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推薦本ノンデマンド vols.1 ”エスケナージの 『 A DEALER'S HAND 』 ”

何日か前に、近所のガレージセールで3ドルで買った中国の白いお碗をサザビーズに出品したところ、
なんと223万ドル(2億1千万円)で落札されたというニュースが世界を駆け巡りました(イイですなぁ...)

この定窯の白磁碗を落札したのが、ロンドンの有名な美術商エスケナージ。。
中国の古美術に関しては世界一のディーラーです。
最近このエスケナージ(G.ESKENAZI)の半生を回顧した本が出版されました。
キレイな図版も沢山載っていて、中国美術好きの人には必読の本なので軽くご紹介など。。

b0283699_046525.jpgA Dealer's Hand: The Chinese Art World Through the Eyes of Giuseppe Eskenazi

エスケナージ家はイスタンブール出身のユダヤ人の家系。一家そろって前フランス大統領のサルコジさんみたいな顔してます(欧米人が見れば典型的なユダヤ顔なのでしょう)。
一家は銀行業のかたわら1923年ミラノで日本や中国の美術を扱う美術商を始めます。

この本の主人公、ジュゼッペ・エスケナージ(b.1939)は13歳の時にロンドンに留学し、1960年からはロンドンの父の店を手伝い始めます。ま、ここらへんから紹介しだすと何十ページ書いても足りないので結論だけ言うと、このジュゼッペの才覚によって1970年代くらいからエスケナージは一流の中国美術商として頭角を表し始めることになる訳です。

本の中ではエスケナージの顧客だった世界中の著名コレクターが紹介されていて、それぞれは比較的そっけない事実関係の記述が主とはいえ、やはりそこらへんがこの本の一番の読みどころ。。

日本人も60年代から80年代にかけては中国美術の主要な買い手の一角を占めていましたから、松岡清次郎氏や安宅英一氏を始め何人もの人たちが登場します。
中で一番面白いのはやはりMIHO MUSEUMのくだりかな~。

1990年11月、彼の妻のローラが次に開催する「中国古代の象嵌美術」という展覧会のカタログを作るためにギャラリーのライブラリーの大きなテーブルに作品を広げている所へ、いつの間にか一人の日本人が勝手に入ってきて「ここにある作品を全部買いたい」と切り出したんだとか。驚いたローラがジュゼッペにそれを伝えに行った時の彼の最初の反応は「その男をつまみだせ」だった由。┐(-。ー;)┌アタリマエカ...
この日本人こそMIHOのコレクションの形成に中心的な役割を果たした古美術商の堀内紀良氏。
 (以前紹介した金のバックルもこの時一括で購入したものの一つです)
この本を読んで初めて知りましたが、1996年メトロポリタン美術館でMIHOのコレクションによる展覧会が開かれたのも、I.M.ペイがMIHO MUSEUMを設計したのもジュゼッペの紹介によるらしい(ヘェー)。

日本人以外では、
アメリカでの主要な顧客としてはクリーヴランド美術館やロックフェラー、アーサー・M・サックラーなど。
特にクリーヴランドのシャーマン・リー館長との付き合いは深かったようですが、長くなるので省略。。

ヨーロッパではなんと言っても玫茵堂(Meiyintang)コレクションで知られるZuellig兄弟。
もともとフィリピン生まれのスイス人で、医薬品流通業(ズーリック(ズエリグ)ファーマという東南アジア中心に1兆円近い売り上げがある会社です)で財をなした一族ですが、ヨーロッパの中国陶磁コレクションとしては大英博物館に次ぐ質・量のものと言っていいでしょう。日本でいうと出光の中国陶磁・青銅器部門くらいの量が安宅コレクションのような上品なテイストで集められた感じかな。
この本でも一番多く取り上げられているのが彼らのコレクションですが、残念ながら2011年一部がオークションに掛けられました。ただそれは恐らく兄弟の一人が亡くなったことによる相続分の一部で、大半はスイスに残るんじゃないかと思います(現在リートベルク美術館に寄託中)。


(閑話休題)
こうしたコレクターのエピソードを紹介してたらほんとキリがないので...。
素晴らしい作品が山ほど掲載されてますが、眼についたものを何点かだけ紹介させて下さい。。

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左上から
①饕餮文方斝、h.34cm、B.C.12-11c ②彩画鏡、d.28cm、前漢 ③鍍金竜、L.46cm、前漢 ④玻璃貼釉耳杯、L.14cm、戦国末期 ⑤青銅人物台座燭台、h.23cm、漢 ⑥三彩馬頭官人坐像、h.22cm、8c ⑦青花鸚哥図大盤、d.76cm、永楽頃 (所蔵は全て個人蔵、日本語の作品名は私が仮に付けたものです)


