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美術史の小窓 その6 ―本堂どこですか?―

寧波の阿育王寺に行ったときの事。。
私が大雄宝殿のまえの楠の大木に感動して写真パシャパシャとってると、
同行の一人が 「時間ないから早く本堂見に行きましょうよ」 って突っついてきました。

   ......( ̄▽ ̄;)!!ガーン......

   
まぁ確かに一般の人は大雄宝殿がいわゆる本堂のことだって知らないと思いますが...
   私の記憶が正しければ彼女は大学院で中国美術を専攻していたはず(爆)...

でも考えてみるとお寺の建物の名前っていろいろあってややこしいですよね。。
古代寺院の伽藍配置とかを別にすると、あんまり研究も解説もない感じ。。

で、ご本尊を安置した寺の中心になるお堂についてだけちょっと考えてみると、、

まず奈良なんかを中心にした古代からある寺院では金堂っていいますね。
これは古いお経には既述がなくて、『三国遺事』にしばしば出てくるので朝鮮半島から来た呼び名という説が有力みたいです。金ピカの仏像(金人)を祀ってるから金堂。。
禅宗寺院では仏殿。これは宋時代の中国から来た呼び名。。
黄檗宗では大雄宝殿(あるいは大雄殿)と言います。これは明時代の中国から来た呼び名。。
  (「ダイユウホウデン」って読んでもいいんですが、普通日本語の読み癖で「ダイオーホウデン」って
   読みます)
大雄ってのはサンスクリットのマハーヴィーラ(偉大な勇者)の訳でお釈迦様の別称です
 (本来はジャイナ教の開祖ヴァルダマーナの尊称として使われることが多い言葉)。
現在の中国や台湾、韓国のお寺ではたいていこれを使います。

平安~鎌倉時代くらいに日本で独自に発達した宗派では本堂と呼ぶのが普通。。大陸にはない呼び名だと思いますが、日本では禅宗や古代からある寺院でも後に本堂という名称になっちゃってる場合が多々あるようですね。
天台宗の由緒のあるお寺では中堂とか根本中堂を呼ばれますが、これは比叡山に最澄が建てた三つの建物の真ん中の建物だったかららしいです。

ほかに阿弥陀堂や薬師堂、観音堂など祀っている仏さまの尊名で呼ばれる場合もあります。


この程度のことはお寺や仏像のファンならなんとなーく知ってることですが、
 文献調べてきちんと語史的にお堂の名称を調査したような研究はないと思います。。
たとえば日本で最初に本堂って呼ばれた建物がどれだったのか、誰も知らないんじゃないかな~
退職後で閑な方など挑戦してみませんか?立派な研究になると思いますよ~o(^-^)o
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by brevgarydavis | 2012-12-30 20:48

物見遊山でうろちょろChina その1 -寧波の古刹 (阿育王寺と天童寺)-

ニンポー(寧波)といっても現代の日本人にとっては、なんか聞いたことあるかな~位の都市ですが、
中国の都市の中で古来我が国に一番縁が深く直接の影響を与えたのは
北京でも長安でも洛陽でもなく、ましてや上海などではなく、、
実はこの寧波なんですよ!!

古くは阿倍仲麻呂や鑑真、空海や最澄もこの町を通りましたし、
咸平2年(999)以降は日本への窓口が寧波に一本化されたため、
ちゃんとした人は大概ここから中国に出入りして交易や勉学に励みました。。

しかしなんといっても日本に甚大な影響を与えたのは
 禅宗・天台宗を中心とした寧波近辺の仏教文化・・・(-∧-)・・・。
阿育王寺、天童寺、延慶寺といった名刹や天台山、普陀山といった聖地が点在し、
 昔の日本のお坊さんにとって寧波(明州)はまさに憧れの地でした。。

不肖出不精の私も今回ようやく、阿育王寺と天童寺にお参りを果たすことができましたよъ( ゚ー^)イェー♪。。

                         ( 阿育王寺・大雄宝殿 )
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                           ( 天童寺の甍 )
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印象に残ったのは阿育王寺の素菜(精進)料理と天童寺のお坊さんかな~。

中国とか台湾に行くと素菜料理の店をよく見かけますが、食べたのは初めて。。
恐っそろしく広くてうす暗い食堂に、
 妙にポップなお経のCDが流れる中 (ちょっとオウム××教を連想(;´ρ`) ...)、
客はうちらだけでホントにマトモな料理出てくんの?って感じでしたが、予想外の美味しさに大感動!!
 日本って他の国に比べてベジタリアン料理出す店が少ない気がしますけど、なんででしょうね?
日本人に向いてると思うけどな~お年寄りも多いし...江戸時代から食生活、豹変し過ぎ...。。

