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知らないうちにあなたも買ってます。。(日本絵画編)

前々回に近年小川家から国にかなりの作品が譲渡されたことを書きましたが、、
それ以外にも意外と日本国は文化財を着々と買い入れてるんですよ。。
これは国立博物館の購入費(4館で数億~十数億位)以外にも文化庁に国宝重要文化財等買上予算というのがありまして、

    「日本文化史上重要な作品が近い内に売られたり散逸しそうだという情報をキャッチ!」
  ⇒「文化財保護の観点から購入候補をピックアップ」
  ⇒「緊急性の高いものから順次計画的に予算を振り向けて購入」

という仕組みができてるんですね。
長い間20~25億円くらいの年間予算額がありましたけど、最近は十数億円に減額されてるようです。
昔は文化庁に作品が溜まると随時国立博物館に移管されてたんですが、2001年度からは国立博物館が独立行政法人になったので簡単には管理替できなくなったみたい。ま、作品は博物館に預けられてるので見る方からすると大差ないんですが。。

近年日本美術は西洋美術や中国美術ほど高額ではないので、20億円もあれば大概の作品は買えるんですが、、買えなかった数少ない作品の一つが伴大納言絵巻(出光美術館蔵)。
以前東博にいた先生に伺ったところによると、ずっと東博に寄託されてたので是非入手したかったんだそうですが文化庁の購入予算では出光に勝てなかったとのこと。。酒井家(小浜藩主の子孫ね)の方々が3人そろって長者番付に載り話題になりました(3巻本だから仲良く1巻ずつ相続したんでしょうね...)。でも国や地方自治体に国宝・重要文化財を売る場合は非課税扱いになるので文化庁の予算と出光に売った金額とでは大差ない気がするんだけどな~?ちょっとでも高い方にってことでしょうか。。

で、近年国(国立博物館含む)が購入した書画でめぼしいものを挙げて見ると、、

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左上から順に、、

 「麻布山水図」、58×69cm、8c 【3億1500万円で九博が購入】
 「地獄草紙(第8段;沸屎地獄)」、26×104cm、12c 【2億円で奈良博が購入】
 「仏涅槃図」(長保寺本)、233×158cm、13c 【2億8140万円で文化庁が購入】
 「九相図」、32×495cm、鎌倉末期 【3億9900万円で九博が購入】
 「浜松図屏風」、(各)160×356cm、15-16c 【6億8333万円余で文化庁が購入】
 曾我蕭白筆「群仙図屏風」、(各)172×378cm、1764年 【4億1475万円で文化庁が購入】
 与謝蕪村筆「新緑杜鵑図」、153×79cm、18c 【1億8900万円で文化庁が購入】
 伊藤藤若冲筆「石峰寺図」、72×102cm、1789年 【3675万円で京博が購入】
 長澤芦雪筆「厳島八景図」(全8図)、34×47cm、1794年 【2億6000万円で文化庁が購入】

ってな感じですね(どれも大好きな作品だぁ~)。。
他にも「病草紙断簡」や「南蛮屏風」など様々な作品が購入されています。

何億円なんていうと別世界の話みたいですが、
皆さんの税金で買ったものですから皆さんのものでもあるんですよ~
例えば蕭白の群仙図屏風なら、一双13平方メートルの内、
人口で割った0.1平方ミリメートル位(点だ...)は確実に自分のものと思っちゃって良いはず!!

私はいつもうちの屏風ちゃんと管理してくれとるかいな、って目線で見に行ってます('ー') フフ
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by brevgarydavis | 2013-02-09 15:22

韓流窃盗団お縄!!でも盗人にも三分の理?

去年の10月8日、対馬の海神(わだつみ)神社の如来立像が盗み出されたというニュースに驚かれた方も多かったでしょう。仏像好きならすぐに像容が思い浮かぶ有名な仏様だったからです。。その後同じく対馬の観音寺の観音菩薩坐像(これも良く知られた仏像)も無くなっていることが判明し、一仏像ファンとして暗澹たる気分になったものです...

仏像の盗難は日本人によるものも珍しくないのですが、これら2体の仏像が朝鮮半島で制作されたものだったことから近年多発している韓国人窃盗犯による犯行では、との思いがやはり頭をよぎりました。
案の定、数日前の朝鮮日報や中央日報などの報道によると、仏像を盗みだしたのは8人からなる韓国人窃盗団のグループで、うち4人が逮捕され仏像も無事回収されたとのことです。。
釜山港で通関する際にX線検査でひっかかり、わざわざ文化財鑑定委員が調査したにも係らず近代の模造品と判断してスルーさせていたというお粗末な実態も明らかになりました (この鑑定員、仏像ファンじゃないことは確かだ...)。ただ鑑定時の写真や記録が残っていたおかげで日本から照会があった時、直ちに持ち込んだ人物の検挙につながったのは幸いでした。。

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   如来立像、h.38cm、8c、海神神社蔵             観音菩薩坐像、h.50cm、天暦3(1330)年、観音寺蔵

韓国の一部ではこれらの仏像は倭寇による略奪品の可能性があるから伝来の経緯が分るまで日本に返還するなという声もあるようですが、まぁ、韓国政府がそこまで非理性的な対応を取る可能性は少ないでしょう。。

近年文化財返還問題は世界的に大きな問題となっていて欧米では多くの美術館が対応を迫られていますが、日本の場合は今のところ中国がこの問題に関して割と抑制的な態度を取っていることもあって、返還要求のほとんどは韓国からのものが占めています。大きなニュースになった一昨年の「朝鮮王室儀軌」返還(お渡し)などはまだ記憶に新しいところですよね。日本人でさえアメリカの美術館などに日本の美術品 (ほとんどのものが全く合法的に入手されたものです)があることを残念がる人が結構いる位ですから、韓国人の気持ちも分らないではないのですが、問題は朝鮮半島の文化財がどのようにして日本に渡来してきたのか、韓国人(日本人もですが)やマスコミがほとんど知らないまま議論(言い合い?)がなされていることだと思います。。

てなわけで、あまりにもネットにちゃんとした情報がないので、明らかにその能力もなく任にもないワタクシですが日本にある韓国美術についてここでザッと概略を述べてみようと思ったわけなんですが...


まず、韓国の文化財全般について言えば他国に流出した量は必ずしも多くありません。。韓国の文化財研究所による最近の数字では20ヶ国549の所蔵先に14万560点の朝鮮半島由来の文化財(古書も含む)が確認されているそうです(日本に6万5千点、米に3万8千点、独に1万点余など)。。
まぁ文化財というのは金銭的価値でいうと1点1万円もしないようなものから億単位のものまであって、安価なものなら今でも大量に骨董店に転がってますからこうした数自体にはあまり意味はないんですが、ざっくりとした感覚でいうと自国外にある文化財の量は日本が韓国の数倍、中国が20~30倍位というオーダーだろうと思います(本当に適当な見積もりです)。中国ではよく「国外にある中国の文化財は1000万点、うち価値の高いものが100万点」なんて言いますけど、これもそれほど荒唐無稽な数字というわけでもありません。例えば日本にある韓国の古書は4~5万冊位かと思いますが、中国の古書は図書館にあるものだけで200万冊前後にはなるんじゃないかと思います。。
もちろん韓国国内にある文化財も日本や中国と比べると大幅に少ないので流出した割合は低いわけではありませんが、他のアジア諸国に比べれば高いということも全然ありません。。
結果欧米では韓国美術の存在感はかなり薄いものとなっています。アメリカの美術館などでは韓国系移民の存在や近年の韓国経済の発展を受けて(或いは東アジア美術を展示している館では恐らく日中韓3ヵ国の美術をバランス良く展示したいという意欲もあって)、韓国美術の収集に力を入れるところも増えていますが、収集品は陶磁器や19世紀以降の絵画などが中心で優れたコレクションを今から築くのはなかなか難しいようです。。

