breakfast or Broken-Heart at Tiffany's ?

先日サザビーズのサイトを見ていたら、
堀内コレクションが一部オークションにかけられていたことに気がつきました。。

Sotheby's Paris, February 16, 2013

ありゃらら~!いつかどこかに美術館ができるもんだと楽しみにしてたのに~( ̄▽ ̄;)!!ガーン

堀内コレクションって何?という人でもかつて松江や名古屋にティファニーを中心とした素晴らしい
装飾美術コレクションを展示した美術館があったのを覚えている方は多いんじゃないでしょうか。

最初は90年代半ば頃、名古屋の瑞穂区円山のビルの中にオープン、、
それがあれ無くなった?と思ったら、数年後、遥か島根県にイングリッシュガーデン付で再登場。。
近所の古江駅が ”ルイス・C.ティファニー庭園美術館前駅” という日本一長い駅名になったことでも話題になりました(行ったことないくせにすらすら暗誦できるテツ多数...)。

それが所有者の堀内不動産と松江市とのごたごたでわずか数年で又々閉館の憂き目に...
 (今ネットで調べたらオープンしてたのは2001~2007年の間みたいですね)。。
私は結局松江までは行かず終いだったんですが、写真で見る限りでは日本じゃ珍しいピリオドルーム風の展示室もあったりして頑張っている印象もあったのでもったいないなーと残念に思っておりました。

でも堀内武雄氏が東京近郊で美術館建設の可能性を探ってるなんてウワサも小耳に挟んだような記憶もあって密かに期待してたんです。。

ああ、、それなのにそれなのに( ;´_ゝ`) ...

いや、今回売却されたのはラリックやガレなど堀内氏の収集品の中では周縁的な作品群。。
あくまで堀内コレクションのメインとなるのは、個人蔵としては、あるいはアメリカ国外では間違いなく
最大最良を誇るティファニーコレクションです。。
これはコレクションの純度を高めるとか美術館の建設資金を得るとかを目的とした前向きな売却と思いたいー!p|  ̄∀ ̄ |q ファイトッ!!
ご承知の通りラリックやガレについては日本にもその全体像を閲することができる優れた美術館が
存在しますが、ティファニーの場合まとまった点数を見られる美術館はありません。。
ティファニーのステンドグラスやランプの一級品には他のガラス製品では味わえない壮麗さと繊細さを併せ持った絢爛豪華な迫力があります (実物見ると感動しますよっ!)。。
なんとか、堀内家には頑張ってもらいたいものです!!

一応今回のオークションについて触れておくと、(詳しくは上のリンクを参照のこと)
総額では666万ユーロ余り、一番高値が付いたのは下のラリック作品で124万ユーロほどです。
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「蝶の女」(1900年万国博覧会におけるラリックのショーウィンドウの装飾柵)、h.103cm
(他に同種の作品が4件(ベルリン装飾芸術美術館、箱根ラリック美術館、個人蔵2件)あります)
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by brevgarydavis | 2013-02-23 00:33

ここ惚れ ワンワン! my treasure その4 ” 拝啓 シンラの君へ”の巻

王羲之展に感化されて又々『西川寧著作集』をパラパラ読んでたら
 (いやー西川先生の本は勉強なるあるよ~)、
賢首大師の尺牘 が眼に飛び込んで参りました。。

あーそういえばこれがあったか ! !(・。・)b、、
不肖わたくし一度も実物を見たことはないんですが、
それでもこれは My Treasure として取り上げねばなるまいて... φ(..)カキカキ。。

「賢首大師尺牘」、またの名を「唐法蔵寄新羅義湘書」なんて言いますが
 (色んな呼び方があります)、
要するに唐の法蔵(賢首大師、香象大師とも)が新羅の義湘に送った手紙のことです。。
といっても法蔵?義湘?who?っていう方が多いでしょう。。
幸い我が日本国に両者を描いた絵があるでござる。

          From Me                   To You
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  向かって左が法蔵(642-713)で右が義湘(625-702)。。

絵では法蔵の方が老けてますが、実際には義湘が兄弟子で17歳の年長。。
右の義湘の肖像は「華厳宗祖師絵伝」という高山寺にある有名な絵巻から取ったもので見覚えのある方もいらっしゃるでしょう。。一方法蔵の肖像は金で大定25(1185)年に描かれた絵を日本で鎌倉時代に模写したという珍品です(東大寺蔵)。

義湘は遥々新羅国から唐へ留学(661-671)して華厳宗第二祖智儼に学び、華厳宗を朝鮮に伝えた人。
法蔵は同じく智儼に学び、華厳宗の教学を大成して華厳宗第三祖となった人。
二人とも華厳業界では神レベル、ほとんど伝説上の人物のようなお坊さんたちです。。

