みほとけの うつらまなこに いまうつるのは...

2,3日前、何気なくTVのチャンネルを回してると(←リモコンをジャグリングしてたって意味じゃないですよ、若者諸君!)
内田康夫さん原作の浅見光彦シリーズ「平城山を超えた女」を放送してました。
 (平城山は「ならやま」って読みます。奈良から京都に抜ける時に最初にある低丘陵地帯ですね)
普段この手の2時間ドラマはあんまり見ない私ですが、思わず見入っちゃいましたよ。。

仏像ファンの間では香薬師 盗難を扱ったミステリーとして有名な作品。
原作は面白いけど話が込み入ってるのであんまり映像化は向かないんじゃないかと思ってましたが
予想通りなんだかごちゃごちゃしてやや盛り上がり感に欠ける終わり方になってましたな...。

そんな訳もあってか、浅井光彦ものは各局で何度もドラマ化されてますが、「平城山を越えた女」は初めてみたい。。まぁ、中村俊介さんや遊井亮子さん(なんか年取ったら岡本信人さんに似て来ましたね...)のファンには面白かったんじゃないでしょうか。

香薬師(こうやくし)とは、かつて新薬師寺にあった白鳳様式の銅造薬師如来立像のニックネーム。

b0283699_17452584.jpg二尺半余りの小像ですが左の写真に見るとおり、とっても
可愛らしい楚々とした童顔のほとけさま。亀井勝一郎や
和辻哲郎が絶賛したことでも有名になりました。

しかしこの美しい仏さま、その尊顔をじかに拝したことがあるという方は現在ではほとんどいないはず。。
なにしろ今を遡ること70年前、外界では南洋の戦局が急速に悪化していた昭和18年3月21日未明に盗難に遭って以来、その行方は杳として知れないからです。
見たことがあるという人がいるとすれば、新薬師寺の小僧さんでもない限り90歳は超えていることでしょう(先日のドラマでは昭和38年に盗まれたという設定に変更されてました..将来再びドラマ化される時には平成×年に盗まれたなんてことになってるかもね)。。
私もこの像が好きだという人は知ってますが、実物を見たことがあるという人には一度も会ったことがありません。

明治時代にも2度盗まれてはお戻りになっているので、当初はまたすぐ見つかるのではという期待もあったようですが、ホトケの顔も三度までというべきかこんなセキュリティの悪い寺にはおられへんということなのか、なかなかお出ましになられないまま数十年が過ぎてしまいました。
外国に売られてしまったとか大阪の空襲で焼けたとか適当なこと言う人もいますけど、金銅仏は頑丈なので必ずやどこかで再び世を照らす時を待っておられるに違いありません!いいかげん犯人も寿命が尽きる頃だろうし出てきても良い頃合なんですけどねぇ...。

しかしTVでチラッと映った香薬師さんはヒドい出来だったな~発泡スチロールだって丸分りですわ..。
新薬師寺と鎌倉の東慶寺には盗まれる前にとった形から鋳造された像があって時々公開されますし
(国立博物館にもあるそうですが未確認)、小平の平櫛田中彫刻館には田中翁が模刻した像もあって
これもさすがに素晴らしい出来栄え。。展示される時にはこのブログでもなるべくお知らせしますよ!
(先日再訪してみたら旧宅の座敷に安置されてました...全然まえ見た記憶がない...)


えっ?!実はうちにもそっくりなのがある??それってもしかして昭和18年にあなたのお爺ちゃんが...
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# by brevgarydavis | 2013-05-13 17:55

美術館業界にも来るかアベノミクス効果?!

蕪上がれ~!\(^_^)/!のパフォーマンスが効いたのか、日経平均急上昇中ですね!
1万5千円も間近かな?

アベノミクスが長期的に上手くいくかは未知数ですが、とりあえずは街の雰囲気も明るくなりましたし、
株価上昇による資産効果で宝飾品などの高額商品も売れ始めているとか。。
座して衰退するのを待つよりは、まずは何でもやってみるのは良いことなんじゃないでしょうか。
どの道、増税にせよインフレにせよ国庫破綻にせよ国民の資産を国の借金に移転しなきゃならないのは明らかですし、景気拡大による税収増でそれが賄えれば何より、たとえ失敗しても無資産家の私には被害も少なそうですしね...(おこぼれもないけどさ)。

税収が増えて公立の美術館にまで予算が廻ってくるのは遙か先でしょうが(借金や少子高齢化傾向を考えれば永遠に来ないかもね...(´ヘ`;)...)、企業系の美術館には速やかに効果が出そうです。

代表的なところでブリヂストンの株価を見てみると、、
今日の終値は3730円。なんと去年の平均のほぼ倍!!