そんな中、朝鮮半島の文化財に継続的な関心を示してきたほとんど唯一の国が日本だと言ってもよいでしょう。結果、韓国国外にある韓国美術の尤品のかなりの部分が日本にあります。


で、韓国の文化財が日本に流入した時期は次のように分けられると思います。

①奈良時代以前;国家間貿易,私貿易、帰化人による持込
      仏像、金属材料など
②鎌倉~室町時代;高麗,朝鮮との交易、あるいは倭寇による略奪
      大蔵経や高麗仏画などの仏教関連の文化財、水墨画など
③1592年~93年;秀吉の朝鮮侵略に伴う略奪
      書籍,朝鮮王朝仏画,梵鐘など
④江戸時代;日本に来た通信使が日本で制作した書画
⑤近代以降;骨董品としての売買、国による搬出
      高麗青磁、考古遺物、陶磁器を始めとした李朝美術など

(追記)
あ~①から⑤まで流入の状況を詳しく追記しようと思ってたんですが、仕事が忙しくて面倒になって来ました...(すいません)。。

ざっくり概括的なことだけ書くと、

  一番貴重な文化財が多い高麗時代の仏教美術に関しては、基本的には交易や贈答によって
  日本に持ち込まれたものが多いだろうと思われます。しばしば韓国で主張されるような
  文禄慶長の役の時や植民地時代に持込まれたものはあったとしても少数でしょう。
  ただ松浦や対馬などかつて倭寇の本拠地だった地域の半島由来の文化財は、ちょっと他の
  地域とは違った遺品も多く倭寇によって略取されたものである可能性もあります(そうである
  確かな証拠もないんですが...)。
  一方、秀吉の出兵に伴って戦利品として舶載されてきた文化財は比較的はっきりしています。
  16世紀後半を中心とする朝鮮王朝の仏画、蓬左文庫等にまとまって収蔵されている古書など
  です。常宮神社の国宝鐘もそう考えて間違いないと思われます(かつては朝鮮からの分捕り品
  というのは地元の誇りでした)。個人的には朝鮮の文化財ではありませんが、宮廷の図書館に
  所蔵されていた数点の北宋版が最も貴重なものと感じます。。
  近代以降に流出した文化財をどう考えるかというのは難しい問題で、ほとんどの場合取得者は
  善意の第三者として文化財を購入しており、そうした搬出に対しても規制が加えられるように
  なったのはごく近年のことです。それ以降に輸出されたことを証明できなければどうしようも
  ありません。結局法律的には大半が違法性を問えないわけですが、明らかに盗掘などが疑わ
  れるケースもあり韓国人としては口惜しいと思う人も多いでしょう。流入する文化財も多い
  国であれば、文化財は人類共通の遺産なのだから大事にされているならどこの国にあっても
  構わないというような余裕のある態度も生まれますが、韓国はそうではありません。。
  まぁ、ほとんどは貧乏な時に売っちゃったものであることも事実でそれを丸ごと略奪と称する
  のもどうかとは思いますが...
  結局領土問題と同じで一朝一夕に解決する問題ではないんですよね~(´∞` ) 。。


☆ 興味のある人のために参考文献いくつか挙げときます。。

  菊竹淳一,吉田宏志(編)1981 『高麗仏画』、朝日新聞社
  菊竹淳一,鄭于澤(編)2000 『高麗時代の仏画』、時空社(ソウル)
  楠井隆志1997 「高麗朝鮮仏教美術伝来考」(山口県立美術館『高麗朝鮮の仏教美術』展)
  李泰勲2011 「鏡神社所蔵高麗仏画「楊柳観音像」の発願者と日本将来について」
        (『福岡大学人文論叢』42-4)
  村井章介1988 「『倭人海商』の国際的位置―朝鮮に大蔵経を求請した偽使と例として―」
         (『アジアの中の中世日本』)
  姜健栄2001 『李朝の美―仏画と梵鐘』、明石書店
  小泉顕夫1932 「古墳発掘漫談」(『朝鮮』1932.6)
  三宅長策1934 「そのころの思い出 高麗古墳発掘時代」(『陶磁』6-6)
  浅川伯教1945 『朝鮮の回顧』、近沢書店
  長谷部楽爾1983 「高麗陶磁をめぐって」(『朝鮮考古資料集成』、出版科学総合研究所)
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by brevgarydavis | 2013-02-02 17:08

「書聖 王羲之展」 若干の追記など。。

先日「書聖 王羲之展」行った勢いで、『西川寧著作集』など引っ張り出して読んでみたら、、
自分が昔読んだことをなんにも覚えてないことが判明。。(x_x;)
いくつか備忘のために面白そうな点だけ追記しときますわ。。

西川寧「米元章の虹県詩」(『書品』153号,1964年、『西川寧著作集 第二巻』に再録)から
考察や鑑賞(興味のある人は必読です!)は抜きにして西川氏と虹県詩巻の出会いの所だけ
かいつまんで紹介すると、、

 少年の頃、父(言うまでもなく春洞氏)の蔵書中に「虹県詩」の拓本を発見して
 その痛烈無比なたたずまいに深い印象を受ける。
 昭和13年北京留学の折、鋳新という美術品の撮影に長けた写真屋のところで
 虹県詩の原本の写真に遭遇、真跡本が現存していることに驚き、所在を問うが分からず。
 昭和28年東博で書道名品展が開かれることになり、大阪の阿部孝次郎氏(大阪市立美術館
 に昭和17年中国書画の大コレクションを寄贈した人、蒐集したのは父の房次郎氏です)の許へ
 米芾の行書三帖巻(これも現在は東博が所蔵)などを拝借に伺うと、米芾ならもう一つ
 虹県詩がありますよ、と言われて唖然呆然、ただこの時はどこに仕舞ったものか見つからず
 実際に対面できたのは昭和36年の宋元美術展の時だった、とのこと。。

阿部氏といえば趙孟頫の「玄妙観重修三門記」(これも現在は東博が所蔵!)についても
長尾雨山が房次郎氏と歓談している折、かつて北京で見た同書に話題が及ぶと
それならうちにありますよ、と言われて驚愕したことをその箱書に書いています。。

全く阿部家(東洋紡の社長を歴任)は日本の中国書画コレクションにとっては大恩人!!
あぁそれならうちにありますよ、って私も一度でいいから言ってみたいわ~

阿部コレクションに関しては帝室博物館に受け入れを断られた有名な話があって、仄聞の限りでは一括で寄贈したいと申し出た阿部孝次郎氏に対して、溝口禎次郎氏が選別の上でなら受け入れても良いと答え(チョー上から目線じゃん!!)実現しなかった由(結局前述の通り大阪市立美術館に寄贈されることとなり、それはそれで大阪市美の発展の礎ともなって良かったんですけど)。たかだか百数十巻、それも超名品揃いの掛軸を全部はいらんと門前払いにした東博のアホさかげんに当時から中国書画に眼識のある人は嘆いていたといいます(東博は中村不折の書道博物館コレクションも受贈を断ったことがあります)。。でも上の話などからすると孝次郎氏が一括で寄贈したいとした作品以外にも、選んで家蔵に残していた作品もあったようですね(その内の重要作が東博に入ってるというのもまた皮肉な話ですが...)。。念のために言っとくと溝口氏も日本美術の優れたコレクターとして知られていた人。。なんで断ったんでしょうね~?
戦前に中国から流出した多くの書画を扱った博文堂の原田吾朗氏の回想では、辛亥革命後に日本に入ってきた画は以前から日本に伝わっていた画とは異質だったので特に東京の方では偽物と見做す人が多かった、というようなことが語られていますが、昭和17年の時点でもそういう認識が普通だったんでしょうか?それとも溝口氏は潔癖にも阿部コレクションに含まれてた実際に怪しい作品を除くよう要請しただけなんでしょうか?詳しい事情知ってる方、ご教示下さい。


