乾隆帝のお宝?? 美術史の小窓 その4

白金にある松岡美術館に行ってきましたよ。

松岡美術館と言えば、まぁ目玉は中国陶磁、加えて近代日本画もインド彫刻もありーの、
 出せと言われりゃミイラでもモネでも何でも出しまっせ~ って感じの美術館。。
 
日本の他の古美術系の美術館とは一味も二味も違った品揃えで、
 実は昔から大好きな美術館のひとつ。。
新橋にあった頃は、出光のあと歩いて松岡、ってのが個人的な定番でした。

移転してからは専門の展示室が出来たせいか、日本や中国の古い絵を展示する機会が
 増えたような気がします。。
でもブログだから正直に書いちゃいますが、、その手の古い絵に関しては玉石混淆と申しませうか、、
 特に中国絵画は、え?あ??う~ん、みたいな作品が多かったのも事実。。
  (まぁそうしたキュレーションのゆるさも魅力の一つだったんですけどね...)

そんなわけですっかり油断していたところに、陶磁器の展示室で呂紀の「薔薇図巻」を発見。

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            呂紀 「薔薇図巻」(部分)、32×261cm、15-16c、松岡美術館蔵

あれっ?松岡にこんなのあったっけ?というのと
呂紀と言えばちょっと浙派っぽい筆致の大幅花鳥画っていうイメージだったので
こんなやわらかい繊細な絵も描くんだ~、ていうので二重にビックリ。。

ほぉーと熱心に覗きこんでると、一緒に行った子が横から 「ひぇー、乾隆帝のお宝なんだ~」と発言。。

b0283699_22105641.jpgそう、館の解説でも「乾隆御覧之宝」「嘉慶御覧之宝」「宣統御覧之宝」
っていう三つの印影に
(矢印) 
まで付けて清朝内府旧蔵品ってのを強調してたんですよー。。

(左の印影は「薔薇図巻」のものではありません。。松岡美術館は最近撮影OKになってありがたいんですが、さすがにガラス越しでは印まではうまく写らないんで他所から同じハンコを持って来ました)

なるほど「~之宝」ってハンコ押してるんだから皇帝のお宝だぁ~って思うのも無理ありませんよね。。
  
美術館で人に説明するのがキライな私は「あーそうねー」って流しちゃいましたけど、
ん~、ビミョーに誤解があるような気が...

実は「~之宝」の宝ってのは宝物の意味じゃなくて、皇帝のハンコって意味なんですよ。知ってた?
普通皇帝のハンコには「璽」っていう字を使います。天皇玉璽とかね。。
でも清代には「璽」の代わりに「宝」の字を使うのが流行ったんです。
これ、もともとの起源は唐の女帝、則天武后。。

『新唐書』「車服志」に曰く 「武后諸璽を改めて宝と為す。中宗即位して復た璽と為す」 と。。

則天武后と言えば、中国史上唯一の女帝にしてなんでも自分流に変えないと気の済まない困った女。。
       (私は勝手に田中真紀子先生をイメージしております)
いわゆる則天文字を創ったり、(水戸黄門光圀の圀の字だけが現在でも有名)
皇帝というのをやめて天皇にしたり、(日本の天皇号はこれを真似したという説もあります)
倭国がこれからは日本て呼んで欲しいって言ってるから日本って呼んでやることに決めたり、、
一方では白村江で百済と倭の連合軍をこてんぱんにやっつけたりしたのも武則天。。

こうしてみるとなにげに我が国とも縁の浅からぬ女。。
なんで彼女が璽を宝に変えようと思ったのか知りませんが、
大方とりまきの道士あたりがもっともらしい理由を付けて勧めたんでしょう。。
皇帝を天皇にしちゃう位だから、ハンコも新しいのにするなんてのは当たり前なのかも。。

私はてっきりこうした復古主義的な文字の使用法は、
満洲族の圧迫を受けて風前の灯だった明の漢人たちが
唐朝の栄光を懐かしんでちょっと誤解まじりに使い始めたのかなー
(徳川光圀の圀も亡命明人朱舜水の助言によるという説が有力)、
と思ってましたが、

パラパラとモノの本を捲ってみると、
 南宋の高宗にも「御書之宝」という印があり、
 元の文宗にも「天暦之宝」「奎章閣宝」、明の宣徳帝にも「広運之宝」という印があるなど
あれっ?昔から結構「宝」の字、使われてるじゃん( ̄□ ̄;)

危ない危ない。。又うそをつくところでしたよ...

