奇態(extravagante)の系譜 ―エル・グレコ展―

はぁー花粉症でなんもする気がしまへん( ̄。 ̄)ボ~~~~ッ。
家帰ってもビール飲んでテレビ見ながらゴロゴロ...あっ、それはいつもと同じか(爆)。。

エル・グレコ展、会田誠展、白隠展、クラークコレクション展、ラファエロ展等々どれも充実した展覧会で楽しめましたが、特に花粉症を押してまで書きたいこともないしな~でもせっかく荷物の山の後から昔の図録引っ張り出したのでEl Grecoに関して心に浮かぶ由なし事など、未整理のまま二つ,三つ。

今回の展覧会、51点の油彩画が集結する「日本で開かれたエル・グレコ展で過去最大規模」っていうのが謳い文句ですが、そもそもグレコ展は日本じゃ1986年の1回しか開催されてませんしその時も油彩49点来てるからあんまり変わんないよね...(どちらも1点グレコ(工房)以外の作品あり)。
美術史的に興味深い作品はいくつか来てますけど、むしろ前回の方がグレコらしいドラマチックな一般受けする絵は多かったような気がします。大型作品も多かったしなぁ。。
でも昼下がりに山手線でこれだけのグレコ作品を見に行けるのは確かにありがたいこと。。
昨年度から始まった美術品補償制度のおかげかな、と思ったらこの展覧会は適用受けてないみたい。
なんで??
前回と重複してるのはざっと数えた限りでは11点。

パルマの作品は洗浄しましたな。。
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 「盲人を癒すキリスト」、50×61cm、c.1571-72、パルマ国立美術館蔵   (左)1986年→(右)2012年

エル・グレコの場合、美術史的に最大の問題点は次の二つ (モチロン私がそう思ってるだけですが…)

A. エストラバガンテと評される彼独自の画風は一体何に由来するのか。
B. 多くのレプリカやヴァージョンを整理してその工房活動の実態を明らかにすること。

Aに関しては(あ、”extravagante”ってのは「一線を越えて向こう側で彷徨っちゃってる」という意味で17世紀以来グレコの絵を語る時の常套句です)、
ビザンティン美術やイタリア・マニエリスムの影響を探るものから、当時の神秘主義的思想を持った
パトロンたちの意向、あるいは画家の狂気や乱視(!)にその特異な画風のルーツがあるとする
ものまで様々な説が出されました。

近年の研究の進展によって、今では眼やオツムがヘンだったなんて説は完全に否定されていて、
むしろグレコは極めて理性的かつ高い教養を持った画家だったというのが定説になっています。
(それを証拠立てたのが彼自身の大量の書き込みのある『建築十書』と『芸術家列伝』の発見。
前者は今回展、1986年展の両方に解説を寄せているマリーアス氏らがマドリードの図書館で、後者は
プラドの館長などを務めた故サラス氏がロンドンの古書店でたまたま(!)発見したものです。書き込み
のスペイン語はちょっと怪しいらしいですが、その内容は彼の画風が宗教的情熱の産物などではなく独自の美学に基づいて周到に計算されたものだったことを示している、らしいです。読んだ事ないけどさ)。

もう一つ、近年の大きな成果はギリシャ時代の作品がかなり発見されたことですね。
いまだ帰属に賛否のある作品が多いですが十数点にも達していて、イタリアに渡る以前にも地元ではそれなりに人気のある画家だったのでしょう。


で、実は私がオールドマスターズの個展行くときいつも一番楽しみにしてるのがBの工房問題。。
なんとか鑑定団みたいに本物かニセモノかとか考えるのは楽しいですよね~(まぁ展覧会には真っ赤な偽物はまず出ませんが...)。。以前は展覧会行く前にワザワザ画集とかで確認したいところ予習して行ってたもんです(昔はマジメだったな~)。

例えば、下は左が有名なトレド大聖堂の「聖衣剥奪」(①285×173cm、1579年)、真ん中が今回来ているサント・トメ教区聖堂のもの(②75×43cm)、右が86年展で来ていた個人蔵の作品(③56×32cm)。