ついでに『西川寧著作集 第一巻』には、今回の王羲之展の目玉の一つ「行穣帖」(プリンストン大学付属美術館)に関して、張大千が1959年に一度日本に持ち込んだ後、1961年の7月から12月にかけては西川氏が自宅で借覧していたことが書かれています。。戦後日本経由でアメリカに渡ったり中国に戻ったりした名品は少なくなく、その頃の日本には名品を留めるだけの金が無かったということですね..。当時のお金持ちも中国趣味の強かった戦前の富豪とは様変わりしていたということもあるんでしょう。

前回の記事では中国から20世紀に流出した書の名品のほとんどは日本に請来された、って書いちゃいましたが、それはちょっと言い過ぎですね。絵の場合はアメリカに行ったのが西域出土品を除いて6~7割位かと思いますけど、書も超のつく名品に関しては2~3割はアメリカに行ってるかな。。主要なものはほとんどエリオットコレクション(プリンストン大学)とクロフォードコレクション(メトロポリタン美術館)に限られてますけど (『海を渡った中国の書』,『The Embodied Image』参照、そう言えば大阪市美もどうなるんでしょうか...)

b0283699_2115328.jpg王羲之展には小川コレクション由来の周知の作品2件も展示されてました。左の伝・智永筆「真草千字文」と高宗筆「徽宗文集序」の国宝二つです。「真草千字文」は今でも小川家の所蔵なんだろうと思いますが、小川コレクションの多くは平成11~18年頃、文化庁によって購入されました。詳しくは知りませんがコレクションのほとんどは小川為次郎氏(1851~1926)の収集品なのでしょうから法人化することもなく80年近くもコレクションを維持していたというのはスゴイですね。国宝5件、重文32件にも達する群を抜いた書跡の個人コレクションでしたが...日本の文化史上極めて重要な作品を多く含みますから、散逸することなく国に収まったのは良いことなんでしょう。まぁ昨今の経済状況では個人で買える人もいないのかもね。。

おまけで国が買った小川家の旧蔵品の主要なものを挙げときますわ。。

(国宝)
  宋高宗「徽宗文集序」1巻ほか3巻、7億9250万円
  「花厳経音義」上下2巻ほか3巻、7億6750万円
  「金剛場陀羅尼経」1巻、5億4000万円
  「世説新書」巻6残巻ほか3件、4億1500万円

(重要文化財)
  「曹勛迎鑾記」1巻ほか7件、5億3500万円
  「家地立券文」1巻ほか7件、4億7750万円
  「首楞厳経」巻1ほか1件、9400万円
  「墾田立券文」1枚、9000万円
  「大乗掌珍論」1巻、8000万円
  「法華経」巻6残巻、7600万円
  「扶桑略記」巻2残巻、7000万円
  「是法非法経」1巻、6000万円
  「三戒経」巻下1巻、6000万円
  「華厳略疏刊定記」巻8残巻、5000万円
  「法華経」巻2,4、3000万円
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by brevgarydavis | 2013-01-30 14:13

よそもんでチビですが...そろそろよろしくお願いしますO(-人-)O

皆さん、日本で一番古い建物がかの法隆寺金堂だってのはご存知でしょう(古墳・石造物等除く)。。

じゃ、関東で最古の建物はどれか知ってますか?

それがこれ (/・0・)つ
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東博の表慶館の裏手にある 「旧十輪院経蔵」 という建物。
もとは奈良市内の十輪院というお寺で大般若経六百巻を収めるために使用されていたもの。鎌倉時代前期、およそ800年ほど前の建築ですが、入口の扉は高さ1mちょっとしかなく腰を屈めないととても入ることはできません。。

えっ?移築された建物は別だろーって?
確かに。。人が暮らせない位小さいしなぁ...でも関東に何百万棟もあるだろう建物のどれよりも古いってのはスゴイと思いませんか??東京に移築されてからでも既に130年余りも経ってるんですよ~。
判官贔屓じゃありませんが、この、いつも訪れる人もなく寂しそうに立っている転校生のオチビさんも、そろそろ関東の仲間に入れてあげたい気分なんです。。

建物の下の方には十六善神像(般若経の誦持者を守護する神様です)を線彫りした石板が張られていますが、奈良町にある十輪院を訪れるとまさにこの石と同種の石で作られたと思われる仏龕が御本尊として祀られています(なんだか朝鮮の石仏みたいな日本ではとっても珍らしいタイプの仏様です)。それを納める本堂もこの経蔵と同じくちっちゃなかわいらしいお堂。。
独特の味わいのあるお寺なので奈良に行かれる予定がある方は、ぜひ十輪院まで足を伸ばしてみることをお勧めしますよ(この経蔵見てからならなお可ですね!)。。

 十輪院のホームページ(せんとくんに対抗してなーむくんを立てた団体の中心がこのお寺です)

閑話休題。。
で、、この経蔵に収められてた天平時代の大般若経(魚養経)を紹介しようと思ったんですが、
んんん??あれ?

十輪院のホームページでは今でも従来云われていた通り
「(経蔵にあった魚養経は)明治時代の廃仏毀釈のとき奈良・薬師寺の所有となり・・・」 とありますが、
確か関連の論文が載ってたなと思い出して、奈良博で開催された「天竺へ 三蔵法師3万キロの旅」展の図録をあらためて見てみると、魚養経が十輪院旧蔵だなんてどこにも書いてないじゃないですか?!しかも天文3(1534)年に薬師寺で作った経櫃も紹介されてるし!!

時系列で整理してみると、、

 8世紀後半、「大般若経」六百巻が制作される
   (いつしか朝野魚養が筆者に当てられ魚養経と通称される)
 →13世紀初め頃、十輪院の経蔵が建てられる
 →天文3(1534)年に薬師寺で経櫃が新造される
 →明治15(1882)年十輪院の経蔵が東博敷地内に移築される
 →従来云われて来た所では、廃仏毀釈によって十輪院から薬師寺に経巻が流出
 →大正年間に薬師寺から経巻の大部分が流出
   (現在藤田美術館が387巻、薬師寺が40巻弱、その他博物館や個人が50巻弱を所蔵)
  また押印の時期は不明ですが各巻に「薬師寺印」「薬師寺金堂」の印が捺されています

ということで、1534年と大正頃の時点では薬師寺が所蔵していたのは確かと思われますし、
印もそれなり古そうなので、恐らく8世紀に制作された場所も薬師寺においてである可能性が大。。
となると魚養経ってホントに十輪院に所蔵されてたことあるんでしょうか??