①の方斝は類品が北京故宮やフリーアにありますがかなり少ない器形。

②のように背面に顔料で人馬などが描かれた戦国~前漢時代の銅鏡は三十数面が知られていて、国内にも九博所蔵の3面(1面は東博から移管、重要文化財、残り2面は九州ビルヂング寄贈)や根津美術館所蔵品(村上コレクション)、破片ですが糸島の甕棺から出土したものなどがあります。しかしその中でも②はダントツで状態の良い見事なもの。e国宝の九博の鏡と比較して見て下さい。

③は何に使ったのか私には全然分からず。

④は装飾として器に数種の色ガラスを貼り付けたもので同様のものは世界に6点のみとか。これまでは東博所蔵の小壺が有名でしたが、それと比較にならないほど保存状態が素晴らしいです。

⑤は力士?が燭台を掲げるという趣向でしょうか。仮に燭台としましたけど多分蝋燭じゃなくて油を燃やしたもの。この手の古代中国の金属製人物像はある程度デフォルメされたものが多いですが、これは兵馬俑と遜色ないくらい見事な写実性を誇る傑作。特徴的な帽子はどっかで見た気がするけど思い出せない...

⑥も大珍品ですね。獣頭人身の陶俑像は十二支セットのものが幾つか知られていますから(国内では早大会津コレクションなど)、これももと十二支全部あった内の一つかも。しかし他の十二支俑はみな加彩の簡素なもので、三彩像はこれのみだと思います。

⑦は全く同図様の日本伝世品がスペシャルな作品として以前から著名でした。確か信州伝来で直径72cm、元~明前期の伝世した完形青花磁器としては最大の盤として知られていたもの(ただし大破してますけど北京故宮には75cmの盤あり、景徳鎮出土品にも大きいのがあった気がします)。
しかし⑦はそれを上回る76cmの巨盤!!(官窯磁器には必ず類品ありってのを思い知らされますね)
これ位の大きさになると4cmは製造時の誤差の範囲内でしょうから日本伝世品と元々セットだったかとも思われますが、日本のには外縁に「大明宣徳年製」銘が入っていたはず。これは無款のようでこの本では永楽にアトリビュートされてます(確かに写真で見る限りでは青みが強く日本のより永楽っぽい)。
銘がないのを永楽年間の傍証と見るか、それともこれだけ特別な作品なのだから日本伝世品と同時期の焼造と見るか、判断の分かれるところですね。


他にも本文中を含めると600点近い作品の図版が載っているこの1冊。日本の展覧会カタログよりはちょっと高いけど、英語読まなくても図版見てるだけでも十分元取れますよー(^ー^)。
   
(個人的に残念だったのは不言堂の坂本五郎氏が昔オークションで落札して有名だった元青花釉裏紅貼花文壺が既にエスケナージに売却されていたのを知ったこと。致し方ないこととは言え不況が20年も続くとポロポロ名宝が流出しますね...箱根にできる岡田美術館あたりが買い戻してくんないかな~。)

    
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by brevgarydavis | 2013-03-31 00:49

Today is a perfect day to die...☆。.:*:・'゜ヽ( ´ー`)ノ ~♪

今日(3月27日)は満月ですね。東京では桜が早くも満開です。
とくれば西行のあの有名な歌を思わないわけにはいかないでしょう。

願はくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ

b0283699_21343617.jpg今日は旧暦では2月16日。
あれ?満月って旧暦だと15日じゃないの?って思った方もいらっしゃるかも。実際には旧暦で満月になる日は大抵16日か15日、時々は17日、ごく稀には14日になることもあります。これは旧暦では朔(=新月、月齢0の瞬間)を含む日が月が立つ日(一日=ついたち)と決められている訳ですが、一日の何時頃に朔の瞬間が来るかということと、朔から満月までの期間が月が円軌道ではなく楕円軌道を廻っているために13.9~15.6日の範囲で変化するということによります(地球が楕円軌道で廻っていることも少しは影響します)。
如月の望月は3月4日~4月6日位の範囲で毎年変動しますから、桜の咲く季節と重なるのは今の近畿地方でソメイヨシノとすると3~4年に一度ぐらいでしょうか。西行の愛した吉野の山桜ならめったにはなかったはずです。