もちろん発注の記録も残っている①がオリジナルですが、他の同図様のものは、グレコ自身によるレプリカ、工房によるレプリカ、あるいは①のための習作、はたまたグレコ工房とは関係ない人物によるコピーや贋作など様々な可能性があります(「聖衣剥奪」も上半分だけの図まで含めると20点近いレプリカが知られています)。

③は上方の空間が広く取られていることを除けばオリジナルにごく忠実な質の高い縮小作品(これと極めて良く似た作品が英国のアプトンハウスにあります)。
こうした小さくて質の高い作品については、F.パチェーコが1611年にグレコの工房を訪ねた時に見せられたという「小さめの画布に油絵の、彼の生涯に描いてきたものすべてについてのオリジナル」という記述との関連が問題になりますが、現在残っている作品から判断する限りでは”オリジナル”といっても習作的なものではなく、工房制作に備えたグレコ自身による縮小レプリカであったと考えるのが妥当でしょう。③はそうした”オリジナル”の一つである可能性もあります。
真ん中の②はこれだけで見るとドラマティックで魅力的な作品ですが、一部のドレープの筆致のぎこちなさや強めの白のハイライトの付け方などが①との隔たりを感じさせます。制作年が下るからというよりはやはりグレコとは別の手による工房作と判断した方が良さそうです。。
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日本人として興味があるのは、やはり大原美術館の「受胎告知」が真筆かどうかということ。

下は左から④トレド美術館旧蔵(2007年のオークションで売却,418万4千$)、⑤ブダペスト美術館所蔵、⑥大原美術館所蔵の「受胎告知」3点(サンパウロ美術館にも似た作品があります)。
 (前回は⑤,⑥が展示されましたが、今回はこれらの展示はありません)
ウェセイは1962年のカタログレゾネで④をグレコ自筆、⑤,⑥を工房作と位置付けて日本のグレコファンに衝撃を与えました(ただしこれらは写真を見ただけでの判断とのことで1967年西語版では3作とも保留気味ながら真筆扱い)。
さて、皆さんはどう思われますか?
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個人的にはウェセイの最初の見解が比較的真実に近いかな~と。。
④はスケッチっぽく書き流した感じでマリアの顔などいかにも弱く見えますが、マリアの手や青のローブには素早い刷毛目のような筆致がそのままテクスチャアや立体感の表現となっているグレコの特徴が良く出ていて本人がサッと作った書き込み不足の作品のように見えます(サザビーズのestimateも確か60-80万ドルと中途半端な評価額でした...)。
⑤は一番しっかり書き込まれていて鮮明な色使いもあり見栄えがしますが、所々硬いのが難点。マリアとガブリエルとの距離は適切で一番緊張感があります(トレドは狭すぎ、大原は広すぎ)。
⑥は暗さ、重さが目立ち、これまでも言われてきたようにグレコの息子のホルヘ・マヌエルによって仕上げられたってのはイイところついてるかも。。
⑤,⑥はグレコ以外の手が入っているのは間違いないと思いますけど、だからといってダメな作品では全然ありません(⑤,⑥の方が④より高い評価額が付く可能性は十分にあります)。
グレコのような画家の場合は代表作でさえ多くは工房の協力のもとに作られてる訳であって、仕上げた人物と絵画的な質の高さとは個別の作品ごとに分析・評価される必要があります(グレコ工房で息子のホルヘ以外に名前が分ってるのはF.プレボステとL.トリスタン位ですが...)
まぁ、専門家がちゃんとした研究出す前こそ、素人があーでもないこーでもないと勝手なこと言えて楽しいのでございますわ~。。
皆さんも例えば白いハイライトの筆致に注目してグレコ展見るなんてのもお薦めですよ。
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前近代の画家の真筆性の判断というのは昔テキトーだった反動もあって、西洋でも日本でも20世紀の中頃からしばらくキビシクなり過ぎた印象があります。ひとつには芸術作品は個人の産物だという近代以降の意識が投影された面もあるのでしょう。
最近は工房の実態をできるだけ正確に把握して、プロデューサーとしての役割も含めた画家の画業の全体像を捉えようという研究が主流になってきたのは大変良いことですね。魅力的な工房作もたくさんあることだしさ。。まだ行ってないけどBunkamuraのルーベンス展もそういう展覧会だと期待してます。