天童寺行くと入口からお堂まで歩いて15~20分位あるので
 カートみたいのが寄って来て、乗れ乗れって五月蝿いんですが、
ビール3本くらい飲んだ六平直政さんみたいな顔したお坊さんが
 (袈裟着てなきゃ絶対5m以内には近寄りたくないレベルのお顔...)
しっしっ、って追い払ってくれて近いから付いて来いって言ってくれました。。
「あそこに見える塔は古いものなんですか?」って聞いたら、
からからと笑って、市が観光のために造ったもんだ、ここらへんにも庭を造ってたが、たいして
 観光客も来ないのでやめてしまったみたいだな、とのこと。。
途中トイレがあったので、寄っていきますって言ったら上のがキレイだからそっちを使えと。
お堂の前につくと「そっちがトイレだ」と指差して、振り返りもせずにお堂の中に消えていきました。。
  ぎゃーかっちょいい~~!!これぞ漢やー!!
こういうコワモテでぶっきらぼう、かつ自然に親切な風情を持った人って今の日本人にはいませんね。。
鎌倉武士ぐらいまで遡れば別だろうけど...
日本人だとどうしても親切にベタベタと話しかけてくれたり愛想笑いなんかしてくれちゃいます
  (そこが日本人のやさしさではあるんだけど...)
高校生の頃、ボブディランは決して愛想笑いしないのがカッコいいって思ってたことを思い出しました。。


いやいや、こんな食いモンやおっさんの話じゃなくて、もーちょっと文化的な話をしなくては...

この2つのお寺はともに南宋五山の一角を占めた中国屈指の名刹ですが、
特に天童寺は日本の禅宗にとって正に総本山のような所。。
栄西や道元、円爾といった日本僧がここを訪れて禅を学び、
また蘭渓道隆や無学祖元といった中国僧がここから禅を伝えるために日本へ旅立ちました。。

ただし栄西・道元以前にも禅宗が日本に紹介されなかったわけではありません。。
飛鳥時代以来、道昭、行表、恵萼、義空、能忍といった人々が禅の教えを広めようとしましたが、
多分たいていの人にとってはあまり馴染みのない名前ですよね
  (私も覚えてないので本見て写しました...)
結局栄西が伝えた臨済宗と道元が伝えた曹洞宗が日本の禅の2大潮流をなしたと言ってよく、
 そのみなもとは共に天童寺なんですよ。。

日本にある関連の文化財は枚挙に暇がありませんが、渋いところで拓本を挙げておきましょう。。

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孝宗書「太白名山四大字碑銘」(拓本)、188×84cm、
(書)1178年・(採拓)1241年以前、東福寺蔵


孝宗は南宋第2代の皇帝ですが、寧波に派遣していた
息子が天童寺に了朴っていう立派なお坊さんがいるよ、
って伝えて来たので皇帝自ら了朴に贈ったのが
この「太白名山」の書。

寺ではそれを碑にして建てており、日本から行った
東福寺開山の円爾が拓を採って他の多くの漢籍など
とともに日本に持ち帰りました。

しかるに萬暦15年(1587)7月21日、天童寺一帯は
集中豪雨に襲われて裏山(この太白山!)が崩れ、
礎石も残らないほどの壊滅状態に陥ります。。

よって天童寺の建物や文化財は全てそれ以降の
モノのみなんですが、僅かに日本に運ばれた拓本が、
かつてあった碑の存在を今に伝えているという訳ですね。
(恐らくは周辺の何キロかを掘ればこの原碑がどこかで
  多くの僧と共に埋まっているはずです...)