ただし台北の故宮なら千件単位、日本だけでも数十件は捺されてる作品があるであろう
「乾隆御覧之宝」などの清の皇帝の印に比べて、
上記の印は故宮以外ではほとんど見る機会はありません。

日本の美術館でもしも「宝」の字を使った皇帝のハンコを見つけたら、
武則天から田中大臣に至る日中の長ーい友好と確執の歴史に思いを馳せるのも
また一興かと。。


呂紀の薔薇図巻が展示されている松岡美術館の展覧会
「カラフル*チャイナ」12月19日まで開催中ー!!
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# by brevgarydavis | 2012-11-23 00:40

ついに曜変天目、中国で発見!!美術史の小窓 その3

その筋の人には今年2月、中国深圳博物館でのシンポジウムで公表された時から
話題になっていたようですが、
アンテナの感度が低くて『陶説』の11月号を見て仰天した次第...

そう、現存するのは世界でも日本に伝わる3碗のみと長いこと喧伝されてきた曜変天目茶碗が
とうとう 中国でも出土 したとのことです!!
発見されたのは杭州の南宋皇城北門跡地付近とのこと。。窯跡ではなく消費地での発見。

すでに専修大学や大阪市立東洋陶磁美術館で水上和則氏や小林仁氏による講演も行われました。。

曜変天目といえば唐物茶碗の最高峰として
『君台観左右帳記』にも「曜変。建盞の内の無上也。天下におほからぬ物なり。萬匹のものにてそろ」
と記述されているお宝中のお宝。
静嘉堂文庫美術館、藤田美術館、大徳寺龍光院にある3碗全てが国宝に指定されています。

侘茶全盛の時代にはちょっと流行から外れたような時期もありましたが、
大正7年の売立にいわゆる稲葉天目(静嘉堂文庫美術館のモノ)が登場して以来、、
再び最も高名な茶道具の一つとなりました。。
(なぜかNHKとか好きですよねーキラキラしてテレビ映りが好いからかな~)

その曜変天目最大のナゾの一つが、なぜ日本にしか伝来しなかったのかということ。
それがこのたび、大破しているとはいえ
稲葉天目に勝るとも劣らない見事な耀変を示す一例が皇城付近で見つかったことによって
南宋の宮廷でも確かにこの茶碗の輝きは歎賞されていたのだということが分りました。

それがなぜ他の南宋文物のようには伝世することがなかったんでしょうか?
残すべきものと見做されなかったのか、あるいは稀少すぎて残らなかったのか、
それならなんで日本には3碗もあるのか?
日本に将来されたのは南宋滅亡前なのか後なのか(まぁ普通に考えれば後だろうな~)、
他の南宋官窯の青磁や宮廷絵画の優品の将来と同時期・同ルートと考えてよいのかどうか?
等々...謎は深まるばかりです!!

今回の出土品の画像は載せられませんが、稲葉天目の画像だけでもUploadしておきますよ。
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(「曜変天目 発見 中国」 で画像検索すると見られるかも?)  
残念ながら、もう削除されたみたいですね(2013年1月6日現在)。。
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# by brevgarydavis | 2012-11-16 21:53

ここ惚れ ワンワン! my treasure その3 ”へそピカ将軍”の巻

それまではタヌキのシャングリラとして知られていた信楽の山奥に、
突如 MIHO MUSEUM が出現したのはポンポコ9年、もとい平成9年のこと。。
そのあまりの珍宝満載ぶりに日本のみならず世界中の古代美術ファンが腰を抜かしました(◎-◎;)。
私も初めて行った時は完全に化かされてるのかと思っちゃいましたよ!!