ブリヂストン美術館と石橋美術館を運営する石橋財団はブリヂストン株の9.43%、7669万3千株を保有していますから、この1年で1400億円余から2860億円へ1400億円以上資産が増えたことになります。
配当を見ても、2011年までの数年間はリーマンショックもあって一株当り平均20円前後、2012年はようやく32円へと増配されましたが、今年はなんと予想配当54円です!
配当だけで41億円以上の収入が見込めることになります。

円安に振れてるのは欧米の作品を購入するにはマイナスですけど、アベノミクスが成功すればインフレ・円安傾向はまだ続くでしょうし失敗すれば更にインフレ・円安が進むでしょうから、政権交代でアベノミクスが終了したり他国が日本以上にコケたりしない限りは日本円は今のうちに評価の安定した海外の美術品なんかの資産に換えとくのがお得なはず。。
まぁ石橋財団は投資目的で絵を買ったりはしないと思いますが、館のリニューアルも一段落してますし配当分を使い切るのに躊躇する必要はないでしょう。

去年は32円の配当でカイユボットと岡鹿之助をゲットできましたから、今年はそれ以上に重要な作品を購入してくれるんじゃないかと勝手に期待してますよ!o(^o^)o ワクワク


そう言えば、ブリ美のテーマ展「PARIS,パリ,巴里―日本人が描く1900-1945」も中々楽しめましたよ。。
行ったの一ヶ月以上前ですから忘れかけてますけど、なんとか思い出して書いておくと、

満谷国四郎の「坐婦」は初めて知った作品。。国四郎好きの私としては大満足。
辻永の2作品が見られたのも良かった。
マチスの寄託作品「樹間の憩い」や藤島武二の「ヴェルサイユ風景」、佐伯祐三の「休息(鉄道工夫)」
なんかも実際に見るのは初めてじゃないかな~
 (最近の記憶力からすると過去に見てる可能性も少なくないですが...)
佐伯も優れた作品が6点も並ぶとさすがに素晴らしいですね。ユトリロの100倍良いわ~。
中でも最大の見所は浅井忠と和田英作がイーゼル並べて同じモデルを描いた「読書」でしょうか。
ってあれ...ホームページ見たら浅井作品、5月3日で東博に帰っちゃってるし...。
この規模のテーマ展で目玉の1作品だけ展示替する意味が分らん...。

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               辻永 「ハルピンの冬」、33×45cm、1917年、石橋美術館蔵

「PARIS,パリ,巴里―日本人が描く1900-1945」
は6月9日までゆっくり開催してますよ!!どうしてもとは言いませんが中位にお薦めです!!
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# by brevgarydavis | 2013-05-07 20:39

色彩を持たない多崎つくるの友達の色と、著作権切れの年

先週、関西旅行に行ってきましたよ。
主な目的は京博で開催中の「狩野山楽・山雪」展を見ることでしたが、、
ついでにいくつか他の美術館やお寺も巡って参りました。
で、まずは「美の饗演 関西コレクションズ」(国立国際美術館)の感想なぞ。

関西方面ということだと年に1,2回は行くんですけど、
大阪中心部には3,4年に一度しか行かないものですから、
行った時には梅田~中ノ島辺りに高層ビルがニョキニョキ増えてるのを実感しますね~。
グランフロント開業で盛り上がってる大阪人の皆さんを横目に、閑散とした国際美術館へGO!!

関西の6つの美術館(国立国際、大阪市立近代(建設準備室)、京都国立近代、滋賀県立近代、兵庫県立、和歌山県立近代)から近現代の欧米美術を選んで展示するという企画。
何年か前にやった大阪コレクションズの拡張版ですね。
海外の美術館から大金かけて作品借りてこなくても、近所のコレクションだけで結構充実した展覧会
構成できるやん、ということで味を占めたのは良いんですけど、入館料1200円は取りすぎだわ~。
実際のところ、ほとんど準常設展みたいなもんでしょ...。
ま、展示自体はたっぷり楽しめたからいいんだけどさ。。