はぁ~しかしwbc見ながら1時間位で書こうと思ってたらなんだか堅い話になってしもた...言いたかったのはOld Mastersの個展(狩野派なんかもですね)は画家の個性が表れる細かいとこ見比べながらウロチョロすると楽しいよ、ってだけなんですが...
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# by brevgarydavis | 2013-03-07 14:00

美術史の小窓 その7 ”トーガエ・ロマエ”の巻

五島美術館のリニューアル記念展第4部、「時代の美―中国・朝鮮編―」に行ってきましたよ。。
ちょっと寒いけどうららかな昼下がりにのんびり骨董見学。こりゃ極楽ですね~。

で、陶磁器や紙モノは時々展示される作品で、気になってた点を確認するって感じでしたが、
見たことない中国金銅仏が展示されてたのにはビックリ!!

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         ① 金銅仏坐像、h.29cm(光背除く)、北魏・和平5(464)年、五島美術館蔵

むむむ、五島にこんな優れた北魏仏があったとは<("0")>...青天の霹靂とはこのことです。。
驚いた理由の一つは、これととっても良く似たホトケさん達に以前から興味があったから...

(ノ・⊿・)つ
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左から
  ②金銅如来坐像、h.40cm(光背含む)、北魏・太和元(477)年、台北故宮蔵(新田コレクション)
  ③金銅如来坐像、h.41cm(光背含む)、5c、台北駐日経済文化代表処蔵(新田コレクション)
  ④金銅如来坐像、h.28cm、北魏・延興3(473)年、チベット・ポタラ宮蔵

②、③の新田コレクションというのは台湾出身の新田棟一(1912-2006)という人が集めた金銅仏を中心とした大コレクションのこと。多くは台北の故宮博物院に寄贈されましたが、③は既に重文指定を受けていたため日本国外に搬出できず、白金の駐日代表処への寄贈となりました。
だれか一代記でも書いてくんないかな~って位の怪人物ですが、表向きの略伝は次のサイトを参照して下さい (「彭楷棟先生遺贈文物特展」)
また④の仏像の頭の青、顔の金泥はチベットの通例で後に塗られたものです。

この4体、像容から台座までそっくりな部分が多くサイズもほぼ同じで、時代・制作地がごく近いのは
一目瞭然ですよね (もっと大きい図を載せれば細部の共通点も分るんだけど...)。
特に注目して欲しいのはどれも左手で衣の端を握っているところ。。
昔②か③どっちかを見た時からずっと気になってたんです。。
こんな印相、仏像の解説にも出てこないし(阿閦如来には衣の端を持つポーズがありますがこれらが全部阿閦如来として作られたとはとても思えません)、そもそも衣を持たなきゃいけない理由が分からない(薬壺や水瓶だったら分かりますが...)。
でも別に北魏の坐像だけじゃなくてガンダーラや中国、日本の立像にもあるんです。

(ノ・⊿・)つ
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左から
  ⑤仏陀立像(ガンダーラ出土)、h.109cm、2-3c、平山郁夫シルクロード美術館蔵
  ⑥如来立像(陝西省西安市出土)、h.170cm、6c後半(北周)、西安市文物保護研究所蔵 
  ⑦薬師如来立像、h.42cm、8-9c?、聖衆来迎寺蔵

左手右手、順手逆手と持ち方は様々ですが、なんか意味ありげに服つかんでますよね。。

で、最近モノの本をパラパラめくっていたら、
ガンダーラ仏の衣を持つポーズはローマの皇帝像に由来する、って書いてあるのを見つけました。 はぁ~!!そっか!!日本の仏像の本にはあんまり書いてないと思うけど多分そっち系(ヘレニズム美術とか)の人には常識なんでしょうね!
ガンダーラ彫刻がヘレニズム文化の強い影響の下に成立したのは周知の事実でしょうが、仏像の施無畏与願印などもオリエントの女神像やローマの皇帝像のポーズを基にしたもので仏教的な意味は後付けなんだそうです (ノ゚⊿゚)ノ ヘェー!!