確か飯島太千雄氏が空海の本でここらへんに触れてたような記憶があるので、
図書館で本借りたら追記することにしますわ m(。・ε・。)m


(2013/1/30追記)
<<< で、さっそく飯島氏の本見てみました (『若き空海の実像』、大法輪閣、2009)。。
すると有益な情報として、春名好重氏の本に寛政4年に薬師寺に魚養経があったと出ているとのこと。
さっそく春名氏の『古筆大辞典』で魚養経の項を繰ってみると、、
屋代弘賢の『道の幸』に魚養経を薬師寺で拝見した記述があるということで、
今度は『道の幸』をネットで検索すると、幸い早稲田大学の古典籍総合データベースで見ることが
できました。。
 『道の幸』(早稲田大学図書館蔵、pl.87、左の頁の1~3行あたり)
『道の幸』は屋代弘賢が京や奈良の社寺に宝物調査に出かけた時の記録ですが、それによると(寛政4年12月6日)薬師寺を訪れて魚養筆の大般若六百巻を見る、第105、110の2巻が欠けていて世に流出している断簡はこれだという、ってなことが書いてあります。。

奈良時代の大般若経というのはそんなにあるものではありませんから、寛政4(1792)年の時点で弘賢が見たという大般若経はまず今の魚養経と考えてよさそうです。

つまり1534年と1792年には薬師寺にあったということ、大正時代に薬師寺から流出したこと、
これらはほぼ間違いないとして、、

①廃仏毀釈で流出したという十輪院の言い伝えを信じるとすると、十輪院の経蔵はもともと別の
  大般若経のために造られたのだが、1792年以降明治初年までのわずかな期間だけ薬師寺から
  魚養経が移されて収蔵されていたということでしょうか??
②それとも廃仏毀釈で流出したというのが間違いで、魚養経が十輪院から流出したのは1534年以前
  だったということでしょうか?(「薬師寺印」はそれ以降の後捺と見て)
③あるいはそもそも魚養経は一度も十輪院にあったことはなく、朝野魚養が開基と伝わる十輪院に
  大般若経を納めるための経蔵が存在するという事実と、魚養筆とされる大般若経が存在している
 という事実が安易に結び付けられた訛伝なんでしょうか?

現時点ではなんとも分りませんが、大般若経転読の法会が流行したのが平安後期以降であることから考えると、もともと十輪院の経蔵は鎌倉時代に制作(or 輸入)された大般若経のために建立され、そのお経がいつしか失われたあと③のような訛伝が生じた、という可能性が高いようにも思います。。
ま、ここでごちゃごちゃ考えてみても、東博あたりから関連の資料が発見されるか十輪院旧蔵の大般若経が新たに確認されるかでもしない限り真相は不明ですよね~。。

てなことで、関東最古の建物、旧十輪院経蔵と魚養経は何の関係もないのかも知れませんが、どんなお経か見てみたいという方もいらっしゃると思うので一応画像も挙げておきましょか。。

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       伝・朝野魚養筆 「大般若経(魚養経または薬師寺経とも)・巻九十四」、27×1065、770年代、出光美術館蔵

ごらんの通り、この大般若経は大聖武をちょっと和様化したような感じで、日本の写経としては唐風の堂々としたもの。。朝野魚養という人には吉備真備が唐の女性との間にもうけた子だったとか空海の書の先生だったとかいうあんまり当てにならない伝説があって、そこら辺にこの唐風のお経の筆者に魚養が付会された理由があるのでしょう。。
あ、今更ですけど「魚養経」はギョヨウキョウ、ウオカイキョウ、ナカイキョウなど色んな読み方があります
(最近はギョヨウキョウと読まれることが多いですが、個人的にはナカイキョウが好きです)。

巷間流通してることもままあるので東京や京都の古書肆・骨董店を捜せば入手も可能だと思いますよ。
500万~3000万円くらいかな~(画像に挙げた巻九十四は書風・状態とも立派なものです)。
早期退職で退職金が入った先生など思い切って1巻いかがですか~
 (家に帰ってから血を見るやも知れませんが...)



☆ ちなみに移築されてない関東土着の建物で一番古いのは、年代がはっきりしているところでは
   足利の鑁阿寺本堂(1299年)だと思います。飯能の福徳寺阿弥陀堂も大体その頃。。
   あるいは山梨を関東に含める(山梨県民の説?)なら、大善寺本堂(1286年)が最古かな。。
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by brevgarydavis | 2013-01-28 21:02

美文字検定何級?! 「書聖 王羲之展」

東博の「書聖 王羲之展」と都美の「エル・グレコ展」に行ってまいりました。

結構客層が違いますな...「エル・グレコ展」の方が若くてオサレな人多し。。ま、そりゃそうかもね。

しかし恐れ多くも展覧会の中でマニアックな方々が一番大量にいらっしゃるのが書の展覧会。
 (次が浄土宗・日蓮宗系の展覧会かな。なんとか学会とか熱心な信者の方がたくさんお参りにいらっしゃいます)。
石を投げれば子どもの頃から何十年も勉強してる人に当たるなんてのは書の展覧会だけです。。

というわけで、絵の展覧会と違ってちゃんと漢文読んだり字形を観察したりしてるおばさま方に行く手を阻まれながら入木の森を押しのけかきわけしてきましたよ。
  (エル・グレコ展は昔の図録見つかったらなんか書きます)。


わたくし、字は野田元首相や福島党首なみに下手なんですが
 ⇒ 〈 野田首相の字 〉
書の展覧会を見るのは大好きなんです (この目習いが生きる日は永遠に来なさそうな...)。

年に2,3回は訳も分らないのに書の展覧会行くんですが、今回の「書聖 王羲之展」、個人的な満足度では過去最高かも (興味ない人にはつまんないことも請け合いますけど...白黒の漢字だけじゃさすがに地味過ぎて興味ないとどうしようもないんよね)。
王羲之展ということでホントは中国・台湾からも作品借りて来られればもっと充実した展覧会になるんでしょうけど(八柱本の一つ位来るかと予想してたのに..ま、北京でも最近蘭亭展やってたしな..それともやはり尖閣のせい?)、それ無しでも十二分に見ごたえのある展示。おなかいっぱいになりました。

全163件の出品作の内、王書は六十件余、羲之以前の書が二十数件、以後の書家の作が六十件余。他、絵画や硯などで構成されています。
よって王羲之を軸とした日本所蔵中国書法名品展といった趣きもあり。。
東博、書道博物館、宇野雪村コレクション、三井記念美術館で出品作の7割ほどを占めていて、書が好きな人ならほとんどが知ってる作品かもしれません。。でもこれだけまとめて見るとあらためて日本にある中国書のコレクションもたいしたもんだな~と思いますね。中国画や西洋画よりよほど充実してます。
絵の場合は中国から20世紀に流出した作品のうち、かなりの部分がアメリカに渡っちゃいましたが、書はほとんどが日本に請来されたのが大きいかと。。メリケンは漢字読めんからな~( ̄ー ̄)フフフ!!。

そんな中、目に付いた作品を挙げてみると、、
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            蘭亭図巻(萬暦本)、33×548cm、萬暦20(1592)年編、東博蔵
じーっと字だけ連続で見続けてると、たまには甘味といいましょうか、やっぱり絵も見たくなるもんでこういうのが出てくるとホッとしますね。。「蘭亭序」は昔漢文の時間に「エーワクネントシハキチューニアリ・・・」ってのを暗記させられたんで今でもなんとなく親しみがあります。

この蘭亭図巻、狩野山雪や永納の蘭亭曲水図屏風のもとになった図(直接かどうかは不明)として以前から見たかったんですが初めて実見できました。
b0283699_10303257.jpg期待以上に精彩に富んだ面白い作品ですね。流水や人物の淡墨が実にいい感じ。。
若冲の「乗興舟」などと同じ拓版擦りと見ていいのかな?当然図録に説明があるだろうと思ってちゃんと確認してこなかった...もう一回見にいかなきゃ...(´へ`;ウーム。。

 狩野永納筆 「蘭亭曲水図屏風」(右隻)、153×359cm、静岡県立美術館蔵

これに限らず今回の展示は巻子や帖冊を長々と全部広げて見せてくれてるのが sooo wonderfull !!
でもなんで蘭亭描いた絵の出品が大雅や蕪村(前後期で展示替)で山雪や永納じゃないんだろ?蘭亭図巻からの影響が明らかな山雪や永納の作品の方が図巻と一緒に展示すれば興味深いと思うけどな~。。それと今気付いたんですが、なぜか静岡県立美術館、狩野永納・久隅守景・池大雅と蘭亭曲水図屏風の傑作を三双も持ってるし )゚0゚( why!!