実際に西行が南河内の弘川寺で亡くなったのは文治6(1190)年2月16日のこと。現在のグレゴリオ暦でいうと3月30日頃に当たります(ユリウス暦では3月23日)。
この年も2月は16日が満月。。都の知人たちは西行がかねて詠んだ歌の通りの日に生涯を終えたことに驚き、その見事な最後を讃歎して已みませんでした。
難しく解釈すれば、月は仏道の悟りの象徴、桜の花は和歌など日本文化あるいは俗な世界の象徴ということになるのでしょうが、それ以前に西行はとにかく月と桜がただただ大好きだったんですよね。。もちろん如月望月と言えばもう一人の偉大な人物の命日でもあります。
そう、お釈迦様でございますよ~。O(-人-)O アリガタヤ・・。

松村景文「月に桜花図」、116×46cm、京博蔵

昔は旧暦2月15日には日本全国いたる所で涅槃会が行われていました。その証拠が今に残る涅槃図。
宗派を超えて大抵のお寺に所蔵されているので仏画の中では一番数が多いと言われています。
現在では新暦の月遅れで3月15日に涅槃会を催すお寺が大半になってしまったため、残念ながらおぼろな満月の下で時には万朶の桜を眺めながらお釈迦様の死を悼むという風情は失われてしまいました。
でも西行は73年の生涯の内には何度かそうした忘れられない美しい涅槃会を経験したのでしょう、それが上の歌のような素直な希求となって表れたのだと思います。

西行と同時代の適当な涅槃図というのが中々無いので、もうちょっと後の1幅を挙げときましょう。

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               「仏涅槃図」、202×179cm、鎌倉前期、和歌山・浄教寺蔵

皓々と照る2月の満月の下(5月だったという説もあり)、沙羅双樹の木に囲まれて入寂した釈尊が
静かに横たわっておられます。周りにはそれを聞いてやって来た多くの衆生の嘆き悲しむ姿。

恥ずかしながらわたくし、最近まで涅槃図をそんなに感動的な絵とは思いませんでした。
 ただ古い絵が沢山あるので、時代ごとの腺の質や人物表現などを見るのには好都合だなーぐらい。
だってお釈迦様の死に方ってあんまりパッとしないんですよね。。
 イエスみたいに罪人として磔になって終わるってのも陰惨過ぎる気がしますが、
お釈迦様は八十まで長生きした挙句最後はお布施で貰ったキノコにあたってポックリ亡くなるという...
 (キノコを布施した張本人のチュンダって人が「あ~やってしまった、替りにこれを~」て山盛りのご飯
   を掲げてお釈迦様のすぐ下に描かれてますね。左隣は名前は忘れましたがお医者さんです)

でも一昨年東博で涅槃図を何気なく見ていたら、
 (上の絵じゃないんですよ。東博の12世紀に遡る涅槃図がとっても良い作品なんですけど
  状態が悪くて画面では図様がほとんど見えないので、替りに浄教寺の絵を載せました)
なんだかお釈迦様が、それまで思っていたような悟りきって澄まして死んでいったような人ではなくて、
本当に苦労して苦労してつらい生涯を生きてきた人が、
死んだ後にようやく求めていた安息を得て静かに横たわっているように見えて、
苦の果ての寝釈迦尊しという思いに涙が止まりませんでした。



(つづく)
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by brevgarydavis | 2013-03-26 22:55

ヽ( ´ー`)ノ ~♪ 「さようなら、クールベさん!」 (´゜,_ゝ゜) 「オーヴォワーゥ、アシウージ!」

村内美術館を代表する名作、クールベの「フラジェの樫の木」が4億5千万円余でフランスの
クールベ美術館に売却されることになったようです。

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                クールベ「フラジェの樫の木」、89×111cm、1964年

村内美術館、なんだかんだで7~8回は行ってるかな~。なかなか居心地の良い美術館ですよね。
もっとも村内美術館が目当てだったのは最初とリニューアルオープンの時くらいで、他は東京富士美術館に行ったついでに、というのが多かったですが...いや、でも二館あるから遥々八王子まで行く気になるんですよ~帰りはいつも村内の送迎バスにお世話になりましたし。☆(*^_^*) 謝々。

今回も学会美術館のアーモリーショー展いつまでだろ?って検索してたら、ついでに見た村内美術館のホームページに曰く、「フラジェの樫の木」は故郷に戻ることになりました、って!?
はぁ??よりによってあの「フラジェの樫の木」が??
 (より詳細な情報は”美術展命の男のブログ”さんのページが詳しいのでそちらを参照して下さい)