それじゃあと思ってローマの皇帝像を探してみると、、

b0283699_14163558.jpgあれ~?衣握ってる像なんてほとんどないよ~?
そもそもちゃんとした全身像自体あんまりない...頭部だけだったり手が欠けてたり...やっと見付けたのが左のルーヴルのやつ。。

⑧アウグストゥス像、h.1,96m、B.C.2-1c

でもトーガ(ローマの男性の正装ね)握ってるのは右手だし握り方も①~⑥とは随分違う(⑦には近いけど)。ホントにローマ皇帝の格好に由来するってことでいいのかな~でも専門家の云う事だからとりあえず信じることにしますか。。

昔の聖衆来迎寺のお坊さんの中にも「なんでうちのホトケさんころも握ってはるんやろ」て思ってた人もいたかも知れませんが、まさかモロ平たい顔したお薬師さんの決めポーズがこんな濃ゆい阿部寛顔のローマ人の真似だったとは想像もしなかったことでしょう!(最澄請来という銘文を持つ横蔵寺の仏像をはじめ、若王子、地蔵院、融念寺なんかにも似たポーズの像があります。でも①~⑥とは随分違うので又別起源の像容なのかも。難しいね~)。。

以上、風呂屋以外にも古代ローマと日本とは昔から地味ぃ~に繋がってたんですよ~って話でした。
オソマツm(_ _)m

(ちなみにトーガって日本人にはただ布きれ引っ掛けてるようにしか見えませんが、かっこイイ襞の付け方とかが難しくって専門の着付け奴隷が必要なほどだったとか。普通の人が着るには面倒すぎるため人気がなかったそうです)

テルマエ・ロマエ的?な仏様が見られる五島美術館「時代の美―中国・朝鮮編―」
3月31日迄開催中!!
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# by brevgarydavis | 2013-02-25 22:33

どうなる堀内コレクション...Breakfast or Broken-Heart at Tiffany's ?

先日サザビーズのサイトを見ていたら、
堀内コレクションが一部オークションにかけられていたことに気がつきました。。

Sotheby's Paris, February 16, 2013

ありゃらら~!いつかどこかに美術館ができるもんだと楽しみにしてたのに~( ̄▽ ̄;)!!ガーン

堀内コレクションって何?という人でもかつて松江や名古屋にティファニーを中心とした素晴らしい
装飾美術コレクションを展示した美術館があったのを覚えている方は多いんじゃないでしょうか。

最初は90年代半ば頃、名古屋の瑞穂区円山のビルの中にオープン、、
それがあれ無くなった?と思ったら、数年後、遥か島根県にイングリッシュガーデン付で再登場。。
近所の古江駅が ”ルイス・C.ティファニー庭園美術館前駅” という日本一長い駅名になったことでも話題になりました(行ったことないくせにすらすら暗誦できるテツ多数...)。

それが所有者の堀内不動産と松江市とのごたごたでわずか数年で又々閉館の憂き目に...
 (今ネットで調べたらオープンしてたのは2001~2007年の間みたいですね)。。
私は結局松江までは行かず終いだったんですが、写真で見る限りでは日本じゃ珍しいピリオドルーム風の展示室もあったりして頑張っている印象もあったのでもったいないなーと残念に思っておりました。

でも堀内武雄氏が東京近郊で美術館建設の可能性を探ってるなんてウワサも小耳に挟んだような記憶もあって密かに期待してたんです。。

ああ、、それなのにそれなのに( ;´_ゝ`) ...