紹介したい文化財は山ほどあるのですが、、
まずはこれなぞ。。
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               ① 金製帯鉤、L.9.5cm、漢時代、MIHO MUSEUM蔵

実はこれにそっくりな作品がお隣の韓国にもあるんです。。
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      ② 金製鉸具(平壌石巌里第9号墳出土)、L.9.4cm、B.C.1c、韓国国立中央博物館蔵

これだけじゃないぜ!もう一丁!
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    ③ 金製帯金具(焉耆回族自治県ジングダ墓地出土)、L.9.6cm、1-2c、新疆ウイグル自治区博物館

まだまだ行きますよっ!!さらーにもう一丁!!
 .
 .
 .
あ、、いや、すいません ...もう一つ本当にあるんですが、画像持ってないんですよぅ( ̄ω ̄;) ...


私がもともと知ってたのは②。。
これはピョンヤンの楽浪漢墓から1916年に出土し、現在韓国の国宝89号にも指定されている
古くから大変有名な品。。

それがMIHOの展覧会行ったら同じものが展示されてるじゃないですか~!?
えっ、もしかして韓国から盗っ...いや、まさかね?借りてきたのかな??
図録見たら謎が判明。
楽浪郡、新疆ウイグル自治区、雲南省から出土したものと出土地不詳のMIHOのものと
世界に4つよく似たものが知られてるんだそうです。。
なるほどな~残り二つも見たいな~と思っていたら、2002年のシルクロード展で③に遭遇!
 (それぞれの色調の違いは多分撮影・印刷の加減です)

それにしても、見事な粒金細工だと思いませんか?

粒金細工と言えばエトルリアなんかが有名ですが、それら西の方で作られたものは
規則正しく理知的な印象を与えるある意味単純なデザインのモノがほとんど。。

それに対してこれは大龍と多くの小龍が自在に絡み合って古代中国特有の生命感を持った曲線を
形作るという複雑極まりない意匠。。それが金線と粒金で完璧に表現されています。
ところどころに置かれた涙形のトルコ石も色彩的なアクセントとして効いてますよねー。。
 (デコ電作ってるギャル職人の皆さん!!上には上がありますよ~精進精進!!)

しかしこうして並べてみると素人目にも①と②は全く同じ時期に同じ工房で作られたモノにしか
見えませんが、
③は①、②の大きな見所である微妙に大きさをグラデーションさせた粒を並べて表現された龍の背
が無いなど、ちょっと作行きが劣るような気がします。。
 (写真だけで判断すべきではないんですけどね。。)
上の写真の下に付けたキャプションはそれぞれの図録の解説を写しただけなので
その時代判定がどの程度信用できるのか分りませんが、③は①、②よりかなり時代が降るのかも
知れません。

それにしてもこんな立派なバックル、一体誰が付けてたんでしょうか??
 (もっとも金製で華奢な出来なので実用品ではなく、生前は大事にしまっておいて、
  亡くなった時に一緒に副葬されたものと思われます。)

興味深いのはその出土地。。
出土地不詳のMIHOのものを除けば、楽浪郡、新疆、雲南省といずれも漢帝国の版図ギリギリに
位置する辺境の地。
そうした地によく似たこれだけの高級品があるということは、中央の工房で作られたものが
何らかの特別な意図を持ってそれぞれの地に贈られたと考えるのが妥当でしょう。
有名な金印のように、漢の皇帝から地位や勲功の証しとしてそれぞれの地に下賜されたもの
なのでしょうが、私の貧弱な中国史の知識ではマトモな仮説を出すのはもとより不可能。。

普通に考えればそれぞれの郡の太守あたりに贈られた可能性が大なのかな~
でも私は、辺境の地とバックル、というのがなんとなく武官的な感じがするので、、
 (漢時代だと文官はベルトじゃなく帯を締めてたような気がすんのよね~、根拠ないけど...)
それぞれの地を平定するのに勲功があった将軍のような人物に贈られたものと妄想しています。。