初めて村内美術館へ行ったときは、家具店の中という恵まれない環境(失礼!)にもかかわらず、ホントに19世紀のフランスの田舎を巡っているような不思議な感覚に陥ったのに驚いたものです。
美術館であんな気分になったのは後にも先にもその時ぐらい...その頃は展示品もバルビゾン派の佳作に限られていてコレクションに統一感があったからかも知れません。
 (人がほとんど入ってなかったてのもあるね...)。

その後次第に印象派などのコレクションが増えていくのにつれて(勿論美術館的には目出度いことなんでしょうが)、そうした時代を髣髴とさせる雰囲気のようなものは薄まっていった気がします。
ですから10年位前から、モネやピカソ、マネなんかをポロポロ手放し始めた時にも(途中でクールベのシヨン城を買ったりしたこともあって)それほど残念とか心配する気持ちにはなりませんでした。。

それが今回は「フラジェの樫の木」ですよ!!
個人的に好きな絵ということで言えば、同じくクールベの「ポドスカーフに乗る女」やコローの「ヴィル・ダヴレーのカバスュ邸」の方に心が傾きます...けれどもこの「フラジェの樫の木」はまさに村内美術館の魂とも言うべき作品じゃないですか!これがあることがどれだけ館の声価を高めコレクションに千金の重みを与えているか分りません。。

しかしまぁクリスティーズに出したマネの「芍薬」が10億円超で落札されてまだ3年も経っていないのに看板のクールベ売んなきゃならないなんて大丈夫なんでしょうか?!(どう考えてもヤバいさぁ~)
館の運営資金を調達するなんていう段階はとっくに超えちゃってますよね~10億あれば村内程度の館なら20年は余裕で運営できるはず...明らかに本業の損失を埋めるための売却としか思えません...
多摩地域の雄として君臨してきた村内ファニチャーアクセスも真向かいにできたニ×リのお値段以上攻撃には膝を屈せざるを得ないということですか?!(ニ×リさんもやり方がエグいわ!)

我が国ではあまりにも美術館の存亡が激しいので閉館した時にがっかりしないように、コレクターが亡くなってしばらくしても大丈夫なのを確認するまではホントの美術館じゃなくてお金持ちの私物を好意で見せてもらってるだけだ、と思うことにしてるんですけど、村内くらい親しんだ館が無くなるのはやはり残念ですね(いやいや、まだ無くなってませんし村内さんもご健在です...ヾ(^-^;) スマヌ)。。
村内道昌氏が優れた収集家であることは、手放した作品が皆入手時より大幅に高値で取引されていることでも分りますが(今回のクールベも1987年に5849万円(42万ドル)で入手したものです)、背に腹は替えられないということなのでしょう。。私が行った時も3回に1回位は美術館でうろちょろされてるのを見かけましたから本当に絵が好きで美術館にも愛着を持ってらしたのだと思いますが...

b0283699_22124364.jpgしかし樫の木も八王子の家具屋さんに収まっているよりも故郷近くの立派な美術館に里帰りした方が幸せなのかも知れん。
90年余りフィラデルフィアに、25年ほどハチオウジに移植されてましたからガリアの地に戻るのは久しぶりですね。
まだ村内美術館行ったことないって人は今のうちかもよ。

個人的なお勧めはブーグローの肖像画。
ブーグローと言えば少女や母子を肖像画っぽく描いた風俗画や官能的な神話画が良く知られていますが、実はマジメな肖像画が一番レベルが高い。
風俗画ではどうしても19世紀的な甘ったるい通俗性が鼻に付く画家ですが、肖像画では直接的にはアングル、遡れば今西美でやってるラファエロの最後の直系と言っていい見事な技法が素直に堪能できます。。
え?これは確かにあるんでしょうねって?そこら辺は自己責任で確認して下さいな..