いや、今回売却されたのはラリックやガレなど堀内氏の収集品の中では周縁的な作品群。。
あくまで堀内コレクションのメインとなるのは、個人蔵としては、あるいはアメリカ国外では間違いなく
最大最良を誇るティファニーコレクションです。。
これはコレクションの純度を高めるとか美術館の建設資金を得るとかを目的とした前向きな売却と思いたいー!p|  ̄∀ ̄ |q ファイトッ!!
ご承知の通りラリックやガレについては日本にもその全体像を閲することができる優れた美術館が
存在しますが、ティファニーの場合まとまった点数を見られる美術館はありません。。
ティファニーのステンドグラスやランプの一級品には他のガラス製品では味わえない壮麗さと繊細さを併せ持った絢爛豪華な迫力があります (実物見ると感動しますよっ!)。。
なんとか、堀内家には頑張ってもらいたいものです!!

一応今回のオークションについて触れておくと、(詳しくは上のリンクを参照のこと)
総額では666万ユーロ余り、一番高値が付いたのは下のラリック作品で124万ユーロほどです。
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「蝶の女」(1900年万国博覧会におけるラリックのショーウィンドウの装飾柵)、h.103cm
(他に同種の作品が4件(ベルリン装飾芸術美術館、箱根ラリック美術館、個人蔵2件)あります)
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# by brevgarydavis | 2013-02-23 00:33

ここ惚れ ワンワン! my treasure その4 ” 拝啓 シンラの君へ”の巻

王羲之展に感化されて又々『西川寧著作集』をパラパラ読んでたら
 (いやー西川先生の本は勉強なるあるよ~)、
賢首大師の尺牘 が眼に飛び込んで参りました。。

あーそういえばこれがあったか ! !(・。・)b、、
不肖わたくし一度も実物を見たことはないんですが、
それでもこれは My Treasure として取り上げねばなるまいて... φ(..)カキカキ。。

「賢首大師尺牘」、またの名を「唐法蔵寄新羅義湘書」なんて言いますが
 (色んな呼び方があります)、
要するに唐の法蔵(賢首大師、香象大師とも)が新羅の義湘に送った手紙のことです。。
といっても法蔵?義湘?who?っていう方が多いでしょう。。
幸い我が日本国に両者を描いた絵があるでござる。

          From Me                   To You
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  向かって左が法蔵(642-713)で右が義湘(625-702)。。

絵では法蔵の方が老けてますが、実際には義湘が兄弟子で17歳の年長。。
右の義湘の肖像は「華厳宗祖師絵伝」という高山寺にある有名な絵巻から取ったもので見覚えのある方もいらっしゃるでしょう。。一方法蔵の肖像は金で大定25(1185)年に描かれた絵を日本で鎌倉時代に模写したという珍品です(東大寺蔵)。

義湘は遥々新羅国から唐へ留学(661-671)して華厳宗第二祖智儼に学び、華厳宗を朝鮮に伝えた人。
法蔵は同じく智儼に学び、華厳宗の教学を大成して華厳宗第三祖となった人。
二人とも華厳業界では神レベル、ほとんど伝説上の人物のようなお坊さんたちです。。

この二人の間に交わされた直筆の手紙が残ってるって言うんだからビックリしますよね~。
しかもそれが本当に心洗われるような名筆中の名筆なんです!!!。・゚゚・(>_<;)・゚゚・。

(っ・ω・)つ
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(上は全体像、左は中央辺りの部分)

うーん、PCの画面で見るとなんか魅力が伝わらない気がするな~(って私も本物見てないから偉そうなことは言えませんが…)。
でも静かな夜にじっとこの書を見つめれば、誰だってこの千三百年前の書の持つ高く澄みきったひびきにと胸を衝かれるはず..まさに上善水の如し、しばしこれを見た後に改めて他の見慣れた書を見ると書家のケレン味が鼻につくようでびっくりします。。
禅僧の墨蹟なんかを見てもあまり書は人なりとは思いませんが、この尺牘からは法蔵の寛やかで清廉な人柄がしみじみ伝わって来ますよね。

