松岡美術館と言えば、まぁ目玉は中国陶磁、加えて近代日本画もインド彫刻もありーの、
出せと言われりゃミイラでもモネでも何でも出しまっせ~ って感じの美術館。。
日本の他の古美術系の美術館とは一味も二味も違った品揃えで、
実は昔から大好きな美術館のひとつ。。
新橋にあった頃は、出光のあと歩いて松岡、ってのが個人的な定番でした。
移転してからは専門の展示室が出来たせいか、日本や中国の古い絵を展示する機会が
増えたような気がします。。
でもブログだから正直に書いちゃいますが、、その手の古い絵に関しては玉石混淆と申しませうか、、
特に中国絵画は、え?あ??う~ん、みたいな作品が多かったのも事実。。
(まぁそうしたキュレーションのゆるさも魅力の一つだったんですけどね...)
そんなわけですっかり油断していたところに、陶磁器の展示室で呂紀の「薔薇図巻」を発見。
あれっ?松岡にこんなのあったっけ?というのと
呂紀と言えばちょっと浙派っぽい筆致の大幅花鳥画っていうイメージだったので
こんなやわらかい繊細な絵も描くんだ~、ていうので二重にビックリ。。
ほぉーと熱心に覗きこんでると、一緒に行った子が横から 「ひぇー、乾隆帝のお宝なんだ~」と発言。。
そう、館の解説でも「乾隆御覧之宝」「嘉慶御覧之宝」「宣統御覧之宝」
っていう三つの印影に
←(矢印)
まで付けて清朝内府旧蔵品ってのを強調してたんですよー。。
(左の印影は「薔薇図巻」のものではありません。。松岡美術館は最近撮影OKになってありがたいんですが、さすがにガラス越しでは印まではうまく写らないんで他所から同じハンコを持って来ました)
なるほど「~之宝」ってハンコ押してるんだから皇帝のお宝だぁ~って思うのも無理ありませんよね。。
美術館で人に説明するのがキライな私は「あーそうねー」って流しちゃいましたけど、
ん~、ビミョーに誤解があるような気が...
実は「~之宝」の宝ってのは宝物の意味じゃなくて、皇帝のハンコって意味なんですよ。知ってた?
普通皇帝のハンコには「璽」っていう字を使います。天皇玉璽とかね。。
でも清代には「璽」の代わりに「宝」の字を使うのが流行ったんです。
これ、もともとの起源は唐の女帝、則天武后。。
『新唐書』「車服志」に曰く 「武后諸璽を改めて宝と為す。中宗即位して復た璽と為す」 と。。
則天武后と言えば、中国史上唯一の女帝にしてなんでも自分流に変えないと気の済まない困った女。。
(私は勝手に田中真紀子先生をイメージしております)
いわゆる則天文字を創ったり、(水戸黄門光圀の圀の字だけが現在でも有名)
皇帝というのをやめて天皇にしたり、(日本の天皇号はこれを真似したという説もあります)
倭国がこれからは日本て呼んで欲しいって言ってるから日本って呼んでやることに決めたり、、
一方では白村江で百済と倭の連合軍をこてんぱんにやっつけたりしたのも武則天。。
こうしてみるとなにげに我が国とも縁の浅からぬ女。。
なんで彼女が璽を宝に変えようと思ったのか知りませんが、
大方とりまきの道士あたりがもっともらしい理由を付けて勧めたんでしょう。。
皇帝を天皇にしちゃう位だから、ハンコも新しいのにするなんてのは当たり前なのかも。。
私はてっきりこうした復古主義的な文字の使用法は、
満洲族の圧迫を受けて風前の灯だった明の漢人たちが
唐朝の栄光を懐かしんでちょっと誤解まじりに使い始めたのかなー
(徳川光圀の圀も亡命明人朱舜水の助言によるという説が有力)、
と思ってましたが、
パラパラとモノの本を捲ってみると、
南宋の高宗にも「御書之宝」という印があり、
元の文宗にも「天暦之宝」「奎章閣宝」、明の宣徳帝にも「広運之宝」という印があるなど
あれっ?昔から結構「宝」の字、使われてるじゃん( ̄□ ̄;)
危ない危ない。。又うそをつくところでしたよ...
ただし台北の故宮なら千件単位、日本だけでも数十件は捺されてる作品があるであろう
「乾隆御覧之宝」などの清の皇帝の印に比べて、
上記の印は故宮以外ではほとんど見る機会はありません。
日本の美術館でもしも「宝」の字を使った皇帝のハンコを見つけたら、
武則天から田中大臣に至る日中の長ーい友好と確執の歴史に思いを馳せるのも
また一興かと。。
呂紀の薔薇図巻が展示されている松岡美術館の展覧会
「カラフル*チャイナ」 は12月19日まで開催中ー!!
# by brevgarydavis | 2012-11-23 00:40