もう一つ挙げるとすると、、
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              米芾筆 「行書虹県詩巻」(部分)、31×487cm、c.1103-06、東博蔵

何度となく見ている作品ですが、なんだか昨日はこの米芾の詩巻が特別心に響きました。。

蓋しさんざん六朝から唐の作品を見た後にいきなり宋の名筆に出会うってのは、舞踏会に来てる端正な美男美女にいいかげん飽きてきた王子様が素のままの飾らないシンデレラを見つけて一目ぼれするようなもんでしょうか。勿論実際には素のままに見えることを狙ってさらに高度な計算が働いてるわけでしょうが。。今回の展示では顔真卿や楊凝式あたりが抜けてるってこともあるね。

米元章という人は「平淡天真」を標榜しときながら、才気があり過ぎてなんだか脂ぎった技を披露しちゃう場合が多いと思うんですが、これはまさになんの飾りも衒いもない彼の心情がそのままザザッと滴って紙の上に定着したような神がかり的出来。。不定形な心の中から線形に紡ぎだされた言葉が紙の上に広がって再び不定形な感慨として交響し始める、そんな感じかなー。。こんなスゴイ作品だというのを今まで気づかなかった自分って...とちょっとへこんだ位の傑作ですわ~(◎-◎;)!!。

でもこういうのに感動するのって書道史的に洗脳されてるからじゃないかという気もちょっとするんよね~。線とか色の美しさを判断する基準はある程度生得的にあるとしても、それ以上の複雑な判断は王羲之はすごい、米芾はすごいって教え込まれた結果そういうのが良いと思わされてるだけじゃないかと...ま、ワインも味の違いは分かっても高い方が美味しいのか皆目確信が持てない私の言うことですからね...ごちゃごちゃ言わずに愉しむに如かずってことなんでしょう。。


ほかにも新聞等で話題の「大報帖」も展示されてる「書聖 王羲之展」は3月3日までです。
(一部の作品は2月11日で展示替あり、孔侍中帖は2月19日から)
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by brevgarydavis | 2013-01-26 00:16

祝!東京国立博物館 東洋館リニューアルオープン!

おとといのダイオウイカはすごかったですね~~~くコ:彡 あのつぶらな瞳はまさにエイリアン...
深海にはかないませんが、昨日の東京の雪景色もなかなか異界感満載でしたよ。。
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                    上野公園 (2013年1月14日午後3時頃)

そんな中1月2日にリニューアルオープンした東博の東洋館に行ってまいりました。。
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って実はすでに3回目なんですが...(我ながら年明けから閑だな~┐(-。ー;)┌ヤレヤレ)

なにを隠そう、この東洋館こそ不肖私が行った回数が一番多い博物館。。
行く頻度と年数を掛けると200回以上行ってるのはまちがいありません(昔から閑?..ヤレヤレ)。

今回のリニューアルはもともとは耐震改修が主な目的。。数年前に行った診断では本館(1937年竣工)や表慶館(1908年竣工)と較べて4割ほどの耐震性能しかなかったそうです。 あぁ情けなや私が生まれた時代のインチキさよ...国立の博物館なんだからゴジラが座っちゃても大丈夫なくらい頑丈に作っとけ!って話ですよね~。東日本大震災の時にはほぼ補強を終えていたため事なきを得たとのことですが、被害が出てたら国辱もんですわ、ホントに(Θ_Θ;) 。。で、ついでに展示ケースと照明も一新し、地下の展示室も久方ぶりに使用することになったということです。

昔ポスターかなんかの展示で地下の最初の部屋に入った記憶はありますが、ワンフロア全部展示室に使える造りだったとは知りませんでした。B1から直接外に出られるようになってるのは東近美が2Fから直接出られるのに似てますね(雪の日には閉じられてましたけど)。。展示室の独立性より動線を重視したスタイルも当時の谷口建築に共通する特徴かな。東近美では感心しませんでしたが(東近美リニューアルの記事を参照されたし)、ここでは立体作品やケースに入った作品が多く、種類も多様なのでこれも悪くありません。。

照明とケースは現時点で望みうる最良のものでしょう。。本館の漆工の展示ケースはちょっとおシャレ過ぎて建物と違和感もありましたが、東洋館のは自然に収まってると思います(出し入れの時どこがスライドするのかよく分からん...)。占いコーナーなども比較的控えめで(音は吹き抜け一帯にガラガラと響き渡りますが)私のような年寄りにもまぁ許容範囲かな。

残念な点としては、仕方のないことですが特に中国陶磁の展示スペースが足りないことと、新しい収蔵品がなかったことですかね。1968年にオープンした時は結構まとまった寄贈があったみたいですが、平成のお金持ちの皆さんにも是非寛大なご損贈をお願いしたいところ。。

展示品を紹介してるとキリがありませんが、せっかくなので則天武后(乾隆帝のお宝の記事を参照されたし)関連の2点だけ触れておきましょう。。

まずは宝慶寺の仏龕群。。
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これらは以前から常設で展示されてるので馴染の方も多いでしょう。もともとは長安で仏舎利が発見されたのを記念して長安3~4(703~704)年に則天武后が建てさせた光宅寺七宝台を荘厳していた石彫群。その後宝慶寺に移されましたが、20世紀に入って多くが国外に流出しました。
現存する32点の内、三尊仏が25点、独尊仏が7点、国別でいうと中国に7点(うち6点は今も宝慶寺にある由)、日本に21点、アメリカに4点です。
もとはボストン美術館に多くの中国美術品を納めたことで知られる早崎梗吉が中国から持ち出したようで、しばらく前までは19点が目白の永青文庫にありました(現在それらは東博が15点、奈良博、九博が2点ずつ所蔵)。日本では他に根津美術館と個人蔵の2点があります。
東博の展示の醍醐味は15点もの像が並んでいるため個々の作例の違いをたっぷり観察できること。新しいライティングのおかげで表情もくっきりと2割方ハンサムになられたみたい。。グプタ彫刻と薬師寺の聖観音立像の間に並べて展示したいような見事な像もあれば、少しばかり間の抜けたお顔もあって見比べてると楽しいですよ。。