司馬さんや宮城谷さんならこれだけで長編小説くらい書けそうですが、
その手の想像力を決定的に欠いている私でも
じぃーっと黙ってガラスケースを覗き込んでると、
 背中を丸めて細工に打ち込む職人の様子や、
 それを皇帝の命を受けてしずしずと何千キロも運んできた使者たち、
 柩の中でこの世への最後の名残とばかりにピカピカ輝く将軍のヘソの辺りなどが彷彿として、
本の中でしか知らない李陵や霍去病、王昭君や張騫といったヒーローヒロインたちも
現実の体を持って生きた人達なんだなぁという実感がチョロチョロと湧いてくるんですよ~。。

それにしても、我が国では村の寄り合いで銅鐸カンカン叩いて喜んでた時代に、

朝鮮半島から雲南省まで満天下を実際に統治していた漢王朝、すご過ぎです!!

現在この作品は展示されていませんが、
それに勝るとも劣らない「中国王朝の至宝」を山ほど展示している展覧会が
東京国立博物館で開催中です。。
12月24日まで、神戸・名古屋・福岡にも巡回しますよ!)
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# by brevgarydavis | 2012-11-15 21:01

探訪・セゾン現代美術館 (長野県軽井沢町)

本当に、本当に久しぶりに軽井沢にあるセゾン現代美術館に行ってきました。

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少しだけ建物の古びた、かつてと同じ美術館がそこにはありました。

もともと
池袋が企画展を担当し、
軽井沢がコレクションを収蔵するという
両輪で活動を展開していた美術館。
池袋のセゾン美術館はすでになく、おそらくはこの館の収集活動も停滞しているのでしょう。

セゾン文化の一翼を担って一つの時代を作った美術館が、
バブル後の長い残照を静かに耐えているようにも見えました。


軽井沢と西武との関係は昨日今日のことではありません。
大正7年、早大を出て間もない堤康次郎が借金をして軽井沢に広大な土地を買ったことが
外国人の避暑地だった軽井沢が日本人の別荘地になるきっかけともなり、
後の西武が大を成すきっかけともなりました。
かつては西武秩父線を軽井沢まで延伸するという計画もあったと言います。

昔の静かな軽井沢が懐かしいという人も、昨今のアウトレットモールが目当ての人も、

私のように軽井沢と言えば、
ジョンレノンが訪れた喫茶店があるとか
マン・レイやジャスパー・ジョーンズが展示された美術館があるとかいうことが
なんだかとっても格好良く思えた時代を思いおこす人も

結局西武によって誂えられた舞台の上で遊んでいただけなののかも知れません。


今回セゾン現代美術館に行きたくなったのは
一つには一昨年の展覧会「遭遇、カオスにて いつの過去もかつては未来だった」
において以前から見たかった作品が展示されていたのを知ったから。。

それは遼三彩の羅漢像(今回展示されている訳ではありません)。。
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セゾン現代美術館はあまり知られてませんが、
多くの日本画や古美術も収蔵しています。
もともと堤康次郎が設立した高輪美術館
(今のエプソン品川アクアスタジアムの辺に
ありました)が前身だったためです。
私はそれらはほとんど展示されない幻の
コレクションだと勝手に思い込んでましたが、
過去の展覧会の記録を見ると
時には展示されることもあったようです。

分かったような気になっている美術館も
時々は再訪しなければ、と思った次第。

(この羅漢像については長くなりそうなので
 又機会を改めて書くとして)


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もう一つ行くきっかけになったのが
今年の四月にここで収蔵していた「大黒天立像」が
文化庁に売却(2億2890万円)されたという記事を
読んだこと。

美術館が収蔵品を国や他の美術館に売却することは
そんなに珍しいことではありませんが、
なんとなく胸騒ぎが...(ゾワゾワ)

今のうちにロスコやキーファーをもう一度
見ておかなければ..という根拠のない焦燥に
突き動かされて一日を割くことになりました..
(行ってみたら杞憂のようでした(ー。ー)フゥ)