この二人の間に交わされた直筆の手紙が残ってるって言うんだからビックリしますよね~。
しかもそれが本当に心洗われるような名筆中の名筆なんです!!!。・゚゚・(>_<;)・゚゚・。

(っ・ω・)つ
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(上は全体像、左は中央辺りの部分)

うーん、PCの画面で見るとなんか魅力が伝わらない気がするな~(って私も本物見てないから偉そうなことは言えませんが…)。
でも静かな夜にじっとこの書を見つめれば、誰だってこの千三百年前の書の持つ高く澄みきったひびきにと胸を衝かれるはず..まさに上善水の如し、しばしこれを見た後に改めて他の見慣れた書を見ると書家のケレン味が鼻につくようでびっくりします。。
禅僧の墨蹟なんかを見てもあまり書は人なりとは思いませんが、この尺牘からは法蔵の寛やかで清廉な人柄がしみじみ伝わって来ますよね。

坂本幸男氏の考察によるとこの手紙が書かれたのは西暦692~694年頃。
今は奈良県の天理図書館に所蔵されてるんですが、そこに到るまでの来歴も興味深いものです。。

最初にこの手紙が忽然と現れたのはなぜか元末の中国。。
別峯和尚という人がどこからか手に入れて鑑識眼のありそうな人たちに見せまくったらしく、1354~1364年の間の10人の元人の跋が附属しています。

あれれ??新羅に送ったはずじゃないの?と思ったあなた、そうですよね。。みんな同じギモンを持ったらしく跋を書いた元人から現代の学者まで新羅宛の手紙が中国で見つかった理由を色々考えてますが結局よく判らないようです。
ただこの手紙が確かに新羅まで届いたことは、その内容が「法蔵和尚伝」「円宗文類」「三国遺事」といった新羅末~高麗期の著作に引用されていることから間違いありません。

ん?それじゃそうした著作を見て作ったニセモノって可能性はないんでしょうか。。あるいは法蔵の真筆だとしてもこれは草稿とか控えで送った手紙は別だとか?

普通ある人の書が真筆かどうか確かめるには、その人の他の書と筆跡が同じか否かで判断するわけですが、この手紙以外法蔵の書というのは知られていません (というより7世紀以前の書で有名人が書いた肉筆の書なんてのは片手で数えられるほどしか伝存していません)。。
ですから厳密には法蔵の真筆と確認する手段はないんです。

西川寧氏もそこらへんを縷々考察してますが、結局の所これだけきちんと書かれて本物のオーラが出てる書は草稿や控えとも思えないし、ましてや後世の写しや偽物ではありえない、ってことみたい。。
ただ李丙燾氏は先に挙げた「円宗文類」「三国遺事」などの引用文とこの尺牘の語句に若干の違いがあることから、法蔵が新羅に送ったのは修正した別の一通で、この一通はそのまま中国に残されたのではないかと推測しています。まぁ、違いはわずかなもので引用の際の単純ミスかも知れません。。

美術史の世界では主観的だろうって言われても結局本物に見えるってことこそ本物と判断する最大の根拠だったりして、畢竟理屈じゃないってところは確かにありますな...

元末以降、この書の行方は再び杳として知れず...
明清の皇帝のコレクションに入ることもなく著名な収蔵家の過眼にかかることもなく、恐らくは江南の寺院あたりで数百年間静かに眠りについていたのでしょう。
再度この書が世に出たのは、嘉慶21(1816)年のこと。北京の琉璃廠に売り物として現れ、成親王(乾隆帝11子)はじめ清末の収蔵家の間を転々とします。

日本に渡ってきたのは1954年頃のことらしく、林朗庵という人(所有者ではありません)が買い手を求めて台湾か香港から持ち込んだようです。共産党政権成立後の数年には多くの名品が混乱を逃れて中国から流出しましたが、これもその一つということなのでしょう。

その時の売値は2万ドル(720万円)、当時の大卒初任給が1万円ちょっとということですからそれで換算すると今の一億数千万円位ですか。。王羲之展の記事でも書きましたが、戦後暫くの日本では中国からせっかく名品が持ち込まれても購うことができずアメリカに転売されていった例が多くあります。
この書もご多分に漏れずなかなか買い手がつかなくて東大寺(華厳宗大本山だからね~)や韓国(欲しくても朝鮮戦争直後ではね...)にも購入が打診されたようですが、結局天理教が手中に収めてその膨大な貴重書コレクションの一角に加えることとなりました。