ついでに阿育王寺関係のものとして、同じく円爾が将来した師の無準師範の像も挙げておきましょう。。
無準師範は杭州の径山寺にいた時期が長いのですが、紹定元年(1228)からの3年間は阿育王寺の
住持を務めました。

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「無準師範像」、125×55cm、1238年自賛、東福寺蔵


南宋肖像画の名品中の名品ですねー。

師の高い精神性を伝えなければならないという意識から、
一方ではこうした極めて写実性の高い絵画が生まれ
一方では師の書や禅画の中にその精神を見るという
態度が生まれました。

頂相や墨蹟、一昨年京博で展覧会が開かれた袈裟
などは、我が国では伝法・相伝の証として極めて
大切にされ、その時代の精神を今に伝えています...
とか偉そうに言っても、難しくてチンプンカンプンな物が
多いんだけどね~(*´ο`*)。

ついでに言うと日本で大変有名な水墨画家の牧谿も
この無準師範さんの門下といわれています。。
彼の作品が日本で大事にされたのは
ここらへんの繋がりも大きいのでしょう。。





あっ!そういえば雪舟の話もしとかなきゃ!
雪舟は応仁元年(1467)の遣明船に加わって明に渡り、天童寺に滞在して首座の称号を得ました。
雪舟はそれを終生誇りとして、帰朝してからも幾つかの作品に「四明天童第一座雪舟」などと
署名しています (四明は寧波の別名)。。

首座ってのは天童寺でホントに一番偉い人...
たとえ名目でもなんで一介の絵描きに過ぎない雪舟がそんな称号を貰えたのか、不思議なんです。。
多分ほかに日本人でそんな称号をもらった人はいないはず...あ、何年か前に日本画家の方で
何百年ぶりかに首座に推されたって人がいましたが...まぁそれは別の話でしょう。。

雪舟や道元もはるばる日本からやって来て、この辺りを私と同じくうろちょろしてたんだな~(違うか)
と思えば日本人としては感慨深いものがありますよね。。


ちょっと残念なのは、あまり古い建物や仏像がないこと。。

天童寺の伽藍は明末の再建 (20世紀に補修)ということでマシなんですが、
阿育王寺は多分太平天国後の建物だろうとのこと (もっと古い建物があるのかどうか私は知りません)。
その後、文化大革命で阿育王寺は兵舎や工場に転用され、両寺の仏像も全て破却されたとの由。。
今ある金ピカの仏像は近年造られたものだそうです(・_・、)。。
中国では政治と空腹が全てに優先するといえばそれまでですが、、
阿育王寺の真新しい山門に麗々しく掲げられた江沢民筆の扁額が
なんだか虚しく輝いて見えました...

とはいえ、この両寺関連の国宝・重文だけで特別展が構成できるくらい
 我が国の文化とは関わりの深いところ。。
鎌倉~室町時代の禅林文化に興味を持っている方には絶対のお薦めですよ。。

上海から行くと、新幹線で1000円+タクシーで300円+バスで50円くらいで着きます(←ウロ覚え)。
時間は何時間か掛かるので日帰りはギリギリかな~
正直言うと、寧波は杭州なんかと較べてかなりガラの悪い地方都市という印象を受けましたが、、
ホテルのお姉さんがとっても可愛ゆかったので良しとしましょう!!(今度は天台山行きてぇーo(^o^)o)
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by brevgarydavis | 2012-12-27 12:59

メリークリスマス!

クリスマスイヴですね。皆さんどう過ごされてますか。
日本人にとっては、一部のキリスト教徒の方々を除くと、クリスマスはすっかり年中行事の一つに
 なっちゃてますけど、それはそれでしょうがない気がします。
日本とかインドとかの多神教徒の宗教の取り入れ方って結局そういうもんなんですよね。。

クリスマスイヴというと子どもの頃によくテレビでキリスト物語とかクリスマスキャロルとかを放映してた
 のを思い出します(多分日テレ?)。
今じゃそういう宗教的な番組は放送しないのかも知れませんが、私は結構好きでした。。
なんとなく子どもながらに、ちょっとだけ気の毒な人たちのために親切にしようという気分に
 なりますもんね。。(何十年か経って自分が気の毒な人になりかけてるような気もしますが...)
年中行事でかまわないと思うけど、そういう敬虔な雰囲気も少しはあった方がいいんじゃないかな~。。

イエスって25日の夜に生まれたのかとずっと思ってましたが、昔は日没から日没までが1日だったので24日の夜はもうクリスマスなんですってね。
もっともイエスの生まれたのが夜だったという根拠も12月25日だったという根拠も全然ないんだそう
 ですが...(むしろ羊飼いが放牧してることから春~秋という説が有力らしいです)。

で、日本にあるキリスト降誕関係の絵でも取り上げようと思ったんですが、中々ないんですよ、これが。
江戸時代の踏み絵にはありましたが、さすがにそれはまずいわな...
磔刑図なんかは結構あるのにね。。青森にキリストの墓があるからかな...?