W.A.ブーグロー「モントロン伯爵夫人の肖像」、111×76cm、1864年
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by brevgarydavis | 2013-03-19 09:13

美術史の小窓 その8 ”こっ、このお札でもやってもらえませんか?”―1枚で2度美味しい石山切の巻―

いや~ベーコン展良かったですよ!やっぱまとめて見ると違いますね。
あんな上手で器用な画家だとは思ってなかったわー。没後作品が高騰してるのも分ります。。
意外と破天荒さには欠けますが、欧米のお金持ちにはあれ位のsmartな酸味がちょうどいいのかも。
ただ作品数が少なすぎるぜよ!腹六分目くらいで終わっちゃう感じですな (/´θ`)/ ベーコンダケニハラヘッタ。

で、今日はベーコンの話じゃなくって、この前山種美術館で見た石山切の話。
って今ネットで確認したら前期で展示終わっちゃってるし...
まぁ色んなところに所蔵されてて時々見かける作品なのでお付き合い下さい。m(。・ω・。)m。

このネタは話の都合上、お隣中国の宋元版から説き起こさねばなりませぬ(長くなりそ...)。

宋元版というのは宋(960-1279)や元(1271-1368)の時代に出版された本のこと。
その画期的な点は 巻物→冊子本へ 写本→印刷本へ という
東洋の書物にとって革命ともいうべき二大変化が起きたことです。

いや、正確にいうとそれらの変化は唐の後期、8~9世紀には既に始まっていました。
冊子本というなら仁和寺に空海等の筆にかかる「三十帖冊子」(804-806年頃)という本があり、
敦煌からは年代不詳ながらそれより古いと推定される冊子本も発見されています。
 (ただしこれらは印刷ではなく手書きの写本)。
印刷本というなら日本の「百万塔陀羅尼」(770年)や敦煌出土の「金剛経」(868年)があります。
 (ただしこれらは巻物)。
冊子本でかつ印刷本という書物もそのころから存在していたと思われますが、
現存例の出現は北宋も終わり頃まで待たなければなりません。
中国では宋代以降書物の形態は一変し、本といえば印刷された冊子本が当たり前になりました。
 (日本では違います)。
唐後期~五代という過渡期の遺品が極めて少ないこともあって、ザックリ言うと「唐代までの手書き巻子本の時代」から「宋代以後の印刷冊子本の時代」、という捉え方ができるわけですね。。

で今日は宋元版に関して何が言いたかったかというと、宋元版は胡蝶装(粘葉装)で
あった、ということなんです。

b0283699_0335919.jpg昔の和本とか漢籍というと紙を二つに折って糸で袋綴じにした装丁を思い浮かべますよね。左の『通典』の例でいうと普通右側に四ヶ所穴を開けて糸で括って1冊の本にします。。でもこれは最近数百年の比較的新しい装丁方法なんです。
実は元時代までは糸ではなく糊でくっ付ける”胡蝶装”という装丁が行われていました。
袋綴じの場合は字の書いてある面を山折にするので袋の中の見えない側に白紙の面が来ますが、胡蝶装の場合は逆に字の面を谷折にして白紙側の折目の所に細く糊をつけて前後の紙と貼り付けていきます。チョウチョの胴体の側面に糊をつけて何頭もくっ付けていくイメージですね(そうすると字が書いてある見開きと白紙の見開きが交互にくることになります)。
ただこの胡蝶装には糊が剥がれてバラバラになり易いという欠点がありました。そのため後の時代にほとんどが糸でしっかり綴じる袋綴じに改装されてしまっています。
左の『通典』、実は胡蝶装の原装頁を多く残す極めて稀な例なんです。

『通典』(存36冊の内)、南宋刊・元修、天理図書館蔵

上の図版でも左端に細く付けた裏の糊が染みた跡が見えますよね(1丁の紙の右半分しか写ってないのでちょっと想像しにくいですが、左が版心側、右がパラパラめくる側です。袋綴じとは逆ですね)。
宋元版はお経を除いてもざっと5000点位は現存するでしょうが(大陸に7割弱、日本・台湾に各15%、欧米に若干という感じです)、この『通典』のように原装を残しているものは数十点もないと思います。
鎌倉後期から室町初期にかけて宋元版を真似して日本で出版された五山版も本来は胡蝶装でしたが、こちらも原装を残すものはごくわずかしかありません(東北大本『景徳伝燈録』など)。

で、実は五山版のような漢籍だけでなく平安~室町の頃の和書でも同じく糊付けによる冊子本の装丁が普通に行われていました。これを粘葉装(デッチョウソウ)といいます。
粘葉装と胡蝶装、区別せずに使われることも多いんですが、以下に述べるような違いがあるので和書の場合は粘葉装、宋元版や五山版の場合は胡蝶装と使い分けた方が良いと個人的には思います。