あ、肝心の手紙の内容に全然触れてませんでしたわ(゚□゚) ハッ!。。
恐らく法蔵にとって義湘はその人物・学識において最も信頼に足る兄弟子だったのでしょう、曰く 「別れてから20年、修業も完成せず心も定まらない私(法蔵)ですが師の衣鉢を継いで「華厳探玄記」(華厳宗では名著中の名著らしいです)ほか幾つかの著作を完成することができました。それらを勝詮法師(新羅僧)に託して送りますから何卒ご教誨頂けませんでしょうか」、というような意味のことが仏教的な修辞を凝らして述べられています。

それにしても生きてる内になんとか実物を拝見したいものですね。公開の情報を掴んだ方はよろしく御一報お願い致します。m( ̄ー ̄)m


  【興味のある方の参考として】
今西龍1933「唐崇福寺僧法蔵致新羅華厳法師書」(未定稿)(『新羅史研究』)
        (現在台東区の書道博物館に所蔵される模本に基づいた研究)
西川寧1955「賢首大師の尺牘」(『書品』62、『西川寧著作集』第二巻に再録)
坂本幸男1955「賢首大師の書簡について」(『書品』62)
神田喜一郎1971「唐賢首国師真蹟「寄新羅義湘法師書」考」(『南都仏教』26)
李丙燾1971「『唐法蔵致新羅義湘書』(墨簡)について」(『ビブリア』48)
金知見1972「寄海東書考―特に五教章和本・宋本の背景について―」
         (朝鮮奨学会『学術論文集』第1集)
また渡部泰明氏が「中世文学に見られる異国人に関する研究―明恵と元暁・義湘を中心として―」という当尺牘の研究を含んだ課題で2005~2007年の科研費を受けています。
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by brevgarydavis | 2013-02-15 01:39

西美の新収品,セザンヌの「ポントワーズの橋と堰」展示開始!!

以前紹介したセザンヌの「ポントワーズの橋と堰」 (国立西洋美術館が昨年8億円で購入!)が、
今日から展示開始ということで、さっそく大急ぎで見てきましたよ。

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見た感じ予想外な点はなくて図版で想像してた通りでした( ̄▽ ̄)。o0○。

まぁ傑作とまでは言えないまでもセザンヌの風景画として佳品は佳品かな。
 (新収のセザンヌに対してこんなこと言えるようになったなんて日本も豊かになったもんですな..)
前景の草むら越しに中景の水面が広がりさらに遠景の橋や家並みまで左の道が自然に視線を導くという風景画のお手本のような構図。筆触もパレットもこの時期のセザンヌの典型といえるもので眼になじんだ安心感がありますね。。
個人的にはセザンヌの風景画だったらもうちょっと後の時期の、筆触が重なって響きあうような、空間の構成もより自由な作品が好きなんだけどこの時期のカッチカチに固い作品も悪くはないです。。

もともと松方コレクションには油彩5点、水彩8点、リトグラフ2点のセザンヌがありましたが、結局西美に入ったのは水彩4点だけでした。油彩のうち2点は戦後早くに流出し現在はメトロポリタン美術館とサンパウロ美術館の所蔵。。他の3点はまだ日本にあるのかなー?「読書をする青年」はかなり後まで神戸・個人蔵だった記憶がありますが..せめて3点の図版載せようと思ったんだけど本が見つからん..(最近このパターン多し。見つかったら載せます)。
やっぱりセザンヌが4,5点並んでると洋モノを扱う美術館としては風格が出るんですけどね~。
日本にも個人蔵の良い作品があるので、なんとか流出せずに西美あたりに寄贈されると素晴らしいんですが...まぁ人様の持ち物だからとやかく言うわけにもいきませぬ。。

しばらく前から気になってるのは西美の新館2Fの作品の見栄えがいま一つに感じること。。昔、天窓から自然光が入ってた頃はもっと絵がキラキラ輝いてたような気がするんですが..(新館にオールドマスターズが展示されてた頃ね)。。雨の日なんかはかなり暗くなったりしてそれが又良かったりして。。
太陽光入らなくしたのは随分前のはずだけど、最近展示室が改装されて益々光の具合が悪くなったように思います。。いや、もしかすると照明や展示室のせいじゃなくて自分の視力が落ちたせいかも、って疑ってもいるんですけどね(・_・?) ハテ? 皆さんどう思われますか??


P.S.そういえば先週見に行った千石コレクションの爬虫類にも大いに感銘を受けましたよ(科博ね)。
今回はちょっとだけでしたが、将来企画展か何かでもっと大規模に展示してくれることを激しく期待!!
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by brevgarydavis | 2013-02-12 23:31