そんなわけであまり選択の余地なく、西美のこの絵。。

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     ロレンツォ・レオンブルーノ作、「キリスト降誕」、44×36cm、c.1515、国立西洋美術館蔵

この絵ではイエスは夜ではなく昼に誕生したことになってますね。
 場所はベツレヘムのはずですが、風景も建物も完全に中部ヨーロッパ風...
真ん中では聖母マリアが飼い葉桶に入れられたイエスに授乳中です。。
右にはイエスの養父ヨセフ (マリアと性的関係がなかったことを強調するために大抵老人で描かれます)
 が眠りこけてます。重要な場面では疎外されてることが多い可哀想な大工さん。。
二人の天使はイエスを礼拝し、もう一人は郊外の羊飼いにイエスの誕生を知らせて連れて来たところ
 ですね(次のカットは「羊飼いの礼拝」になるはず)。ここらへんは大体「ルカ福音書」に拠っています。
ロバと牛がいるのは「イザヤ書」 (本来イエスとは何の関係もない旧約の一書です)の中の言葉に
     「牛はその飼主を知り、ロバはその主人のまぐさおけを知る。
         しかしイスラエルは知らず、わが民は悟らない」
とあるのを、イエスを救世主と悟らなかった当時のユダヤ人への当て付けとして表してるらしいです。

あれっ?キリストが生まれたのを祝福に来たのは3人の博士じゃないの?って思った方もいるかも
 知れませんが、羊飼いの礼拝は「ルカ福音書」に、東方三博士(マギ)の礼拝は「マタイ福音書」に
  書いてあります (両方礼拝に来てるゴージャスな絵も珍しくないですが)。

最近はネットでいくらでも画像検索できるので、
 「キリスト降誕」・「羊飼いの礼拝」・「東方三博士の礼拝」
といったキーワードでいろんな画像を集めて比較すると面白いですよ~。。
それぞれの画家の工夫(苦労?)が分ると思います。

この絵の画家、ロレンツォ・レオンブルーノはマントヴァ出身の比較的マイナーな画家ですが、
キレイな色彩と素朴でかわいらしい雰囲気が魅力的ですね。。

大体西美で常設展示されてるので、いつか会いに行って見て下さい。
クリスマスよりかなり前に紹介すれば良かったんだな~まぁ来年のイヴにでもカップルでどうぞ(゚ー゚)。。
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by brevgarydavis | 2012-12-25 02:11

無事帰国しました。。

中国旅行(上海⇒蘇州⇒杭州⇒寧波)から帰って参りました。。
上海以外は初めてでしたが、台湾人の後輩と一緒だったのですこぶるスムーズな旅でしたよ。

いつもながら彼の国に対する印象は巨大かつちょっと(かなり?)ガサツな国...
一口に日本の十倍の人口と云いますが、東京が10コ(…はさすがにないけど)、大阪も10コ、名古屋も10コ...(以下同様)あると考えれば大体実態に合っているかと...
今回行った上海以外の都市もほとんど大阪と変わらない位の大都市です。

中心部にはやたら高層マンションやブランドショップが林立してますが、バスで小1時間もいくと
天秤棒かついだオバサンが乗り込んで来る世界。。
知り合いには山奥のお寺なんかにしょっちゅう行ってるのもいますが、スゴイな~と思っちゃいます。。
私はきれいなトイレが無いというだけでビビっちゃう人間ヽ(  ̄д ̄;)ノ なのでそんな危険なところには
とても行けません。。

今回、(というか旅行ではいつもですが)行ったのは博物館と寺院等だけなので普通の人には退屈
でしょうが、中には興味を持たれる奇特な方もいらっしゃるかも知れませんのでおいおいアップして
いきますよ(たいした所は行ってないので期待しないでね)。。
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by brevgarydavis | 2012-12-23 16:14

休暇願い。

2週間ほど旅行に行って参りますので、ブログの更新休みますm(_ _)m。。
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by brevgarydavis | 2012-12-12 11:31

美術史の小窓 その5 ―何事のおはしますかは知らねどもカタジケナさに涙こぼるる...―

「病草紙」、と呼ばれる絵巻があります。
 といっても現在は全て断簡になってしまい絵巻の体はなしていませんが、12世紀末頃の原本が
 京都や九州の国立博物館をはじめとして20図(あるいは21図)、各地に所蔵されています。。
 様々な奇病や障碍、治療法などを描いたもので、ご存知の方も多いかも知れません。