(この大黒天立像もとても興味深い作品なので
 また機会を改めて書きます)




今回の軽井沢訪問、またしても沓掛時次郎饅頭は売り切れで(x_x;)、
おみやげに買ってくると宣言した周りの人たちに禍根を残すこととなりました。


セゾン現代美術館は11月26日から冬季休館に入り
再開するのは来年の四月中旬からです。。


http://www.amazon.co.jp/%E3%82%BB%E3%82%BE%E3%83%B3%E6%96%87%E5%8C%96%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%82%92%E5%A4%A2%E3%81%BF%E3%81%9F-%E6%B0%B8%E6%B1%9F-%E6%9C%97/dp/4022505389
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# by brevgarydavis | 2012-11-12 02:49

美術史の小窓 その2 ―五島美術館で源氏観察―

美術好きの人には
  「いつかあの作品を見たいな~」、という夢があるでしょう。。
美術史好きの人には
  「いつかあの作品とあの作品を並べて見たいな~」、という夢があるんです!!

そんな私の夢のコラボがちょっとだけ実現している今回の展覧会。

それはかの有名な「源氏物語絵巻」とそこまで有名ではない「久能寺経」。。


作品を並べて見比べる、それだけで分ってくることが沢山あります。

  なんで似てる部分があるんだろう?
     作者が同じだから?どっちかがどっちかを真似したから?なんか共通のタネ本があるから?
  なんで違う部分があるんだろう?
     作者が違うから?時代が違うから?本物と贋物だから?

そんなことを展覧会に行ったり、図録をひっくり返したりしながら飽きずにやってるのが美術史オタク。。
  嵌り出すとキリがないのよ、、ホントに...そんな暇があったら...イヤ、止めときましょう。。

今回の暇つぶしは
「源氏物語絵巻」はいつ頃作られたの?というギモン。

モノの本には12世紀頃作られたなんて書いてありますが、
もうちょっと限定できないもんかと色んな人が色んな説を出しているんです。

一般に美術品の制作年代を知るには
 
 ① 関連した歴史資料や奥書などに年記があれば直接的に年代を知ることができる。
 ② 様式的な流れから他の年代の分っている作品との比較によって間接的に年代を推測する。
 ③ 絵の場合、描かれている内容(建物や風俗など)によって年代を限定できる場合もある。
 ④ C14や年輪年代法などの科学的測定法を用いる。

といった方法がありますが、
「源氏」の場合、①のような資料はなく(注1)、③は過去の架空の物語を描いた絵だからナシ、
④も破壊を伴う検査は無理、ということで②の方法に頼らざるを得ません。

ではどの作品と比較すればいいんでしょうか??
絵巻じゃ一番古いっていうんだから較べる作品なんてあんまりないんじゃなの?とお思いのあなた、、

実は「源氏物語絵巻」の制作年代を考える上で決定的に重要な作品が二つあるんですよ!

それが「久能寺経」と「平家納経」という二つの装飾経。。
この二つは源氏に良く似ていて、しかも制作年代がはっきりしているというありがたい作品なんです。。
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 「久能寺経」薬草喩品、武藤家蔵
   (今回は展示されません)
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 「源氏物語絵巻」夕霧巻、五島美術館蔵
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 「平家納経」観普賢経、厳島神社蔵
   (今回は展示されません)











いずれの作品とも料紙には源氏と同じように切箔・野毛・砂子を散らして善美を尽くした紙を用い、
能筆の貴族が字を書き(お経なので漢字だけ なのは残念ですが)、
見返しには絵さえ付いてるんです(それも源氏と同じような引目鈎鼻の人物の場面もあります)
さらに3作品ともまず間違いなく同じ宮廷絵所で作られたということが重要。

奥書などから
 「久能寺経」は1141~42年頃、
 「平家納経」は1164~67年頃、
に作られたことが分っています。

そして問題の「源氏」は、
画風・書風・料紙装飾いずれも面から見ても
「久能寺経」と「平家納経」の間
と言われてるんですよ!!