我が国の公立美術館が欧米の作品を本格的に収集するようになったのは70年代後半からでしょうか。
山梨のミレーや福岡のミロを嚆矢として、80~90年代には猫も杓子も館の目玉とすべくフランス印象派やエコールドパリ、アメリカの戦後美術などを買い集めました。
成金みたようなと揶揄されても美術ファンとしては心躍る時代でしたが、残念ながら大半の美術館ではまとまったコレクションに育つ前にバブルが崩壊してアトが続かなかった...。
いつもおんなじモネやルノワールがポツンと飾ってある美術館よりも、いっそ海外作品には手を出さずに地元の作品中心の堅実な展示を守っている公立美術館の方が頭良さげに見えたりもします。

滋賀県やいわき市が開館時に買い集めたアメリカの戦後美術なんてホント素晴らしいと思いますが、
新規の購入ほとんどなし、関連の展覧会もめったに開かれず、という時期が続くと段々死蔵に近い状態になって常設展示室がドンヨリしてくるのも致し方ないところ。
私もあそことあそこのコレクションを併せれば結構スゴイのに、とか勝手に妄想してましたから
ここ十数年来、美術館どうしの交換展や連携展が増えたのは予算削減に伴う苦肉の策にせよ
自分たちの持っている財産に光を当てる良い機会ではありました。

そんなコレクション見直し展の中でも真打ち級の企画が今回の展覧会。。

一部屋にロスコ4点とアーシル・ゴーキーが並ぶなんて贅沢ですわ~今からじゃ二度と買えん!!
他にも、ブランクーシ3点、ジョゼフ・コーネル5点、ウォーホル3点(14枚!)、リヒター2点、等々。。
下手な海外美術館展よりよっぽど堪能できますよ~!イスはもっと置いて欲しいけどさー。
 (ホントは国立美術館だったら、これくらいの外国作品が常設であって、さらに2,3倍日本の近現代
  美術の展示があって、デザインや写真の展示もある、位が当たり前だと思うんですがね...)

で、今回特に紹介したいのはモーリス・ルイス(1912-62)。。
ルイスって美術史的にもかなり重要な画家だと思うし、ヴェールと呼ばれる作品群(下の上2点です)
なんかはロスコ並みに癒されるんですけど、割と安いんだよねー!!
ポロックやロスコ、デ・クーニングなんかの傑作を今さら日本の美術館が買うのは全く不可能ですが、
ルイスなら、買・え・ま・す・よ、奥さん! (下の「Nun」は2007年に1億8千万円余で購入したものですし、東近美も2008年に「神酒」を7500万円余で購入してます)。

常々お買い得な画家だと感じてたので、
ロト7でも当たったら、値上がり目当てに3,4枚買うことを妄想して一人ほくそ笑んでたんですが、、
先月テレビを見ていたら、、
村上春樹氏の新刊のニュースでなにやら見覚えのある感覚のカラフルな縦線が...
最初ルイス風に真似したカバーかな?と思ったけど、翌日本屋で確認してみるとやはりルイス!
来たー!!ルイスついに来たぜ!!100万人がルイス買いましたよ!
ってあれっ?私がロト7当たる前に来たら困るがな...

考えてみると、彼が亡くなったのは1962年。去年の年末で日本における著作権が切れたんですね。
これも村上氏の作品でよく起こる偶然の一致というやつでしょうか。。
まぁブログにも心置きなく載せることができる訳です...

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              「ダレット・ペー」、234×367cm、1959、滋賀県立近代美術館蔵
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                  「Nun」、249×351cm、1959、国立国際美術館蔵
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          「オミクロン」、262×412cm、1960、大阪市立近代美術館建設準備室蔵

ルイスの作品をいくつか見るにはクリスティーズの過去の落札結果が良いです。。
  (村上作品のカバーに使われた「Pillar of Fire」は2ページ目にあります)
ルイス関連の基本的な情報は以前川村記念美術館でやった展覧会の概要でどうぞ。。

あ、「美の饗演 関西コレクションズ」は7月15日まで長~く開催してますから是非ご高覧あれ。。
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# by brevgarydavis | 2013-04-30 23:50

美術史の小窓 その9 ” 細工は流々...仕上げは...老眼で良く見えません(ΘдΘ;) ”

出光美術館(東京)で開催中の展覧会 「源氏絵と伊勢絵―描かれた恋物語」 を見てきましたよ。

出光も長いこと行ってると、館蔵品中心の企画展では以前見た作品も多くなりますし、
源氏絵も何年か前にはマイブームだったんですが最近あんまり興味ないし、、
普通だったらスルーしちゃう展覧会。。

それなのに思わず足を運んでしまったその理由とは、
展覧会のサブタイトル... 「土佐光吉没後400年記念」!!
シブいわーー!!光吉アニヴァーサリー・トリビュートとは...マニア心わしづかみですわ~~。

別に土佐光吉もマイナーな画家じゃないんですけど、
いわば柴田理恵さんや阿知波悟美さんあたりが月9の主役に抜擢されたようなもんですかね~。。
なんで~という極めて大きなギモンとかすかな新時代への予感...