一方今回取り上げるのは「異本病草紙」という絵巻。
 こちらは原本はおそらく既に失われて幾つかの模本で知られるのみ、「病草紙」よりも更に
 不可解な図が多く、本来「病草紙」と一連のものだったのかどうかもよく分りません。。
 ただ描かれた風俗などから原本はやはり藤末鎌初頃の作だったと推定されています。

その中で以前から一番気になっているのが下の図。
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 b0283699_21381761.jpg(注)
「異本病草紙」は模本による
 異同が多く、この図が
 含まれているのは現在
 京都国立博物館に所蔵される
 狩野探幽による模本のみ
 だろうと思います。









平安京の一隅、大通りに面した建物の中で、台に座った一人の女性が
裾をたくし上げてM字開脚。。
まわりには「ありがたや~」とばかりに手を合わせる人や、
施しを貰おうとする乞食の家族などがいてちょっとした賑わいですな...
...ってなんじゃこりゃー?? 
お××こ丸見えやないですか~ノ( ̄0 ̄;)。。

これはもしや浅草ロック坐的な...いやいやそうじゃないですよね。
だって拝んでる人もいるし女性の見物人もいる、、それに右の方には3人のお坊さんの姿も。。
 とくにイカガワシイことをしてるような雰囲気はありません。。
恐らくは、この女性に何か仏教的な奇跡が起こっていて、
 それを聞きつけた人々が集まってるんじゃないでしょうか。。

一体何が起こってるんでしょう??皆さんいい考えありますか?

アソコが観音様の形になってるとか..うーん、そうは見えぬの~観音開きではあるけど..

今んところ私の考えとしては、、女性の尿がクサイんじゃないかと思うんです...
 根拠は女性の前に桶のようなものが置かれてるから、ってだけなんですが...
  おしっこがすごく好い匂いがするとか...ん??それってただの糖尿?病草紙だし...
   見ればこの子、ちょいと太り気味のような...

b0283699_0132479.jpg 
 時代は百年ほど下りますが、尿信仰
 という意味では「天狗草紙」や
 「魔仏一如絵」という絵巻にも一遍の
 尿を信者がありがたがって飲む場面
 があります。。
  (旧仏教の側から時宗はこんないかがわしい
    事をしてるゾ~って ことで描かれた絵ですが、
    一遍が尿療法を薦めたことは事実のようです)






「魔仏一如絵」、27×900cm、室町時代、日本大学総合学術情報センター蔵

ん~でも分らん。。結局のところ詞書がないと真相は不明ですね。
絵を見る限りでは、フィクションではなく実際に平安京で起こった事件(あるいは噂?)に
取材したように思われるので、当時の古記録や説話集もずいぶん捜してみたんですが
関係ありそうな記事は見つけられませんでした。。

でもこの絵を見ると以前、にしおかすみこの八つ墓村(ちょい懐かしいギャグね)を見た
徳光さんが股間に手を合わせてた場面を思い出すんよね~
       まぁ男としては気持ちは分るけどさ(・・。)ゞ テヘ。。。
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by brevgarydavis | 2012-12-09 23:34

松本竣介展

道ばたに転がってるドングリを発見して、おっ、秋だな~と軽く蹴っ飛ばしたら
...ワンコのう×ちでした(爆)。。
ひゃー!これでウンが付いたゾ❤...などと能天気に思えるはずもなく...
近年最悪の始まり方をした一日に世田谷美術館で開催されている松本竣介展に行って参りました。

半年以上まえから各地を巡回しているので既に行かれた方も多いでしょう。
 私も葉山で行こうと思っていたのが、仙台で見ればいいか...となり、
  仙台の時期には世田谷に来るからいいか...となり、
ようやく重い腰を上げた有様ですが、、

あぁー葉山も仙台も行くべきだった、と自分の腰の重さを後悔した
素晴らしい展覧会です。

竣介は明治45年の生まれ。
同じ年に生まれた有名人と言えば、双葉山や金日成、J.ポロック、佐藤忠良など。。
 その中でも一番早く亡くなったのですからずいぶん昔の人のはずですが、
忠良さんと一緒と言われると、あ、最近まで元気でいてもおかしくない人だったんだなと思います。
 生活を支え、多くの絵のモデルにもなった禎子夫人も亡くなったのは昨年のことです(享年99)。

b0283699_13563992.jpg竣介の生き方に大きな影を落としたと言われる
中途失聴と戦争。。
しかしそれらを絵の中にどう読み込むかは、
鑑賞者次第という気がします。