そう言った人の代表が田中親美(1875-1975)。。
親美って誰って??

お~まいが~っど...親美翁を知らない人に翁(100歳まで生きた人なので翁が似合う人なんです)
をどう説明すればいいんでしょうか...
平安の古筆や絵巻の研究家、っていっても論文を書くような人ではないし...
益田鈍翁などの個人キュレーターみたいなことをしていたこともあり、、、
 (源氏や佐竹本三十六歌仙をバラバラに切り離したのも親美翁)
でもまぁ、一般的には一番有名なのは古経や絵巻の模本制作かな~

そう、親美翁はいま問題にしている「源氏」「久能寺」「平家」の全てについて、鈍翁や徳川さんから
頼まれて原本を数年脇において独りで完全コピーをなしとげたという前代未聞の人なんです。。
 (実際には写真版を見て制作し本物は時々参照するということだったらしいですが、、
  まぁそうですよね、、)

そんな人ですから、こと平安の古筆や絵巻の鑑識眼においては、自分は親美翁より上なんて言える人
は現代の研究者でもまずはいないはず。。

翁は後の述懐で、模本制作をしている最中に「源氏」は二つの間だな、と気付いたと言います。
論文にしてる訳じゃないので先取権は他の人にあるのかも知れませんが、
最初にこの3者の前後関係に着目したのは親美翁だろうと思います。

しかし、だ、いくらエライ人が言ったからって自分の眼で判断しなきゃ研究的態度とは言えませぬ。
そんな訳で不肖わたくしも、この三つを並べたところが見たいという夢を長らくもっていたんですよ。。
  (残念ながら未だ実現していませんが)
まぁそれでも「平家」が「源氏」より後だってのは図版で見ても明らかに分るんです。
が、「久能寺経」との前後はより微妙。。つまり「源氏」は「久能寺経」の時代により近い可能性が
高いってことでもあります。

だからせめて「源氏」「久能寺経」だけでも並べて見たい...
そこに今回のビッグチャンスが!!
なにしろ「源氏」「久能寺経」両方持ってるのは五島美術館だけなんです!

しかしちょっと残念なのは五島にある「久能寺経」には見返し絵が付いていないこと、、、
加えて、あれ?なーんと今回の展示予定を見たら二つは別々の展示室に展示されることになってる
じゃないですかー( ̄ロ ̄|||)!!

..まぁ仕方ないか..「源氏」と同じ部屋には道長の埋納経や目無経が展示されるということ
なので、、それはそれで納得の展示ではあります。。

二つの展示室の間を何度もうろちょろしてるのがいたら、、私だと思って下さい...


「源氏」と「久能寺経」が展示される五島美術館の展覧会「時代の美-奈良・平安編-」後期展示は
11月6日から18日まで(すぐ終わっちゃうよ~)

なんか今回はマジメだったな~長いし。。


注1

『長秋記』という平安時代の貴族の日記には、元永2年(1119)に源氏絵を制作したという
記録が残っています(平安時代の唯一の源氏絵制作の記録です)。
えっ!じゃこの絵巻は1119年に作られたってことでいいんじゃないの?
いやいや、それはちょっと短絡的なんです。

実際には古記録に記載されている絵巻の大半が現存しませんし、
現存する絵巻の大半は同時代の記録に登場しません。
要するに、当時数百も作られたであろう作品の内、
数十が当時の記録に残り、数十が現存する(つまり両者が重なるのは数える程)ということ。
  
源氏絵も12世紀だけでどんなに少なくとも数点は制作されたはずです。。
ですから様式的な特徴からも1119年に近い頃の制作と推測されるんであれば、
『長秋記』記載本イコール「現存本」と判断できる可能性も高くなりますが、
そうでない場合、安易に結び付けるのは牽強付会というもの。。

ただ現在でもこの絵巻こそ『長秋記』記載本だという見方は根強くあります。 
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# by brevgarydavis | 2012-11-08 04:53