違いの一つは和書は手書きの写本なのに対して、宋元版などは印刷本であること。
さらに宋元版・五山版では必ず片面にしか印刷されませんが、和書では裏にも書写(両面書写と言います)されている場合が多いこと。。
これは宋元版は紙が非常に薄くて透けてしまうため両面印刷が不可能なのに対し(ただし改装の際に別紙を裏打ちされた結果一見薄く見えないもの多し)、和書は紙が厚いので可能なことです。
さらにこれと関連して和書では大抵糊付けの幅が広く(1cm位)、糊代の部分に折目が付いていることが多いのも重要な相違点。宋元版では糊付けされているページは白紙の見開きになるので開く必要がありませんが、両面書写の和書では読むために開く必要があるので、ある程度丈夫、かつ余計な力が接着面にかからないようにするためだと思われます。
結果耐久性があったのか宋元版・五山版に較べれば改装されずに原装を残すものが多いようです。
また改装するにしても、両面書写本の場合袋綴じにしてしまっては裏面の文字が見えなくなるため、紙の真ん中で糸綴じする綴葉装(テツヨウソウ)という装丁が用いられます(今のノートと同じ綴じ方ですね)。


それでようやく本題。。件の石山切も元々は粘葉装の両面書写本だったんですわ。

b0283699_15531514.jpg石山切に関してはWikipediaの「西本願寺本三十六人家集」のページが良くできているので詳細は省きますが、西本願寺が所蔵していた『三十六人家集』39冊(1112年の白河法皇の還暦祝いに贈られたものという説が有力)の中から宗教女子大学設立の資金を得るため昭和4年に「貫之集下」「伊勢集」の2冊を解体して古筆切とし石山切と名付けて好事家に売り出したものです。

金銀箔や砂子、雲母刷り、墨流し、彩色下絵、破り継ぎ、重ね継ぎなど善美を尽した料紙に当時を代表する能筆20人が和歌を認ためたまさに王朝の美意識を体現する珠玉の冊子本(片手に載るようなホントちっちゃい本ですけどね)。。たちまち多くのコレクターの求むるところとなり、掛軸となって床の間を飾ることとなりました。


     石山切(伊勢集)、20×16cm、梅沢記念館蔵

「貫之集下」は43枚、「伊勢集」は48枚、1枚当り見開き2頁×裏表で4ページありますからこの小さな2冊の本から最大でなんと364本もの掛軸ができることになります(実際には見開き2頁分のまま軸装されたものなども結構ありますからそこまではいきません)。

でも皆さん、あれっ?って思いませんでしたか?
石山切は先に述べた通り両面書写の本のはず...掛軸にしたら裏の字が見えなくなるのでは??
私も長い間疑問だったんですよー。まさか1枚の紙を2枚に剥いじゃうってことはないよねー。

と、思ったら...そのまさかなんですわ~!!∑( ̄ロ ̄|||)really!?

だって普通の紙ならまぁ分かりますよ、和紙ってのはよくテレビとかで見るように水の中で何度かチャッチャッって漉き重ねてますもんね。自然に層が出来てるはず。。悪い人が1枚の水墨画から合い剥ぎで2枚の絵を造っちゃうなんて話も聞きます。

でも上の石山切を見て下さい!何枚かの色違いの紙を継いで一枚の料紙にしてるんですよ!特に右上・右下の紙のつなぎ目がそれぞれグラデーションになってるのが分かりますか?これは細く破いた色変りの紙を何枚か丁寧に繋いでいく重ね継ぎという技法。。
これどうやって2枚に剥ぎますのん?一遍にやろうとしたら絶対ビリッって行きますやん?一回全部解体してからそれぞれ2枚に剥がして再びくっ付けんのかな?未だに謎だらけだわ~!!

美術館でいくら見てもこういうのは分かりませんね~。
以前詳しそうな人に聞いたら「出来てるんだからどうにかすりゃ出来るんだろうな~」とのこと...
分かっとるわ!そんなことは!!
他の人もこんな細かいことはあんまり興味なさそうでした...(悲)。

実は石山切には2枚に剥がさずに上手く窓の中に嵌め込むように表装して、表裏リバーシブルに鑑賞できるようにしたものもあります。
例えば湯木美術館のコレ。。
b0283699_083738.jpgb0283699_04827.jpg
(表面)                           (裏面)
あれっ?...(表面の向かって)右部分は裏表対応してるような気がするけど、左は明らかに違う...
対応してる方も単純に裏表同じ色じゃないですね。。重ね継ぎの部分がそれぞれずれてるからか...
じゃその部分は細く切ってるじゃなくて4枚も5枚も厚く紙重ねてるってこと?...
うーん、図版見てあれこれ空想してもしゃーないですね。。
頼むからだれか説明してくれ~ヘ(*′Д`)ノ゛ helр me! !。。

自分で買って実物確かめられればいいんですが、宋版も石山切もフェラーリくらいするんですよ~。。
自転車も持ってないのにムリだわ...