光吉に関しては渡辺美術館の「曽我物語図屏風」が近年紹介されたり、
京博と久保惣記念美術館の「源氏物語画帖」がこの2月に重要文化財に指定されたりと
ちょっとは来てる感もありますな(今年あたりがピークだと思いますけど...)。
出光にも久保惣本の「源氏画帖」が出品されてますし、東博の特集陳列「平成25年新指定国宝・重要文化財」にも京博・久保惣両方の画帖が展示中です!(5月6日までなので「大神社展」行った方はお忘れなく。国宝に指定された願成就院の運慶も来てますよ)。

土佐派と言えば室町時代には当代随一の画派として画壇の中心的存在でしたが、戦国時代以降、新興の狩野派や長谷川派に押されて次第にその地位を失っていきます。大きなきっかけとして光元が戦死したということもありますが、土佐派の目指す美意識が時代と合わなくなっていったのも事実。

狩野派の売りが、漢画を基盤とした豪放磊落、男性的な襖絵などの大画面にあったのに対して
土佐派の本領は、やまと絵を基にした繊細優雅、女性的・貴族的な絵巻や画帖にありました。

勿論土佐派も屏風など大きな作品も制作していましたし、ここ2,30年来、狩野派が大和絵的な画題も多く手がけ、図様などで土佐派の大きな影響を受けていたことも盛んに指摘されています(これには戦国時代以降にも天皇家や公家が依然として大きな文化的影響力を持ち、武家の側にもそれに対する憧れが強かったということがあります)。
しかし桃山~江戸初期に一世を風靡したのはやはり安土城や聚楽第に代表される狩野派的絵画世界。
加えて狩野派お得意の周到な後継者育成と営業戦略。。
光元が急逝した後の土佐派は没落する名門としてまさに存亡の危機にあったんです。

それをなんとか立て直して、土佐派が江戸時代にも続く橋渡し役となったのが光茂の門人だった光吉。
まぁ、光吉にはもはや狩野派に対抗して画壇の中心に返り咲こうなどという野心も能力もなく、
源氏画帖など貴族的小世界に特化して細々と生き残りを図ったとも言えますが、
結果として傍系としての住吉派などを生み、琳派・浮世絵・復古やまと絵などの大和絵系の諸派からも狩野派以上の名門として土佐派がリスペクトされ続けることができたのは光吉が頑張ったからこそ。

不肖やまと絵系の絵も大好きな私、
「土佐光吉没後400年記念」展、と銘打たれてはお邪魔しない訳には参りませぬ。

で、当然光吉の絵を取り上げたかったんですが、あんまりパッとした絵もないので(爆)...(-ω-`;)ゞ
光吉の子(または弟子)の光則の1枚を(今回の展覧会には出ていません)。

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        土佐光則筆 「源氏物語画帖・明石」(60図の内)、15×14cm、17c、徳川美術館蔵
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                            【 同拡大図 】

注目して欲しいのは何と言ってもその恐るべき細密描写...。
前述の通り土佐派の真骨頂はこうした繊細な小画面にあるんですが、中でも前近代の日本の画家で
一番細かい絵を描いたのが光則なんです。
15.4インチの画面でご覧になってる方は、上の絵がほぼ実物大。髪の生え際や御簾の横線とかじーっと観察して見て下さい!PCの画面ではほとんど見えませんよね...
幅が5~6ミリしかない筝にもちゃんと13本の弦が描かれてるんですよ!
当時西洋から渡来した虫眼鏡を使用した、なんて説もありますが、
いぜれにせよ若い時しか描けませんな...