戦時中に生きた障害を持った人たちの
手記や述懐を読むと
日常的に非国民、穀潰し、役立たずと面罵され、
男性なら徴兵検査で受けた屈辱や
自分の無力さに対する忸怩たる思いを
今も忘れられないと語る言葉が
胸に刺さります。

竣介はそうした内面の苦悩については多くを
語っていませんが、
友人たちも次々と戦地に送られる中、
彼はどんな気持ちで絵を描き続けたのか。

「街にて」、116×91cm、1940年9月、下関市立美術館蔵

失聴のきっかけとなった脳脊髄膜炎の治療の時、最初はあまりの痛さに泣き叫んだ竣介ですが、
 「シュンのあの痛そうな声を聞くとかわいそうで」と
母が泣いていたという話を兄に聞いてからは決して声を上げることはなかったそうです。

そんな性格の彼の心中を誰が残された言葉だけから忖度できるでしょうか。。

聴覚の問題から平衡感覚が悪くいつも軽く左右に揺れながら歩いていたという竣介。
彼の中を通った風景がこんなにも透き通った青や白でキャンバスに定着した奇跡。
無心で絵と同じ空間で過ごしているだけで涙ぐんじゃって困りました。。(明らかに歳だな...)
久しぶりに心から満足できた展覧会。。

やっぱりウンコワンコのおかげかな?


大雪でも降ったら勤め先休んででもまた行きたい展覧会。。
雪で閑散とした砧公園の展示室で静かに彼の絵に再会できたらこんなに幸せなことはなさそうです。。

松本竣介展は世田谷美術館で1月14日まで、図録も上出来ですよ。 。
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by brevgarydavis | 2012-12-06 13:59

土地は金なり 最近、時kは金にならず...

2,3年前、話題になった某時計屋さんの経営不振。。
白金のお屋敷も売却されてマンションにでもなるのでは、、という噂が流れました。

神戸出身の知人が、
東京には芦屋の○○町や西宮の××園クラスの高級住宅街はあらへんやろ?
って主張(ちょっと自慢?)してましたが、
確かに田園調布や成城なども関西の高級住宅街に比べると大分スケールが小さい気がします。。

しかし東京に大金持ちがいなかったのか?といえば勿論さにあらず。
桁違いのお大尽が圧倒的に多かったのは言うまでもなく東京。。
財閥や華族、と言った言葉を思い起こせば明らかですよね。
でもそうしたとびっきりセレブな人たちの住む豪邸は、まとまった住宅街をつくることなく
都内に点在してました(大きすぎるもんね)。。

遡って考えれば、江戸の山の手の大名屋敷は今となっては考えられない超々高級住宅街。
東京の豪邸はその土地を受け継いだものが多く、
20世紀の初め頃から開発が始まった芦屋や西宮とは広さ、歴史とも格が違います(ちょっと自慢)。

戦後それらのお屋敷の多くは税金を払うために売却されて、
公園やホテル、大学などの敷地になったり、分割されてマンションが建ったりして無くなってしまい、
ごく一部が美術館などに転用されてなんとか現在まで生き長らえる運命に。。
まぁ、武家屋敷が幾つかの庭園が残った以外アトカタもないのに比べればまだましなのかも
知れませんが、モッタイナイ話ではあります...

そんな中で現役最後の大物と言えるのが件の時計屋さんのお宅。

b0283699_1916519.jpg
ざっと6~7千坪位はあるでしょうか。
建物は1933年築、高橋貞太郎の設計
(前田公爵邸や日本橋高島屋設計した人ね)。
これぞリアル「華麗なる一族」。。
一度でいいからお呼ばれしてみたい...

こういう家があるからこそめぐりめぐって白金の
地価が高いわけで、でも町の人が維持費を出してくれるわけでもなく...お金が尽きれば偏に風の前の塵となってしまう不条理。。

既に日本の伝統のようなもんですが、、
なんとかなんないもんでしょうかね~
(今すぐこの旧H邸がなくなるような予定がある訳ではありません、念のため)


あまり一般の人に知られていない物件は、解体反対!なんて運動も盛り上がらない訳で、、
華麗なる一族の方々には迷惑千万でしょうが、将来のため微力ながらもこのブログ読んだ皆さんに、
こんな家もあるんだよ~ (*゚o゚)/!! ってのを覚えててもらえたらと思った次第...。
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by brevgarydavis | 2012-12-01 17:15