しかし考えて見ると...三十六人集全部解体したらフェラーリ数千台分になるな...
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by brevgarydavis | 2013-03-16 23:02

奇態(extravagante)の系譜 ―エル・グレコ展―

はぁー花粉症でなんもする気がしまへん( ̄。 ̄)ボ~~~~ッ。
家帰ってもビール飲んでテレビ見ながらゴロゴロ...あっ、それはいつもと同じか(爆)。。

エル・グレコ展、会田誠展、白隠展、クラークコレクション展、ラファエロ展等々どれも充実した展覧会で楽しめましたが、特に花粉症を押してまで書きたいこともないしな~でもせっかく荷物の山の後から昔の図録引っ張り出したのでEl Grecoに関して心に浮かぶ由なし事など、未整理のまま二つ,三つ。

今回の展覧会、51点の油彩画が集結する「日本で開かれたエル・グレコ展で過去最大規模」っていうのが謳い文句ですが、そもそもグレコ展は日本じゃ1986年の1回しか開催されてませんしその時も油彩49点来てるからあんまり変わんないよね...(どちらも1点グレコ(工房)以外の作品あり)。
美術史的に興味深い作品はいくつか来てますけど、むしろ前回の方がグレコらしいドラマチックな一般受けする絵は多かったような気がします。大型作品も多かったしなぁ。。
でも昼下がりに山手線でこれだけのグレコ作品を見に行けるのは確かにありがたいこと。。
昨年度から始まった美術品補償制度のおかげかな、と思ったらこの展覧会は適用受けてないみたい。
なんで??
前回と重複してるのはざっと数えた限りでは11点。

パルマの作品は洗浄しましたな。。
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 「盲人を癒すキリスト」、50×61cm、c.1571-72、パルマ国立美術館蔵   (左)1986年→(右)2012年

エル・グレコの場合、美術史的に最大の問題点は次の二つ (モチロン私がそう思ってるだけですが…)

A. エストラバガンテと評される彼独自の画風は一体何に由来するのか。
B. 多くのレプリカやヴァージョンを整理してその工房活動の実態を明らかにすること。

Aに関しては(あ、”extravagante”ってのは「一線を越えて向こう側で彷徨っちゃってる」という意味で17世紀以来グレコの絵を語る時の常套句です)、
ビザンティン美術やイタリア・マニエリスムの影響を探るものから、当時の神秘主義的思想を持った
パトロンたちの意向、あるいは画家の狂気や乱視(!)にその特異な画風のルーツがあるとする
ものまで様々な説が出されました。

近年の研究の進展によって、今では眼やオツムがヘンだったなんて説は完全に否定されていて、
むしろグレコは極めて理性的かつ高い教養を持った画家だったというのが定説になっています。
(それを証拠立てたのが彼自身の大量の書き込みのある『建築十書』と『芸術家列伝』の発見。
前者は今回展、1986年展の両方に解説を寄せているマリーアス氏らがマドリードの図書館で、後者は
プラドの館長などを務めた故サラス氏がロンドンの古書店でたまたま(!)発見したものです。書き込み
のスペイン語はちょっと怪しいらしいですが、その内容は彼の画風が宗教的情熱の産物などではなく独自の美学に基づいて周到に計算されたものだったことを示している、らしいです。読んだ事ないけどさ)。

もう一つ、近年の大きな成果はギリシャ時代の作品がかなり発見されたことですね。
いまだ帰属に賛否のある作品が多いですが十数点にも達していて、イタリアに渡る以前にも地元ではそれなりに人気のある画家だったのでしょう。


で、実は私がオールドマスターズの個展行くときいつも一番楽しみにしてるのがBの工房問題。。
なんとか鑑定団みたいに本物かニセモノかとか考えるのは楽しいですよね~(まぁ展覧会には真っ赤な偽物はまず出ませんが...)。。以前は展覧会行く前にワザワザ画集とかで確認したいところ予習して行ってたもんです(昔はマジメだったな~)。

例えば、下は左が有名なトレド大聖堂の「聖衣剥奪」(①285×173cm、1579年)、真ん中が今回来ているサント・トメ教区聖堂のもの(②75×43cm)、右が86年展で来ていた個人蔵の作品(③56×32cm)。