この手の光則の細密描写が楽しめる作品には、上の「源氏物語画帖」のほか、
東博の「雑画帖」、フリーア美術館やバーク・コレクションの「白描源氏物語画帖」などがあります。。
ご覧になる機会があったら、眼を近づけすぎてガラスに激突しないようにね!!(>_<☆)\ イタタタ..
(上の光則筆「源氏物語画帖」&「雑画帖」は光吉に続いて近い将来重文指定受けると予測します)


【参考】15-17世紀頃の土佐派系図(光吉以降は必ずしも親子関係ではありません)
光信(1434?-1525?)→光茂(1496?-?)→光元(1530-69)→光吉(1539-1613)→光則(1583-1638)→光起(1617-91)

 (ようやく今週、京都の「山楽・山雪展」見に行けそうです。面白かったら報告しますよ!)
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# by brevgarydavis | 2013-04-21 22:48

ここ惚れ ワンワン! my treasure その6 ” ガキんちょにはいい時代でした...” の巻

平安時代の内裏や貴族の邸宅では、食入(くいれ)という事件がしばしば起こりました。
食入、とは犬や鳶が死体や死体の一部を敷地の中に運び込むこと。
 (だいだい子供の足なんかが多かったようです...(;゚Д゚)ガクブル...)
なぜそんな事件が記録されたかというと、邸内で死体が発見された場合その家の人はケガレに
触れたと見做されて、一定期間神事や参内を慎まなければならなかったからです。
延喜式の規定では、
死体なら30日、死体の一部なら7日、白骨化していれば穢れとはならない決まりでした。

中にはそれをズル休みの口実にした貴族もいたようでして、
つまりは「親戚のおじさんが亡くなったので...」というのと同じ位、
そうした事態はありがちなことと思われていたんですね。
『方丈記』が記す寿永元年の飢饉のような年はさすがに稀としても(仁和寺の隆暁法印が餓死者の額に阿の字を書いて結縁して廻ったところ左京内だけで4万2千3百余を数えたといいます)、一体、二体の片付けられずに転がっている死体というのは、平安京では日常風景の一コマでした。

ですから下の絵のような光景も当時の人にとっては今よりよほど実感のあるものだったろうと思います。

【九相詩絵、32×484cm、鎌倉末期、九州国立博物館蔵】
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中世以前と近世以後では様々な違いがありますが、、
平安~鎌倉の絵を見たり説話集を読んだりしていて感じるのが、死体や化け物に対する態度。

江戸時代にもなると行き倒れた浮浪人でさえ村人が共同で埋葬し弔うことが慣例化しましたが、平安時代の庶民の間では風葬地に運ぶ人手がない死体はそのまま家の中や道端に放置されるのが当たり前でした。
 (孤独死のニュースを聞くと中世がぽっかり今の世に現れたような気がしますね...)
死体は敬して遠ざけるものではあっても、人目に晒すべきでないもの・片付けなければならないもの、という意識は希薄だったと言えます。

逆に濃厚だったのが様々な魑魅魍魎の実在感。。
江戸時代の怪異を扱った本を読むと、なんだかんだいってもお化けや妖怪はホントはいないんだっていうのを分って書いてる感じですが、平安時代の『今昔物語』の方には山を幾つか超えれば何が潜んでいるか誰にも知れないというリアリティがありますよね。
柳田の『遠野物語』が平地人を戦慄せしめたのは、そうした中世人の感性が今なお辺地の庶民の間には色濃く残っているのかという驚きが大きかったと思います。
芋虫みたいな行基図の日本国には鬼やら物の怪やらが住む場所もたっぷりあったんでしょうが、日本でも西洋でも地図がちゃんとしてくると頭の中以外には彼らの居場所はなくなっていくみたいで..。


で、今回のマイ・トレジャーは
そんな死体ゴロゴロ、妖怪ウジャウジャの平安京を活写した名作、「餓鬼草紙」(東博本)。
できればマイ・トレジャーですからナショナル・トレジャーとはかぶらない方がいいんですが、
これだけ優れた作品だと取り上げない訳にはいきませぬ。。

有名な作品ですから、美術史的な概要は東博のサイトなどに任せるとして、
ここでは平安時代の街の様子を知るための資料として重要な2図だけご紹介しておきましょう。

現在の私たちはお墓というと墓石がずらーっと並んだ光景を思い浮かべますが、庶民がああいうお墓を立てるようになったのは近世以降なんですよね。
これは中世に遡る年紀を持つ墓石が存在しないことから明らかなんですけど(よっぽど偉い人の場合は五輪塔や多宝塔が墓として建てられることもありました)、それじゃそれ以前の墓地が具体的にどういうものだったか分る資料というのは皆無に近い。