もう一つは碣石調幽蘭巻五(部分)
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これ、楽譜には見えませんが7-8世紀に遡るほとんど東洋最古の楽譜なんです。
「幽蘭」なる琴曲の文字譜の一部(琴と言っても日本のお琴とはちょっと違った中国の文人が弾いてる七弦の琴(キン)。日本の琴(コト)は正確には箏(ソウ)って言いますね)。
先日浙江省博物館行った時もこの複製が展示してありました。
なんでこれが則天武后と関係あるかといいますと、右上の方、破れた所を継いで別の人が字を補ってるの分かりますか?墨の色とか文字の大きさが違いますよね。。その四行目の四文字目、「禎明三」の次の文字が「年」という字の則天文字なんです。犂みたいな字ですが「千千万万」を合成した文字だと言われています。則天文字が正式に使われたのは西暦でいうと690年から705年の間。。それ以降も民間ではしばしば使われ続けたので、直ちに705年以前とは言えないんですが、書風もいかにも8世紀初め頃の堂々としたものなので補筆が行われたのはやはりその位の時期だろうと推定されています。
お経の場合は唐時代のものも比較的多く残っているので則天文字の使用例も結構あるんですが、このように非仏教系の漢文で同時代の則天文字が使われてるのは超レア。。則天文字が時代推定に役立つ好例です。
昨年には山寺美紀子氏が詳細な研究書を刊行されています。
『国宝『碣石調幽蘭第五』の研究』
また、推定復元された演奏をYou Tubeで聴くこともできます(便利な時代になりました)。。
七絃琴演奏 碣石調幽蘭第五 伏見无家

かくのごとく展示品から直ちに則天武后関連のモノを見出せるというだけでも東博のアジアコレクションの厚みと質の高さが分ろうというもの (西アジアや南アジアは弱いですが...)。。アジア関係のコレクションとして世界で五指に入るとは言いませんが、十指には入る博物館です。

「碣石調幽蘭巻五」の展示は2月24日まで、「宝慶寺の仏龕」は半永久的に展示されてます。。


ついでですが、以前セゾン現代美術館の記事で触れた大黒天像(文化庁蔵)がちょうど本館で展示されてたので紹介しておきましょう (申し訳ないんですが特別公開ということでわずか2週間、1月14日で展示終わっちゃったようです...)。。
b0283699_23233061.jpgLEDのおかげか以前見たときよりずっと迫力が増した気がします。快兼(快慶じゃありませんよ)による貞和3(1347)年の作で、南北朝期の仏像としては卓越した出来。。もともと東大寺の食堂を再建する時に(南都焼き討ちから160年余!!)食堂の守り神として作られた像です。厨子(今回は展示なし)にその詳細な経緯が記されていて興味深いんですが、オチのない話なので今回は止めときましょう。。(そういえば三彩羅漢の追記もしてないな~そのうちには...)


あっ、本館入ってすぐ左の部屋はミュージアムショップになるみたいですね (現在閉鎖中)。。
便利ですけど、場所が場所だけにあんまり露骨に商売っ気が見えないような上品な雰囲気を希望。

東博といえば王羲之や円空も話題になってますし、書きたい展覧会も沢山あるんですが、私のブログ書くペースじゃ追いつかなくてスルー続き...やっぱもっと短く書かないとダメだな、こりゃ...( ̄ω ̄;)
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by brevgarydavis | 2013-01-15 11:47

物見遊山でうろちょろChina その3 -元青花展- (上海博物館編)-

往年の陶磁器愛好家の皆さんの中には、
元青花と聞けば今でも心が躍るという方もいらっしゃるでしょう。
20世紀前半の中国陶磁界のスターが唐三彩だったとしたら、
20世紀後半最大のスターは間違いなく元青花
 【青花とは白磁の素地に青く発色する顔料で文様を描き、その上に透明釉をかけて焼成した磁器をいいます。
  日本語では染付、英語ではblue and whiteと呼ばれます】


唐三彩が鉄道の敷設などに伴って大量に出土したのに対し、元青花はある時はシリアの民家から、ある時は東南アジアの山奥から、ある時はニューヨークの骨董店の店先から、またある時は日本の大名家の蔵品から、一つまた一つと見い出されては美術市場に登場し、高額で取引されて斯界の話題を浚いました。

b0283699_16154317.jpg発端はこの「デイヴィッド瓶」。

かつてはこのような青花磁器の製作は明時代(1368-1644)に始まると思われていました。
年代を知る手がかりとなる「大明成化年製」などの官窯銘が入ったものが宣徳年間(1426-35)以降の作品にしかなかったからです。官窯銘が入っていない古い青花磁器はみんな宣徳以降の民窯の作品だと思われていたのです。
当時は欧米や日本に元や永楽年間(1403-24)の青花の優品があまり知られていなかったこと、また元時代の陶磁関係の文献がほとんど残っていなかったことも災いしました。
それを一変させる出発点となったのが、左の一対の瓶に入っていた銘文。。その中に記されていた年紀はなんと至正11(1351)年という元時代のものでした(現在でもこの瓶以外に宣徳を遡る年紀が入った青花磁器は知られていません)。

 青花龍文象耳瓶(一対)、h.64cm、至正11(1351)年、大英博物館蔵

R.L.ホブソン氏によってこのことが紹介されると、フリーア美術館のJ.A.ポープ氏はトルコのトプカプ宮殿とイランのアルデビル廟にあった膨大な中国陶磁器の中からデイヴィッド瓶と様式を同じくする青花磁器を選び出し(至正様式)、それらは元時代の青花磁器の一群であると発表したのです(1952,1956)。。

後代の青花磁器の中に埋もれていたそれらの磁器があらためて元時代の作品としてまとまった形で取り出されて見ると、技法草創期とは思われないその完成度の高さ、青と白の鮮やかなコントラストで描かれた力強くエキゾチックな文様やシャープな器形が醸し出す清新な魅力、トプカプ(39点),アルデビル(32点)の2大コレクションを含めても世界に100点もないといわれた希少性などが相俟って、60~70年代の陶磁界には元青花の一大ブームが巻き起こったのでした。

当時ディーラーが血まなこになって世界中から探し出してきた元青花の最大の買い手だったのが恐らく日本人。。日本に古くから伝来したとされる10点弱の作品を別にしても、40~50点位の元青花が請来されたんじゃないでしょうか。まとまったものとしては出光、安宅、松岡、梅澤等の蒐集があります。
当初世界に100点弱といわれたその数も、中国での発掘例が増加したこともあって近年では400点余にのぼるということです(ただし元青花の中には文様が略画風でサイズも小さいいわば2級品的な一群があり、400点という数にはそれらも含んでの数かも知れません。ただし出土した破片等は含まず)
最近の収蔵数を国別に見ると、中国(香港含む、香港の天民楼コレクションにはなんと27件の元青花が収蔵されているとか!)、日本、トルコ、イラン、英国、アメリカの順だろうと思います。

しかしながら焼き物好きの多い我が国でも元青花の本格的な展覧会というのは一度も開催されたことがありません(多分欧米でもないはず)。2~3年前に東博でやった「染付展」でも元青花は国内のコレクションから7点(たしか)が出品されたのみでちょっとがっかり...とりわけ同じ時期に北京の首都博物館で元青花展が開かれていると仄聞したものですからなおさらでした。。その図録だけでも取り寄せたいと思ったのですが、面倒になって忘れていたところ...上海博物館入ったら「幽藍神采—元代青花瓷器大展」の垂れ幕がドーン!!久しぶりに垂れ幕で興奮しましたよ...

b0283699_11571249.jpgとりわけ嬉しかったのがアルデビル廟旧蔵の作品(現在はイラン国立博物館蔵)をまとまった数見られたこと。。トプカプの作品はなんどか日本に来てますが、イランのコレクションは日本で公開されたことないんじゃないでしょうか?さすが悪の枢軸とも仲良しの人民共和国☆(+。+*)キャッ。
近年の中国出土品がたくさん展示されていたのもポイント高し。こんなに出土件数増えてるなんて知らなんだ..国土改造中だから沢山でるあるね。。
2005年のオークションで1568万8千ポンド(当時のレートで約32億円)の値がついて話題となったエスケナージの壺も出品されてましたが、出光の王昭君の壺の方がデキがいいな~