坂本幸男氏の考察によるとこの手紙が書かれたのは西暦692~694年頃。
今は奈良県の天理図書館に所蔵されてるんですが、そこに到るまでの来歴も興味深いものです。。

最初にこの手紙が忽然と現れたのはなぜか元末の中国。。
別峯和尚という人がどこからか手に入れて鑑識眼のありそうな人たちに見せまくったらしく、1354~1364年の間の10人の元人の跋が附属しています。

あれれ??新羅に送ったはずじゃないの?と思ったあなた、そうですよね。。みんな同じギモンを持ったらしく跋を書いた元人から現代の学者まで新羅宛の手紙が中国で見つかった理由を色々考えてますが結局よく判らないようです。
ただこの手紙が確かに新羅まで届いたことは、その内容が「法蔵和尚伝」「円宗文類」「三国遺事」といった新羅末~高麗期の著作に引用されていることから間違いありません。

ん?それじゃそうした著作を見て作ったニセモノって可能性はないんでしょうか。。あるいは法蔵の真筆だとしてもこれは草稿とか控えで送った手紙は別だとか?

普通ある人の書が真筆かどうか確かめるには、その人の他の書と筆跡が同じか否かで判断するわけですが、この手紙以外法蔵の書というのは知られていません (というより7世紀以前の書で有名人が書いた肉筆の書なんてのは片手で数えられるほどしか伝存していません)。。
ですから厳密には法蔵の真筆と確認する手段はないんです。

西川寧氏もそこらへんを縷々考察してますが、結局の所これだけきちんと書かれて本物のオーラが出てる書は草稿や控えとも思えないし、ましてや後世の写しや偽物ではありえない、ってことみたい。。
ただ李丙燾氏は先に挙げた「円宗文類」「三国遺事」などの引用文とこの尺牘の語句に若干の違いがあることから、法蔵が新羅に送ったのは修正した別の一通で、この一通はそのまま中国に残されたのではないかと推測しています。まぁ、違いはわずかなもので引用の際の単純ミスかも知れません。。

美術史の世界では主観的だろうって言われても結局本物に見えるってことこそ本物と判断する最大の根拠だったりして、畢竟理屈じゃないってところは確かにありますな...

元末以降、この書の行方は再び杳として知れず...
明清の皇帝のコレクションに入ることもなく著名な収蔵家の過眼にかかることもなく、恐らくは江南の寺院あたりで数百年間静かに眠りについていたのでしょう。
再度この書が世に出たのは、嘉慶21(1816)年のこと。北京の琉璃廠に売り物として現れ、成親王(乾隆帝11子)はじめ清末の収蔵家の間を転々とします。

日本に渡ってきたのは1954年頃のことらしく、林朗庵という人(所有者ではありません)が買い手を求めて台湾か香港から持ち込んだようです。共産党政権成立後の数年には多くの名品が混乱を逃れて中国から流出しましたが、これもその一つということなのでしょう。

その時の売値は2万ドル(720万円)、当時の大卒初任給が1万円ちょっとということですからそれで換算すると今の一億数千万円位ですか。。王羲之展の記事でも書きましたが、戦後暫くの日本では中国からせっかく名品が持ち込まれても購うことができずアメリカに転売されていった例が多くあります。
この書もご多分に漏れずなかなか買い手がつかなくて東大寺(華厳宗大本山だからね~)や韓国(欲しくても朝鮮戦争直後ではね...)にも購入が打診されたようですが、結局天理教が手中に収めてその膨大な貴重書コレクションの一角に加えることとなりました。

あ、肝心の手紙の内容に全然触れてませんでしたわ(゚□゚) ハッ!。。
恐らく法蔵にとって義湘はその人物・学識において最も信頼に足る兄弟子だったのでしょう、曰く 「別れてから20年、修業も完成せず心も定まらない私(法蔵)ですが師の衣鉢を継いで「華厳探玄記」(華厳宗では名著中の名著らしいです)ほか幾つかの著作を完成することができました。それらを勝詮法師(新羅僧)に託して送りますから何卒ご教誨頂けませんでしょうか」、というような意味のことが仏教的な修辞を凝らして述べられています。