そんな中で鳥野部や化野、船岡山といった平安京の葬送地の実態をリアルに伝えてくれるほとんど唯一の資料が、下の「餓鬼草紙」(第4段)なんです。
絵を見ると、筵の上に置き去りにされただけの遺体がある一方、棺の中に入れられた遺体もあり、土まんじゅうの上に木を植えた?ものや塔婆や五輪塔を立てたもの、塚のまわりを石垣で囲ったものなど様々な墓や葬法があったことが分ります(ただしこれは恐らく図柄としてヴァリエーション豊かな情景を描こうとしたもので、実際には放置されただけの遺体が圧倒的多数だったはずです)。
しかし例えば、置いて来るだけの一番粗末な葬法でも下には筵を敷き腰の辺りは布切れで隠して置いて来たんだなと分るのはまさに絵画史料ならではですよね。。
当時の人でも肉親を地べたに裸で放置してくるのはさすがに忍びなかったんでしょうが、こうしたことは文字史料には残りません。庶民は読み書きができないし、そもそも当たり前の習慣や状景をわざわざ書き残す人はいないからです。

もっともこうした葬送地に持って来る人手がない遺体は近場の鴨川の河原に捨て置かれたり(大雨が降るとキレイに一掃されるのである意味好都合ではあるんですね...)、それも叶わない場合には家の中や大路に放置されたのは前述の通りですが...。

【餓鬼草紙(東博本)、27x388cm、12c末頃、東京国立博物館蔵】
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(第4段;疾行餓鬼)

お墓以外にも、もっと重要なあるものも平安京の庶民の家にはありませんでした。
そう、トイレですよ~。

京都市内を発掘していると、寄生虫の卵や瓜の種が多く含まれたつやのある黒っぽい土の区域がしばしば見つかるそうですが、これは正に下の「餓鬼草紙」(第3段)に見られるような庶民の共同便所だった場所に違いありません(便所っていっても要するに只の路地ですけどね..)。

五人が高下駄を履いて(共用のものが備えられてたんかな?)つれションならぬつれウ×チ中。
まぁこれも絵のあやで実際にはこんなに上手い具合に老若男女様々な人々が同時に用を足すことはなかったでしょうが、人間たちのなんとも間の抜けた無防備な様子(人間には勿論餓鬼は見えません)とそれを見つめる生き生きした餓鬼たちの対比が素晴らしい!(ぜひe国宝で拡大して見て下さい!)
特に真ん中辺り、素っ裸で大きな高下駄を履き籌木(糞箆)を杖代わりに持った小さな子(女の子とは限りません)の描写が魅力的ですね(下痢のようで可哀想ですけど)。お母さんとなんか話してるみたい。。

驚かされるのは地面に紙のようなものが散らばってること。。『長秋記』(1119.10.21条)には室内の調度として「大壺紙置台」(おまる用の紙を置く台)っていう言葉が出てきますし、『正法眼蔵』にもお尻を拭くには籌木か紙を使うっていう記述がありますが、それはあくまでも貴族や僧侶のような上層階級の話。。
こんな路地で用を足すような庶民の間でも、
既にお尻を拭くのに紙を使うのが一般的だったんでしょうか?
だとすればトイレットペーパーを描いた絵としては世界最古のものであることは確実ですが..

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(第3段;食糞餓鬼または伺便餓鬼)

餓鬼道とはご存知の通り強欲で嫉妬深い人間が落ちるところ。。
死体や糞尿を食べてみじめな生をつなぐ哀れな存在のはずですが、
東博本の「餓鬼草紙」では可哀想なのは人間の方で、
肝心の餓鬼たちは平安京を嬉々として自由気ままに徘徊しているように見えます。
(ちなみに京博本「餓鬼草紙」の方の餓鬼はもっと卑屈で悲しげな表情に描かれてるんですよ)

これじゃあ因果応報の教えは全然伝わらなさそうですけど、
私は東博本の餓鬼たちは大好きなんです。
なんだか町中でいたずらして歩く子どもたちのようにも見えますもんね。。
今でも発展途上国のガキんちょの方が眼はキラキラ輝いてたりしますが、平安京の子どもたちも死体やウ×チを棒で突っついたりしながら元気に走り回っていたに違いありません。
時にはコロッと疫病で死んだりしてね。

衛生状態が良くなって少子化も進む現代の日本ではどっちのガキも少なくなったように思えますが、ホントの餓鬼は見えないだけであなたの周りにもウジャウジャいるんですよ~。
死体も排泄物も強欲な人間も、東京には平安京の何十倍も存在するんですから...。
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# by brevgarydavis | 2013-04-16 01:41