 青花鳳凰八宝文稜花盤、d.57cm、イラン国立博物館(アルデビル廟旧蔵)

景徳鎮から世界中の王侯貴族のもとへ嫁いでいって六百有余年。。こうして祖国に帰って一同に会しているのを見ると壺や皿にも積もる話があるだろうにって思っちゃいますね。。

なんだか展覧会の紹介じゃなくて元青花概説みたいになっちゃいましたが、これまで中国陶磁あんまり興味なかった方は取っ掛かりとして元青花あたりから覚えるのもおススメですよ。。元青花持ってればまず中国陶磁としては第一級のコレクションと考えて間違いありません。。
我が国でほぼ常設で元青花を展示しているのは大阪市立東洋陶磁美術館、東博、出光美術館(陶片資料室)、掬粋巧芸館(休み多し)くらいですが、松岡(展示されてる可能性高し)、戸栗、東京富士、根津、MOA、早稲田大学會津八一記念博物館、山口県立萩美術館・浦上記念館などでも元青花は収蔵されているので出会う機会もあると思いますよ。


上海博物館の「幽藍神采展」は1月20日までです (いつも告知がギリでm(_ _)mスマヌ)。
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by brevgarydavis | 2013-01-13 13:39

サザエ堂、おばあちゃんの原宿に現る!!

皆さん、栄螺堂ってご存じですか?
なぜか関東と東北にしかないので西日本の方はあんまり馴染みがないかも知れません。。
階段やスロープをぐるぐる回りながら昇って仏像などを拝観していくお堂(塔)のことです。

一番有名なのは、いま大河ドラマで話題の福島県会津若松市、正宗寺っていうお寺にあったもの。
 (現在は廃仏毀釈でお寺がなくなったため、なんと個人の所有とか!)
まさに栄螺堂の名にふさわしく、巻貝の中を登るようにスロープを進んで最上階に達すると今度は別のスロープを降りてくるという二重螺旋、DNA状態の建物です (また観光客さばきやすいつくりだな~)
単にサザエ堂って言った場合、大半の人が思い浮かべるのはこの建物のはず。。
会津旅行したとき登ったことあるって人も多いんじゃないでしょうか。
そのオリジナリティ溢れる珍妙な作りが評価されて近年重要文化財にも指定されています。

ただし正宗寺ヴァージョンはサザエ堂としては異端なんでありまして、、

江戸時代に超有名だったのは正宗寺サザエ堂建立の十数年前、安永9(1780)年に建てられた
本所羅漢寺の三匝堂(栄螺堂)。。
この本家のサザエ堂は現存していませんが、それを真似て建てられた曹源寺(太田市・1793年築)、
長禅寺(取手市・1801年築)、成身院(本庄市・1911年の再建)、西新井大師(足立区・1884年の再建)などのお堂が今でも現存しています。。
でも会津みたいのを期待して行くとちょっとがっかりするかも...
だって要するに単なる三階建ての建物なんだもん...
一階を一周して脇の階段を上り、二回を一周して脇の階段を上り、三階を一周する、って具合。。
しょぼい天守閣みたいなもんですが、、江戸時代の庶民にとっては三階建ての建物に登るってだけで嬉しかったとか...スカイツリー登って喜んでる私たち平成の庶民も五十歩百歩ではありますが...

ま、それはともかく...最近知った事実...

なぜか今大正大学が巣鴨キャンパスにサザエ堂建ててるんです!!( ̄ェ ̄;) エッ?

b0283699_22382977.jpg左の完成予想図を見ると、外観は完全に会津式。。
内部は観音様や千住博氏の美術品が飾られるそうです。
となると高橋由一の螺旋展画閣やライトのグッデンハイム美術館の要素もありなのか...
もしや巣鴨のおばーちゃまの財布が狙われてるっ?!
いやいや大学だからまさか入館料とかとらないでしょうね?
とげぬき地蔵から1キロ以上あるし。。

いろんな意味で注目の大正大学 新11号館、今年の5月18日に完成の予定です!!
(去年はスカイツリーでしたが今年はスガモツリー登ってすがもんに会うってのがくるがも~?)
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by brevgarydavis | 2013-01-10 17:06

物見遊山でうろちょろChina その2 -董源 or 張大千? (上海博物館編)-

先月中国に行った最大の目的は上海博物館で開かれていた特別展「美国蔵中国古代絵画珍品展」
見ることでした(中国ではアヘン戦争以前、または辛亥革命以前は古代です)。
上海博物館では豪勢なことに他にも元青花、銅鏡、ファベルジェと特別展が四つも同時に開催中!!
しかも中国では数年前から国の方針で主要な博物館・美術館は全て無料になっていて、
特別展まで全部タダで見られるんですよ!!
ちゃんと情報収集してなかったので元青花展までやってたのにはビックリ仰天しました。。
結局丸々三日間上海博に通うはめになっちゃいました...

で、件の「絵画珍品展」。。
メトロポリタン、ボストン、ネルソン=アトキンス、クリーヴランドというアメリカの中国絵画五大コレクションの内の四つから優品を選んで持って来るというぜーたく極まりない企画
 (もう一つは一応フリーア美術館ね。あそこは館外貸出厳禁なので誰も持って来られません)。。
こういうのはやっぱ祖国じゃないとできまへんな~。。一昨年の日本収蔵中国絵画展に続く第二弾です。

中でも一番見たかったのは、1997年にメトロポリタン美術館に寄贈された時から多くの人の関心を
集めて来た伝・董源作「渓岸図」。。
台北の大観展にも出てたそうですが、行けなかったので初対面でございます。。

b0283699_14234069.jpgこの絵、以前に『芸術新潮』(2002年5月号)でも大きく取り上げられたのでご存知の方も多いでしょう。メトの発表では南宗山水画の祖とされる10世紀の画家、董源による稀有の傑作ということだったのですが、この絵の旧蔵者が張大千だったことから話がもつれ始めます。大千は20世紀の中国を代表する偉大な画家であると同時に稀代の贋作者としても悪名高い人物だったからです。
ジェームズ・ケーヒル、古原宏伸、シャーマン・リーといった研究者が大千贋作説を唱え、多くの人々がそれに反論するという形で議論が進みました。
古原氏は勿論、ケーヒル、リーの両氏も比較的日本と関係の深い学者であるところが面白いですが、現在でも確かな結論は出ていません。。
大陸や中国系の学者の人たちは董源真筆とまで言えるかどうかはともかく宋以前の古い絵だろうと考えている人が多いようです。

というわけで、私ごときが見ても判る訳はないんですが、かねてより野次馬根性から一目拝んでみたいものだと考えていたのでございます。。

でもこんな素晴らしい作品がたくさん来ていて、しかも無料なのに結構快適に見られるってのも良いような悪いような...まぁ、ガラスケース越しなのは仕方ないとして、思う存分熟覧できたのはありがたいことでした。。

伝董源「渓岸図」,221×109cm,10~20世紀,メトロポリタン美術館蔵


で、なるべく先入観を排して率直に見た感想を記すと、、まず董源真筆ってことはないでしょうね~。。

そもそも中国の学者以外は董源の真作は一点も現存していないって考えてる人が大半でしょうし...
ですから基準作と比較するなんてことは望むべくもなく、董源作とされてきた作品の中から、実際に彼の作品を見たであろう宋時代の沈括や米芾の董源評に近くて、かつ様式的な流れからも10世紀江南画の雰囲気を残していそうな模本や仮託作を真作を偲ぶよすがとして選ぶ、というのが現代の我々ができる精一杯のところだと思いますが...
そういう基準で「渓岸図」を見ると、あまりにも作為的に多くの表現を詰め込んでいるように思われて宋時代の前に置くなんてとても無理だと感じます。既に実景から離れて絵から絵を創るイディオムがよほど溜まってきた時代の絵のような...五代から北宋初期の山水画というと唐代までの観念的な山水から脱皮して雄大なパースペクティブを水墨で表現できるようになった画家の感動や喜びが画面に表れてて欲しいと思う気持ちがあるんですけど...全然そういった初発性は感じられない絵ですよね。
ついでに言うと従来言われてきた通り黒川古文化研究所の伝董源「寒林重汀図」は五代絵画らしい風格を備えた優れた模本なんだな~とあらためて見直しました(隣に並べて欲しかったぞ)。。
でも当時の絵画がほとんど残っていない現状では、あくまでも今私たちが利用できる片々たる資料から判断して、、という限定を付けなければならないのがもどかしいところですけれども...