それにしても生きてる内になんとか実物を拝見したいものですね。公開の情報を掴んだ方はよろしく御一報お願い致します。m( ̄ー ̄)m


  【興味のある方の参考として】
今西龍1933「唐崇福寺僧法蔵致新羅華厳法師書」(未定稿)(『新羅史研究』)
        (現在台東区の書道博物館に所蔵される模本に基づいた研究)
西川寧1955「賢首大師の尺牘」(『書品』62、『西川寧著作集』第二巻に再録)
坂本幸男1955「賢首大師の書簡について」(『書品』62)
神田喜一郎1971「唐賢首国師真蹟「寄新羅義湘法師書」考」(『南都仏教』26)
李丙燾1971「『唐法蔵致新羅義湘書』(墨簡)について」(『ビブリア』48)
金知見1972「寄海東書考―特に五教章和本・宋本の背景について―」
         (朝鮮奨学会『学術論文集』第1集)
また渡部泰明氏が「中世文学に見られる異国人に関する研究―明恵と元暁・義湘を中心として―」という当尺牘の研究を含んだ課題で2005~2007年の科研費を受けています。
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# by brevgarydavis | 2013-02-15 01:39

西美の新収品,セザンヌの「ポントワーズの橋と堰」展示開始!!

以前紹介したセザンヌの「ポントワーズの橋と堰」 (国立西洋美術館が昨年8億円で購入!)が、
今日から展示開始ということで、さっそく大急ぎで見てきましたよ。

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見た感じ予想外な点はなくて図版で想像してた通りでした( ̄▽ ̄)。o0○。

まぁ傑作とまでは言えないまでもセザンヌの風景画として佳品は佳品かな。
 (新収のセザンヌに対してこんなこと言えるようになったなんて日本も豊かになったもんですな..)
前景の草むら越しに中景の水面が広がりさらに遠景の橋や家並みまで左の道が自然に視線を導くという風景画のお手本のような構図。筆触もパレットもこの時期のセザンヌの典型といえるもので眼になじんだ安心感がありますね。。
個人的にはセザンヌの風景画だったらもうちょっと後の時期の、筆触が重なって響きあうような、空間の構成もより自由な作品が好きなんだけどこの時期のカッチカチに固い作品も悪くはないです。。

もともと松方コレクションには油彩5点、水彩8点、リトグラフ2点のセザンヌがありましたが、結局西美に入ったのは水彩4点だけでした。油彩のうち2点は戦後早くに流出し現在はメトロポリタン美術館とサンパウロ美術館の所蔵。。他の3点はまだ日本にあるのかなー?「読書をする青年」はかなり後まで神戸・個人蔵だった記憶がありますが..せめて3点の図版載せようと思ったんだけど本が見つからん..(最近このパターン多し。見つかったら載せます)。
やっぱりセザンヌが4,5点並んでると洋モノを扱う美術館としては風格が出るんですけどね~。
日本にも個人蔵の良い作品があるので、なんとか流出せずに西美あたりに寄贈されると素晴らしいんですが...まぁ人様の持ち物だからとやかく言うわけにもいきませぬ。。

しばらく前から気になってるのは西美の新館2Fの作品の見栄えがいま一つに感じること。。昔、天窓から自然光が入ってた頃はもっと絵がキラキラ輝いてたような気がするんですが..(新館にオールドマスターズが展示されてた頃ね)。。雨の日なんかはかなり暗くなったりしてそれが又良かったりして。。
太陽光入らなくしたのは随分前のはずだけど、最近展示室が改装されて益々光の具合が悪くなったように思います。。いや、もしかすると照明や展示室のせいじゃなくて自分の視力が落ちたせいかも、って疑ってもいるんですけどね(・_・?) ハテ? 皆さんどう思われますか??


P.S.そういえば先週見に行った千石コレクションの爬虫類にも大いに感銘を受けましたよ(科博ね)。
今回はちょっとだけでしたが、将来企画展か何かでもっと大規模に展示してくれることを激しく期待!!
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# by brevgarydavis | 2013-02-12 23:31