もちろん発注の記録も残っている①がオリジナルですが、他の同図様のものは、グレコ自身によるレプリカ、工房によるレプリカ、あるいは①のための習作、はたまたグレコ工房とは関係ない人物によるコピーや贋作など様々な可能性があります(「聖衣剥奪」も上半分だけの図まで含めると20点近いレプリカが知られています)。

③は上方の空間が広く取られていることを除けばオリジナルにごく忠実な質の高い縮小作品(これと極めて良く似た作品が英国のアプトンハウスにあります)。
こうした小さくて質の高い作品については、F.パチェーコが1611年にグレコの工房を訪ねた時に見せられたという「小さめの画布に油絵の、彼の生涯に描いてきたものすべてについてのオリジナル」という記述との関連が問題になりますが、現在残っている作品から判断する限りでは”オリジナル”といっても習作的なものではなく、工房制作に備えたグレコ自身による縮小レプリカであったと考えるのが妥当でしょう。③はそうした”オリジナル”の一つである可能性もあります。
真ん中の②はこれだけで見るとドラマティックで魅力的な作品ですが、一部のドレープの筆致のぎこちなさや強めの白のハイライトの付け方などが①との隔たりを感じさせます。制作年が下るからというよりはやはりグレコとは別の手による工房作と判断した方が良さそうです。。
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日本人として興味があるのは、やはり大原美術館の「受胎告知」が真筆かどうかということ。

下は左から④トレド美術館旧蔵(2007年のオークションで売却,418万4千$)、⑤ブダペスト美術館所蔵、⑥大原美術館所蔵の「受胎告知」3点(サンパウロ美術館にも似た作品があります)。
 (前回は⑤,⑥が展示されましたが、今回はこれらの展示はありません)
ウェセイは1962年のカタログレゾネで④をグレコ自筆、⑤,⑥を工房作と位置付けて日本のグレコファンに衝撃を与えました(ただしこれらは写真を見ただけでの判断とのことで1967年西語版では3作とも保留気味ながら真筆扱い)。
さて、皆さんはどう思われますか?
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個人的にはウェセイの最初の見解が比較的真実に近いかな~と。。
④はスケッチっぽく書き流した感じでマリアの顔などいかにも弱く見えますが、マリアの手や青のローブには素早い刷毛目のような筆致がそのままテクスチャアや立体感の表現となっているグレコの特徴が良く出ていて本人がサッと作った書き込み不足の作品のように見えます(サザビーズのestimateも確か60-80万ドルと中途半端な評価額でした...)。
⑤は一番しっかり書き込まれていて鮮明な色使いもあり見栄えがしますが、所々硬いのが難点。マリアとガブリエルとの距離は適切で一番緊張感があります(トレドは狭すぎ、大原は広すぎ)。
⑥は暗さ、重さが目立ち、これまでも言われてきたようにグレコの息子のホルヘ・マヌエルによって仕上げられたってのはイイところついてるかも。。
⑤,⑥はグレコ以外の手が入っているのは間違いないと思いますけど、だからといってダメな作品では全然ありません(⑤,⑥の方が④より高い評価額が付く可能性は十分にあります)。
グレコのような画家の場合は代表作でさえ多くは工房の協力のもとに作られてる訳であって、仕上げた人物と絵画的な質の高さとは個別の作品ごとに分析・評価される必要があります(グレコ工房で息子のホルヘ以外に名前が分ってるのはF.プレボステとL.トリスタン位ですが...)
まぁ、専門家がちゃんとした研究出す前こそ、素人があーでもないこーでもないと勝手なこと言えて楽しいのでございますわ~。。
皆さんも例えば白いハイライトの筆致に注目してグレコ展見るなんてのもお薦めですよ。
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前近代の画家の真筆性の判断というのは昔テキトーだった反動もあって、西洋でも日本でも20世紀の中頃からしばらくキビシクなり過ぎた印象があります。ひとつには芸術作品は個人の産物だという近代以降の意識が投影された面もあるのでしょう。
最近は工房の実態をできるだけ正確に把握して、プロデューサーとしての役割も含めた画家の画業の全体像を捉えようという研究が主流になってきたのは大変良いことですね。魅力的な工房作もたくさんあることだしさ。。まだ行ってないけどBunkamuraのルーベンス展もそういう展覧会だと期待してます。

はぁ~しかしwbc見ながら1時間位で書こうと思ってたらなんだか堅い話になってしもた...言いたかったのはOld Mastersの個展(狩野派なんかもですね)は画家の個性が表れる細かいとこ見比べながらウロチョロすると楽しいよ、ってだけなんですが...
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by brevgarydavis | 2013-03-07 14:00