一方、それじゃこれは張大千の贋作かと問われると、いくら大千が天才でもこれだけ見事に古画らしい絵を偽造できるもんなのか、という一抹のギモンも感ぜざるを得ません。。
他の大千作の偽物は図版で見ただけですが自力で判別できるかどうかはともかく、ニセモノと言われれば「確かにそうかもなー...」という感じ。。もっともこれは今だから言えることで、故宮のコレクションが広く公開されてなかった60年代位までは大千の五代・宋画の贋作を自信を持って退けることができた人はほとんどいなかったでしょう(実際幾つかの有名美術館も彼の贋作を掴まされています)。。それが「渓岸図」の場合はもし大千作だとしたら「大千すげーなー」って素直に思っちゃいますね。。
釈然としない絵ではあるんだけど...

折衷案という訳ではありませんが、宋~明末頃の擬古作という可能性も指摘されています。
というよりこの可能性が一番大きいのかも。。
でもなんかその手の宋や明末の伝称作品にも見えないんだよね~
う~ん、なんか本物に見えて来た...いやいや贋物?...いやいや...ちょっと座って休まないと...[◎凸◎]

ふぅ~、まじめに絵を見ると疲れますよね。他の絵を見て気分を転換。。

いや~「渓岸図」にアテられた頭で見ると、本物ってのは実に好いですね~
意地の悪い眼であーだこーだと穿鑿しなくていいからかな??
伝・喬仲常の「後赤壁賦図巻」(ネルソン=アトキンス美術館)、大徳寺旧蔵の五百羅漢図(ボストン美術館)、
陳容の「九龍図巻」(ボストン美術館)などはもう心が洗われるようでしたよ(ー。ー)フゥ。。


閑話休題。。
それにしてもいつものことながら大陸の研究者の方々の鑑識眼ってのは謎ですな。。勿論ちゃんとした先生もいるんですが、本に載ってるのは全て真作という前提で研究してる(?)ような人もいて...他の国で言えば美術史学者じゃなくて文献学者と思った方がいいのかも知れませんが、そういう人が美術館で働いていたり真贋について堂々と論拠不明の文章書いてたりするミステリー...
国が広いといろんな人がいます...

なんだかオチの無い話を延々としちゃったので、同時に開催されてた元青花展については次回改めて書くことにしましょう。。
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by brevgarydavis | 2013-01-06 14:31

あけまして阿蘭陀正月。。

皆さん、あけましておめでとうございます。。
平成になってもう25年...、、って早っ!|)゚0゚(|!
戦争が終わってから私が生まれるまで位の時間が経ったんですね~
自分って終戦直後の生まれのような気がしてきました...

実はここ十数年、新暦の1月1日だけじゃなく旧正月も祝おう!ってのをみんなに勧めてて、年賀状も
旧正月に出してるんですが、いまだ誰も同調してくれる人がいません...。

日本では新暦、ほかの東アジア諸国では旧暦で正月を祝いますが、
その両方祝って、年賀状も好きな方で出せばいいことにすればラクだし楽しいと思いませんか?
その間ずーっと正月気分で過ごせるし...レジャー産業的にもプラスってことで...

国民の半分が年賀状旧正月に出すようになれば、旧正月も休日になると信じて人を勧誘してるんですが成果ゼロ...まぁちゃんとした会社勤めてる人はそんなフザけたことできませんわな...。

しかーし江戸時代には私と同じような酔狂な人がちゃんといたんです!!
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      市川岳山筆 「芝蘭堂新元会図」、100×144cm、寛政6年閏11月11日(1795年元旦)、早稲田大学図書館蔵

有名な絵なのでご存知の方も多いかもしれません。。いわゆるオランダ正月の図。
オランダ正月というのは、もともと出島のオランダ人たちが太陽暦で新年を祝った催しのこと。。

宗教そっちのけで商売に励んだオランダ人でも
さすがにクリスマスの頃には里心なんぞが芽生えるもの。
でもここは切支丹禁制のヤーパン国、、おおっぴらにクリスマスを祝うわけには参りませぬ。
ほな、新年会にかこつけて酒でも呑んでクリスマス気分味わおか!
みたいなことで始まったらしいですが...
長崎では異国情緒溢れる行事として一部の日本人の間でもちょっとした流行になっておりました。

これに参加していたく感銘を受けたのが蘭学者の大槻玄沢。。
いつか江戸でも同じような会をやってみたいと思い続けること10年...
仙台藩医にも取り立てられ蘭学者としても名を高めた玄沢は、江戸に来たオランダ商館長と
対談するという栄誉を得ます。
それを奇貨として長年胸に温めていた太陽暦の新年を祝う行事を始めたのが、
1795年1月1日、旧暦では寛政6年閏11月11日のこと。。
その様子を描いたのがまさにこの絵。。
芝蘭堂(しらんどう)とは当時京橋にあった玄沢の蘭学塾の名前です。

画中の29人の登場人物についてはReinier H.Hesselink氏の論文が詳しいんですが、
(『Monumenta Nipponica』50-2,1995や『早稲田大学図書館紀要』47,2000を参照されたし)
なかで一人だけ挙げると、床の間に掛けられた「ウニコール」(イッカク)の絵の前でキリル文字を
書いて見せている人物がロシアから帰国した大黒屋光太夫だと言われています。

同時代の人々にとっては、オランダかぶれの先生たちがなんだか変な会始めたよ、ってなもんだった
でしょうが、あとから振り返ればこのささやかな会こそ我が国が東アジアの伝統と袂を分かって
中国や朝鮮とは大きく異なる近代を経験することになる遠い始まりを象徴する出来事だったのかも
知れません。。

それにしても西洋文明という麻疹に他の日本人に先駆けて罹ったこの人たちの楽しそうなこと!
まぁ、テレビで見る日本オタクの外国人とかもなんだか楽しそうですもんね...


この絵が描かれてから80年近く経った明治5年、政府は12月3日を明治6年の1月1日とし
グレゴリオ暦が正式に採用されました。。
以降、旧正月を祝おうなんて人は逆に変わりモン扱いですが、平成も早や25年、
そろそろ両方祝っても良い頃なんじゃないでしょーか??

「芝蘭堂新元会図」は早大が1953年に購入した大槻家資料中の一軸。
明治時代に木版や石版で復刻されたものが各地の博物館や図書館に所蔵されてるので
そちらを目にする機会もあるかも知れません。。
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by brevgarydavis | 2013-01-01 21:01